第四十二話 蠢動
天文二十年(1551)三月上旬 尾張国愛知郡那古野 萬松寺 平手 政秀
「勘十郎と申したか」
「はっ。桃厳が子で末森城主をしております織田勘十郎信勝にございまする。武衛様におかれましては、わざわざのお越しを賜りましてこの勘十郎、感謝の念に堪えませぬ」
「ほぅ。これは何というか……。礼には及ばぬぞ。桃厳は尾張への功労者である。その功労者の葬儀に守護が出向くのは当然のことである」
尾張守護たる武衛様に、勘十郎様が深々と頭を下げている。勘十郎様の後ろには林佐渡守殿と柴田権六が控えている。すっかり当主のようなお振る舞いだな。この葬儀もほとんど勘十郎様と付き人達の独断で進められていた。“末森城を引き継いだ某が準備する故、兄上は喪主として堂々として頂くだけで構わない“と仰せだったが……。
「勘十郎、此度は大変であったな。だがその方はしっかりしておる。以後もよろしく頼むぞ」
「勿体なきお言葉、誠心誠意忠義に励みまする」
勘十郎様の殊勝な態度に、武衛様が満足そうに応じられている。武衛様に勘十郎様が認められたのを快く思ったのか、佐渡守殿や権六が顔を見合わせて頷いている。愚かな……。武衛様が認めるということは駒として使いやすいと思われたからではないか。桃厳様は武衛様を立てつつも、指図を受ける事は無かった。武衛様は弾正忠家に指図をしているように思っていても、それは桃厳様がそう運んでいるだけという場合が多かった。
「勘十郎、葬儀の差配大儀である」
「これは大和守様。ありがとうございまする」
「此度は誠に悔やんでも悔やみきれぬ。桃厳殿という大きな柱を失って、その方も不安なところ大であろうが、今後は主家を頼りにするが良いぞ」
「ははっ。ありがたきお言葉。勘十郎、肝に銘じまする」
主家にあたる織田大和守様が、勘十郎様に親しくお言葉を掛けられている。大和守様の後ろには腰巾着のように御家老の坂井大膳殿がいらっしゃった。大膳殿が値踏みするような目で勘十郎様を見ている。大和守様はいつもの通り無表情だ。このお方はお顔から腹の底が読めない。“今後は主家を頼りに”か。一見すると勘十郎様に優しくお声掛けされたように聞こえるが、取り方によっては桃厳様を批判されたようにも聞こえる。
「織田伊勢守だ。当家としても勘十郎殿に期待しよう」
「ありがたきお言葉、どうぞよろしくお願い申し上げまする」
続けて岩倉織田家の織田伊勢守様が見えた。大和守様と異なってこのお方はお顔に出やすい。桃厳様や三郎様よりも勘十郎様の方が御し易い。都合が良いとお思いなのだろう。何となくそのようなお考えをお持ちだと伺える。もっとも、勘十郎様が伊勢守様の腹の内を分かっていらっしゃるのか否かは分からぬ。
「ところで武衛様を待たせるとは何事か。なぜ三郎殿はおらぬのだ」
伊勢守様が声を荒げて仰せになった。
「そうじゃ。三郎はどうした。喪主がおらぬのでは始まらぬぞ。参列している多くの僧たちにも申し訳が立たぬ」
続けて大和守様が醒めた表情で、儂に向かって話しかけられた。
「はっ。今しばらくで見えるかと……」
おかしい。殿への使いは勘十郎様が大分前に出しているはずだ。当初、殿の迎えは儂が行く手筈であったが、勘十郎様が"兄弟で万事葬儀を執り行って皆を安心させたい。全て某に任せて欲しい"と仰せになられた。先程も末森城の者が迎えに行ったと確認したが……。まさか!?
「兄上への使いは大分前に出したのだがな。確かに可笑しいの。今一度使いを出してくれるか?佐渡守」
「はっ。かしこまってござる。しかし困りますな。大勢が待っている中でお見え頂けぬとは。しっかりして頂きたいもので」
佐渡守殿が呆れたように申している。
……。儂は見逃さなかったぞ!勘十郎様が僅かに笑みを浮かべたのを……!
これは謀られた!謀(はかりごと)じゃ!
一刻も早く儂が使いを出さねばと席を立とうとすると、入り口の方が姦しくなった。
"おぉ!"
"あれは"
三郎様、いや殿がお見えになったようだ。
殿のお姿が見えた。き、着流しでお見えになるとは……。思わずため息が出た。いや、使いの遅さを察してやむを得ずそのままのお召しでお見えになったのかも知れぬ。
「勘十郎っっっっ!!」
物凄い声と形相で殿が叫んだ。
「これは兄上。随分と遅い登場でござりますな」
呼ばれた勘十郎様が冷静に応じられている。
「その方、何か釈明することはあるか!」
「釈明?某がでござりまするか?藪から棒に何でござりまするか」
本当に驚いたように勘十郎様が応じる。勘十郎様の様子を見て、殿のお顔が益々怒りの様相を帯びていく。
「小賢しい奴めっ!もういい!」
言い放ったかと思うと、ドカドカと前に進んで焼香台の前に立たれた。"ガシッ"っと抹香を掴んで、位牌に向かって投げつけた。
“なんと!”
“おぉっ”
“野蛮な”
場がざわついている。
……殿。爺は分かりますぞ。あまりに早い桃厳様の死、それに旗頭は誰か、あわよくば己がならんと早速に腹の探り合いを始める卑しい者たちへの怒り……これがそうさせたのでござろう。なれど、なれどなりませぬ。その行動は勘十郎様を利するだけにござりまするぞ。それに弾正忠家が一枚岩でないと他家に見せるようなもの……。
「爺!帰るぞ!」
皆々の前で具申するわけにもいかぬ。呼ばれるがまま、黙って殿の背について行った。皆の若殿への嘲笑を感じる。
……。
“どすんどすん”と大股で進む殿の背を見て悟った。
殿は全てお分かりに違いない。桃厳様が亡くなるや、すぐ簡単に掌を返すような者達とは組まぬ。そのように背中が語っているように感じた。
あえて茨の道を行く、か……。
もう一人の守役たる佐渡守殿は勘十郎様に付いた。三郎様はこの儂が支えねばならぬ。
天文二十年(1551)六月中旬 駿河国安倍郡府中 浅間神社 朝比奈 泰能
「陰陽~ッッ」
馬上の岡部丹波守が大きな掛け声と共に弓を放つ。
"カコォーン"という高い音と共に、標的の木枠が砕け散った。
"オォ~"
"たまげた"
観衆達から大きな歓声が上がる。
「陰陽~ッッ」
"カコォーン"
二の的も打ち砕いた!後は三の的だけだ。
馬がものすごい速さで的に迫る中、馬上の丹波守が弓を放つ。
「陰陽~ッッ」
“カコォーン”
当たった!
観衆から一段と大きな歓声が上がった。見事だ。三つの的全てに的中させるだけでなく、馬の駆け足も早かった。
「見事じゃ」
「ありがとうございまする」
戻ってきた丹波守に向かって労いの言葉を掛けると、うれしそうに丹波守が応じた。
「このままだと、恩賞は丹波守殿になろうな」
「まだ分かりませぬ。備中守殿がおりまするゆえ」
"いや、全て当てるのは中々に難しい。分からぬぞ"と謙遜しつつ、簡単には敗けられぬと心の内で闘志を燃やす。
"朝比奈備中守殿!"
司会役に名を呼ばれて馬場元へ向かった。
馬場元で馬と息が揃うのを待つ。
馬と呼吸があった!
よし、行くぞっ
男埓と女埓の間を馬が駆け始める。よし、大丈夫だ。
馬が駆け出すやすかさず矢の準備をする。
一の的まで二十間だ。刻は無い。
「陰陽~ッッ!!」
若い者には負けられん!腹の底から声を出した。
"カコォーン"
的中した事よりも、次の的の事を考える。二の的までは四十間しかない。馬は既に全速力だ。無心で矢を構える。身体が覚えている!
「陰陽~ッッ!!!」
"カコォーン"
さぁ次で最後じゃ。
的までは四十三間。直ぐそこだ。
「陰陽~ッッ!!!」
"カコォーン"
的が割れる音と共に、どっと歓声が聞こえた。
「どぅどぅどぅどぅ」
馬場末の扇持ちに当たらぬように馬の速度を一気に緩める。歩く早さになったあと、"よくやったぞ"と言いながら馬の首を軽く叩いた。儂の気持ちが通じたのか、馬も喜んでいるように感じた。
大観衆の方を見ると、遠目に息子の弥次郎が見えた。感心したような顔と自分の不甲斐なさを悔やむような顔が入り交じっているように見えた。元服したばかりの弥次郎は、今回初めて流鏑馬に参加している。調練では何度か全部的中させていたが、観衆を前に委縮したようだ。一本しか打ち抜け無かった。
「備中守。見事だったぞ」
若殿が近づいてきてお褒めの言葉を賜った。
「はっ。お褒めに預り恐悦至極に存じまする」
「謙遜するな。見よ、この大観衆を。丹波と備中を称える声ぞ」
若殿の手招きで大観衆の方を見ると、皆が思い思いに我らを称えていた。武士の誇りを擽られたようじゃ。悪い気はしない。
流鏑馬を開催するのも参加するのも初めてではない。今までも定期的に行われていた神事だ。だが今年は観衆を入れてやろうと若殿が仰せになった。
的には"厄"の文字が書かれ、厄を敵に見立てて弓を放つ。観衆たる民は、騎手が厄払いの的を砕く度に文字通り厄払いの恩恵を受けるという神事になされた。武士としても、観衆がいると勝手が異なる。雑念があると的を外す。当てれば歓声が上がる。中々にやりがいがある。それにしても若殿は人の心を掴むのが上手いの。民は新たな娯楽を、武士は調練の成果を披露する場を得たことになる。
「丹波や備中程の技量は無いが、俺も参加させてもらおう」
「若殿が!?」
「なんだ、元よりその方ら程の技量ではないと申しているだろう。そうだな、弥次郎が一本当てていたな。俺も一本当てるのを目指すとしよう。まぁその方らが盛り上げた後だ。全く外して盛り下げることは避けたいな」
若殿が可笑しげに仰せになったかと思うと、直ぐに騎乗の人となった。やはり若殿の馬である大鹿毛は大きいな。体躯のしっかりした若殿によくお似合いだ。
若殿が馬場元に向かわれると観衆達からどよめきが起きた。丸に二引の紋が入った狩衣を着た若武者が現れたのだ。さすがに貴人が登場したことくらいは分かるだろう。所々で"若殿だ"と声も上がっている。
始まった!
大鹿毛が少し体勢を崩す。一の矢が外れた。
観衆からため息が溢れた。
馬が速度を上げる。大きな馬が主人を乗せて堂々と走っている。若殿が矢を放つ。二の矢は当たった!どっと歓声が上がる。
狩衣に飾り矢が美しい。若殿の射方も綺麗だ。そこはかとなく気品を感じる。
"カコォーン"
駿河細工の手が加えられた飾り矢が、大きな音を立てて三の的を砕くと、会場は万雷の喝采に包まれた。
若殿が右手を上げて応える。
雪斎殿からお聞きした話を不意に思い出した。
昔、唐は漢の時代に韓信という大将軍がいたらしい。
時の皇帝、劉邦が韓信に"朕は如何程の将であろうか"と問うた。
韓信は答える。"陛下はせいぜい十万の兵を率いる将でしょうな"と。
"では、その方はどうなのだ"続けて劉邦は問うた。
韓信は答える。"私は多ければ多い程よろしゅうございます"
"ならばなぜその方は朕の虜になったのだ"劉邦は笑いながら問うたと言う。
"陛下は将の将たり。これは天授のものであって人力にあらず"と答えたという。
若殿の矢は三本当たらなかった。だが民の盛り上がり様はどうだ。
韓信の言葉が重なる。将の将が其処におはすと感じた。
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