第四十六話 新たな交易




天文二十年(1551) 八月上旬 相模国足柄下郡小田原町 小田原城 北條 氏康




評定の間に入ると、重臣が居並ぶ中に遠山甲斐守綱景が座って頭を下げていた。

「綱景、待たせたな」

「ただいま戻ってまいりました」

「うむ。面を上げよ。今川殿の反応はその方より文にて聞いていたな。武田殿の感触はどうであった」

儂が問うと、綱景が笑みを浮かべた。首尾は上場だったようだ。


「はっ。武田大膳大夫様は、我が北条家と誼を通じたいと仰せにございました」

甲斐守の言に、家臣たちがそれぞれ声を上げる。賛同する者もいれば、苦い顔をする者もいる。確かに、武田には今まで何度も煮え湯を飲まされてきた。だが、大を成すためには昨日の敵と手を結ぶことも必要だ。関東を抑えるために今川と武田、両家と和議をするのは悪くない。家臣たちも分かっているはずだ。苦い顔をする者はいても反対する者はいない。


「大儀であった。時間をかけて友誼を結び、厚い関係とするしかあるまい。散々に争っていたのだ。しばらく時がかかるだろう」

儂の言葉に、皆が頷く。

「宗哲はどうじゃ」

一族の長老である宗哲長綱に意見を求める。長綱は初代早雲公の末子で祖父と父、そして儂に仕える重臣だ。主に外交と内政を担当している。


「よろしかろうと。今川は三河の統治と尾張攻め、武田は信濃平定に忙しい様子。三国が争う理由はありませぬ。時を掛ければこの縁は形になりましょう」

「あいわかった。引き続き定期的に今川と武田には使者を遣わすことにしよう。ところで綱景、駿河と甲斐の地はどうであった」

「はっ。甲斐に特段の変化はありませぬ。金山の開発に力を入れているのか、少しばかり物の取引が増えているようでしたが目を見張るほどでは……。驚いたのは駿府にごさりまする。駿府の賑わいたるや、相当なもので人の往来が常に途絶えませぬ」

駿府……か、今川の本拠地だな。確かに相模から駿河に流れる金の量が増えてきていると報告があったな。

「ほう、小田原の町と比べてどうじゃ」

「到底比較になりませぬ」

綱景が間髪いれずに答えた。家臣達がざわめく。

「儂も乱波達から報告を受けている。今川領の発展が著しいと。最近では府中だけでなく田子ノ浦と熱海にも力を入れているようだな」

宗哲が相槌を打つ。この翁も認めるとなると間違いはない。

熱海か、北条領の目と鼻の先ではないか。龍王丸……いや、治部大輔殿はやはりただ者ではなかったか。


「今川様の館もそれは素晴らしいものでございました。拝謁をしたお部屋は京の都にあるという金閣寺、あるいは平泉にあると聞く中尊寺かと思う程に絢爛なものでした」

「ほぅ。左様か。相当に今川殿は豊かになっているようだな」

「御意」

儂の父の頃、まだこの北条家が今川の家臣だった頃に、手伝い戦で今川の地に行くこともあった。戦乱の世を思えば、長く今川による統治がされている駿河は落ち着いてはいたが、今の小田原と比べて比較にならぬほど栄えていたという記憶はない。やはり治部大輔殿の手腕による発展が著しいと見るべきか。


「口惜しい」

自分にしか聞こえぬような小さな声で呟いた。つい本音が出た。

「……殿?」

綱景が心配そうにしている。

「あいや、何でもない」

河東で刃を交えた時、龍王丸殿の才に光るものを感じた。今川との遺恨等忘れて縁組しておけば良かったの。さすれば近衛家に先を越される事も無かっただろうに。


ま、終わった事を申しても致し方無い。治部大輔殿に拘るなら側室で輿入れという形であれば成るかも知れぬ。家中で不満が出るか?であればそれを抑えねばならぬな。まぁまだ少し先になるだろう。今はそれよりも……。

「綱景。改めての確認だが、今川と武田が我が北条に攻め入る可能性はあるか」

「両家が北条に弓引く事が近々にあるとは思えませぬ」

「油断させるために謀っているという事はないか」

「ありませぬ。某とて外交に長らく携わらせて頂いた身なれば、相手の領国に入っておるにも関わらず出陣の準備を見逃すほど腑抜けではありませぬ」

綱景が強い眼差しで儂の目を見て答える。


「あいわかった!綱景、大儀であった。先に申した通り、その方は引き続き今川殿と武田殿と誼を通じるように。他の者は出陣の準備じゃ」

"おぉ"

"いよいよ"

家臣達が興奮したような顔で儂をみている。前のめりになっている者もいる。頼もしい限りよ。

「上野を切り取る!関東管領に止めをさしてくれようぞ」

「「おぅ!!」」

皆が興奮をして声を上げる。関東管領上杉家も今や風前の灯だ。恐るるに足らん。今に関東全域に三つ鱗の旗を立ててくれる。




天文二十年(1551)八月下旬 駿河国有渡郡用宗村 今井 宗久




安宅船に関船と、大型の軍艦がかなりの数で停泊していることに驚いていると、続いて無数の小早や商船が停泊していることに気づいてさらに驚かされた。商船の多さは、堺にいるのかと思う程だ。感心をしている内に船が岸辺に近づき、見慣れた顔が見えた。小さく目礼をする。後ろに続く天王寺屋さんの船も無事に湾内に入っている。


「権太夫様、わざわざのお出迎え恐れ入りまする」

船を降りて丁重に声をかけると、海の男のよくとおる声で返された。

「なんのなんの。遠路よく参られた。道中ご無事であられたか」

「はい。天候にも恵まれ、恙無く駿河の地に来ることがかないました」

「権太夫様、ご挨拶が遅れました。ご無沙汰しておりまする」

後続の船から降りてきた助五郎殿が小走りに寄ってきて声を掛ける。

「おぉ、津田殿。堺以来でござるな」

「ご無沙汰致しておりまする。しかし、用宗の賑わいたるや凄いですな。軍艦に商船に土蔵、塩田まで見える」

「左様ですな。手前も驚いておりました」

「ハッハッハッ。堺に比べればそれほどでも無かろう。それにしてもまずはお二方とも無事に到着して何よりでござる。驚かれると言えば、今すこしで若殿がお見えになるはずだ。しばし待たれよ」

"治部大輔様が?"

助五郎殿と声が被る。まさかこの様な所にまでお出になるとは思わず驚いた。


「わざわざ堺からお二人が見えるのだ。それにお連れになった明船もご覧になりたいと仰せであった。荷下ろしは部下達に手伝わせるゆえ早いところ済ませよう」

こちらにお見えになるとは治部大輔様らしいと思ったが良いのだろうか?

形骸化して久しいが、明との交易は幕府の専権事項だ。正式な勘号符を持つ大内家は別として、明船との交易は基本的に私貿易、つまりは密貿易が主体となっている。足利一門たる今川家ご嫡男が明船を出迎える訳には行くまい。



権太夫様の部下達の手を借りて滞在の荷物や駿府に出店する支店の荷を下ろしていると、水兵たちの動きが慌ただしくなった。


"若殿にぃぃぃ~敬礼っ!"

水兵達が淀みなく整列をしたかと思うと、大きな声が聞こえて皆が同じ格好をした。相変わらず壮観だが、兵の動きが堺の時と異なるな。そうか、今は刀を持っておらぬからか。整列した水兵の間から治部大輔様が見えた。膝をついて頭を下げる。


「無用だ。遠路はるばるよく参られたな」

「ご無沙汰致しておりまする。驚きましたぞ。まさかお出でになるとは思いませなんだ」

儂が率直に胸の内を伝えると、治部大輔様が真面目なお顔になられた。扇子で口元をお隠しになる。短い付き合いだが、何度かお会いしたから分かる。これは治部大輔様が冗談てんごうをなさる時のお顔だ。

「密貿易の船を出迎えに来たと思うたか」

「これはまた……はっきりと仰せになりますな」

「俺はただ水軍の視察に来ているだけだ。何か問題があるか?」

やはり悪戯を考える童の様な顔で仰せになった。つい吊られて笑ってしまった。

「確かに。調練の視察に来たら明の船がいただけ、でございますな」

「で、ある」

治部大輔様が遠目に見える明の船をご覧になりながら仰せになった。


「中々に大きい船だな。さすがに外海を航海してくるだけはある」

「はい。積み荷も相当に積んでおりますれば、明への航海時には我が方の品を大量に積んで帰りまする」

「で、あるか。今回は何を積んでいる」

「はっ。堺で確認してございます。銅銭に生糸、絹織物に医術や宋学等の書物、それに陶芸品にござりまする」

儂に変わって助五郎殿が応える。

「ほぅ。生糸は次回から不要だ。領内で採れるからな。その分他の物を積んで来るよう手配してくれ。素材の生糸は不要だが、加工した織物は歓迎するぞ。大陸の意匠は参考になる。それと、明の者はこちらからは何を希望しているか分かるか?」

「承知致しました。そのように手配致しましょう。それから明が望むものでございますが、彼らは刀剣、和の工芸品、銅や硫黄を望んでおりまする」

儂が応えると、治部大輔様が"ハッハッハッ"とお笑いになった。

「で、あるか。偶然にも我が領の特産品ばかりではないか」

「仰せの通りでございます。駿河の地が明へ本格的に知られれば、この地には明から船が押し寄せるでしょう」

「で、あるの。果ては南蛮の者も来てもらいたい。となると寄港したもの達が寝泊まりする場所が必要だな。出来れば外の者は用宗に留めたい」

「それがよろしいでしょう。よからぬ者が入って来ぬとも限りませぬ」

「うむ。異人は専用の区域を作ってこれに留める。当面はそうしよう。取引はその方らをはじめ許可を与えた者としてもらう。そのうち身元がはっきりしたものには内陸への上陸と自由な取引を許可しよう」

それは有難い。我等にも利がある。これは益々駿府に力を入れねばならぬ。


「それでは府中へ行くとしよう。大きな馬車を持ってきた。二人とも乗るが良い」

治部大輔様の案内で先に向かうと少し大きな馬車があった。これが音に聞く馬車か。便利そうだ。だが、治部大輔様と共に乗る?そのようなこと……、


"御免"

考えているうちに、近習の吉良上野介様から不審な物を持っていないか確認された。胸元と腰回りを調べられる。馬車という狭い空間を共にするのだ。やむを得まい。


「上野介、不要だ。この二人が俺を害する利は無い」

"しかし……はっ"

「ここで俺を害したら府中での利を失うばかりか商家としての信を失うだろう。一族だけでなく番頭や手代を路頭に迷わすことになる。のう?」

治部大輔様が儂と助五郎殿を見る。お笑いになられているが、目は笑っていない。

「ええ、治部大輔様の仰せの通りでございます。治部大輔様へ手出しするなど恐れ多うごさります。それにお武家様に我等商人がかなうとも思えませぬ」

"そういうことだ。ただ、その方の俺を気遣う気持ちは有難く受け取っておくぞ"

上野介様が頭を下げて少し下がり、改めて治部大輔様と上野介様、儂と助五郎殿とで馬車に乗り込む。


吉良と言えば公方様の御一族だ。しかも"御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ"と俗に言われている。元々吉良の方が家格としては上のはずだが、上野介様と治部大輔様の間にしこりのようなものは感じられない。むしろ確かな信頼がおありのようだ。



「大変に乗り心地がよいですな」

用宗を後にしてしばらくすると、助五郎殿が感心したように話した。

「で、あるか」

車窓を眺めながら治部大輔様がお応えになる。

馬車そのものに驚きは無い。洛中で見かける牛車と左程変わらぬはずだ。驚くのは揺れの少なさだ。港からしばらく走ってもこの速さとこの静かさということは、それだけ道がよいということだ。


儂も車窓を覗いてみると、輜重車を追い抜く所だった。今川より売り出された輜重車は堺でも見かける。使い勝手がよいと商家に評判だ。ゆるゆると走る輜重車は大量の荷を積んでいた。駿府は堺と異なって港と市街が離れていると聞いていたが、これならば問題無い。駿府が重要な支店になると確信した。


"安倍川"と高札の立てられた大きな川に架かる、これまた大きな橋を越えると馬車が停まった。関所だろうか?関所であれば橋の前に作りそうなものだが……。


"南方は進んでよし!"

黒い軽装の具足に“親衛隊”という腕章をした男が大きな声で手旗を降っている。我等の方には赤い旗を向けて制止するよう示している。

「これは……関所でございますか?」

助五郎殿が興味深そうに眺めている。


「最近は馬車や輜重車がかなり増えてな、ここは特に交通の量が多い。人を配置して動きを差配しているのだ」

交通を整理しているということか。なれど治部大輔様まで待つとはどういうことだろうか。

「治部大輔様までお待ちになるのでございますか」

助五郎殿が続けて質問をしている。やはり商家だな。聞きたいところが同じのようだ。


「明船を見に行く手前、家紋を入れていない馬車で来たからな。丸に二引の紋が入っていれば違うぞ。まぁ今も旗降りをしている者にあえて言えば優先になるが平時だ。有事でも無ければその必要はない」

なるほど、兵の動員時などは違うのだろうが、平時は武家も商家も自由に往来しているということか。


「商いの場所としては良さそうだ。二人ともそのように思うたであろう?」

治部大輔様が笑いながら問うて来た。心から"はい"とお応えした。



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