第四十一話 土肥金山




天文二十年(1551)一月下旬 伊豆国田方郡土肥村 土肥金山 今川 氏真




「若殿、こちらがこの金山で採れた金になりまする」

伊豆介が、袱紗がのった三方を差し出してくる。袱紗を開くと、砂金よりも随分と大粒の金が小山になって載せられていた。


「ほぅ。大きいな」

「はい。こちらの金山では随分と大きな粒で金が採れまする。それもかなりの量が」

悪徳商人のような顔をして伊豆介が俺に報告をしてきた。

"フッフフ"

思わず笑みが溢れた。

「結構な事では無いか」


今回は土肥金山に来ている。織田との和議によって西部戦線が小康状態となったため、領国の内政開発に注力することにした。父上と雪斎も、しばらくは被害を受けた軍の再編に努め、三河支配の強化、その後は水面下で調略活動に力を入れて行くと聞いている。


それにいよいよ織田弾正忠の体調が優れないようだ。昨年末辺りから弾正忠名、つまり信秀名の発給文書が一枚も出ていないらしい。家督を譲ったならまだしも、弾正忠家の当主はまだ信秀のはずだ。当主の文書が全く出回らないのは異常事態と言える。


一方で三郎名の文書は増えている。それと同じように増えているのが勘十郎の文書だ。表向きは兄弟で協調して事に当たっているように見えるが、誰もそんな風に見ていない。キナ臭くなってきたと思っている。雪斎によれば、和睦の確認という体で再び山口左馬助親子と会見したところ、以前より不安気だったようだ。今後も部下を遣わせて定期的に会見し、時機を見て切り崩すと言っていた。今川の実力者たる雪斎自ら対応しているのだ。山口親子にしてみれば今川と織田のどちらが近く感じるか言うまでも無いだろうな。


だが、今すぐに調略するのは不味い。和議から間が短すぎる。少なくとも信秀が死んでからだな。父上も雪斎も同じ考えのようだ。それに山口親子は織田方の情報源でもある。上手く転がして置くだけでも価値がある。



それにしても、土肥金山か……。流石は江戸幕府初期の金本位制確立を支えた金山だな。少し掘るだけでこれ程採れたか。土肥金山は江戸初期には佐渡に次ぐ金山と言われ、莫大な金を産出した。この金山で採れる金を後ろ楯に、大久保長安が権勢を誇った。その有望な金山を開発するために日影沢の金堀衆を派遣して本格的な開発をした。東部方面の視察を兼ねて進捗を確認しに来ている。


もともと土肥金山はこの時代でも無名ではない。室町幕府から奉行を置かれる程には知名度があった。だが採掘技術がそれほど高くなかったため、取り立てて産出量が多いわけでは無かった。それが今では日影沢を優に越える産出となりそうだ。幕府に見つからないよう慎重にやらねばならんな。戦乱が伊豆にまで及ぶに至って、室町幕府から派遣される土肥金山奉行は形骸化したが、産出の増を聞いて思い出されてもかなわん。


「小三太、北条の動きはどうだ」

金を眺めながら、伊豆に来たもう一つの目的を確認した。

「目立った動きはありませぬ。尾張出兵が始まってしばらくは国境の兵を幾らか増やしていたようですが、真面之要塞を越えて攻めようとする程ではありませなんだ。その兵も既に下げられ、常の兵力になっておりまする」

旅籠の主人といった成りで小三太が応える。小三太は元伊賀忍で、俺の臣下となってからは伊豆介の元で東方面の組頭となっている。熱海では本当に旅籠を経営して隠れ蓑にしているらしい。旅籠の主人の成りは、優し気な見た目をしている小三太によくお似合いだ。


「で、あるか。一連の北条の動きをその方はどうみる」

「はっ、北条方は余程の事が無ければ攻めるつもりは無かったかと。当家と織田との戦いが泥沼化、あるいは当家が全滅するような大敗をしたときに攻め入る用意だったと思いまする」

「で、あるか」

「はっ。真面之要塞は北条方からみれば堅牢な要塞に見えましょう。地形も手伝って、相当の兵力で攻めなければ落とせぬと思っているはずでごさりまする。本気で攻めようとするならば万の軍勢を動員するはずです」

「あい分かった。ご苦労だったな」

“はっ”と小三太が応じたかと思うと、軽やかな身のこなしで去っていった。さすがは上忍だな。先ほどまで旅籠の主人の格好で好々爺としていた小三太が、忍者だったと気づかされる一面だ。常に油断をするなと気付きを与えられたような気がする。


それにしても真面之要塞か、相変わらず人から聞くのはこそばゆいな。




天文二十年(1551)二月中旬 富士郡上中里村 先照寺 富士 信忠




門の前で治部大輔様をお待ちしていると、よく見慣れた三浦左衛門尉殿の顔が見えた。そのすぐ後ろに狩衣姿の若い男がいた。微かに記憶している治部大輔様、お会いした時は龍王丸様であったが……、当時から大きかった。それでも記憶している容姿からまた少し大きくなられたようだ。


「この度はこのような奥地にまでお越しくださり、誠にありがとうございまする」

このような奥地にわざわざお越し頂いたのだ。丁重に労いの言葉を述べると、治部大輔様が柔和な笑みを浮かべて応じられた。

「一度こちらには来てみたいと思っていたのだ。中々時がなかったので遅くなってしまった。聞き及んでいると思うが織田との戦いが落ち着いてな。熱海や伊豆方面の視察の帰途に寄らせてもらった」

"左様でございまするか。さっこちらへどうぞ"

視察にお見えになることは、事前に左衛門尉殿からお聞きしている。治部大輔様は内政に熱心な方だ。西が落ち着いたのでゆっくりと伊豆をまわられたのだろう。


客間に御案内すると、この屋敷一番の景色である縁側からの雄大な富士が目に映った。来客の皆が感嘆の息をもらしている。


「これはまた、一段と富士の山が美しいの」

治部大輔様が感慨深そうに富士を眺めて仰せになった。確かに美しい。毎日見ても毎日思う。富士は美しいと。

「富士にわずかに掛かる木は櫻であるか?」

「その通りでございまする。櫻の季節には一段と美しく見えまするゆえ、またぜひお越しくださいませ」

「で、あるか。折を見て伺うとしよう。しかし、誠に美しい姿だ」

治部大輔様が富士の山をまじまじと、なぞるようにご覧になっている。暫しの時が流れた。富士の山は府中からも見えるはずだが、何か思うことがあったのであろうか。

「若殿」

こちらから促す訳にもいかぬ。じっと待っていると、庵原安房守殿が続きを促した。


「すまぬ。つい富士の姿に見入っておった。富士は幾度か噴火しているだろう。噴火の度に姿が少し変わるはずだ。今の姿とていつまで続くか分からぬ。何事も諸行無常じゃ。目に焼き付けておこうと思うてな」

治部大輔様にかかれば、富士の山でさえ諸行無常か。お若いのに随分としっかりされておられる。

「最近では永正の時代に噴火があったやに聞いておりまする。それにしても富士でさえ諸行無常とは、壮大なお考えにこの兵部少輔恐れ入りまする」

率直に感心していると、治部大輔様が富士を愛でながら"うむ"と応じられた。


「して、此度の用向きは何事でごさりましょうか」

「なに、大宮司殿とは遠目に会うだけでゆっくりと話す機会が無かった。先の甲斐出兵では世話になったゆえ、ゆっくりと話したいと思ってな」

なるほど。わざわざ礼にお越し下さったのか。あの時は軍勢の通行支援と北条方面への抑えの礼として、治部大輔様から少なくない礼金を受け取っている。無論、寄進という形ではあるが……。

「何を仰せになりまするか。私どもこそ、多くの寄進を賜り、お礼を申し上げる次第にございまする」

儂が頭を下げると、治部大輔様が静かに頷かれた。


「北条だがな、此度は多少兵を動かしたようだ。だが国境を越えて攻める気までは無いらしい。今回来ぬのだ。油断はいかぬが、まぁしばらく国境は落ち着くだろう」

「左様でございますか。それはよろしゅうごさりました」

北条が攻めて来ないならば駿東の地には落ち着いた時が流れるな。

「せっかく戦が無いのだ。当面は内政に力を入れる。吉原や三島と言った駿東郡の開発にも力を入れるつもりだ」

吉原や三島か。吉原は我が領のすぐ南にあたる。影響が大きいな。もしかしたらこの話をしにお見えになったのやも知れぬ。

「それはそれは。付近が賑わうのは良いことでごさりまする。府中の賑わいたるや相当なもの。吉原や三島も同じく賑わうと宜しいですな」

既に府中の著しい発展に牽引されるように吉原や三島も少しずつ賑わいつつある。だが本格的な開発がされるということは今までの比では無い早さで発展するだろう。我が領もついていかねばならぬ。遅れれば民が吉原や三島に流れかねない。


「吉原には清酒の工場を作る。富士の麓で良い水が採れるからな。それに田子の浦湊も近い。府中で作った特産品の荷揚げもしやすい。幾らか安く清酒や府中の工芸品を富士の市に卸そう。甲斐向けに売るが良かろう」

ほう。清酒や府中の工芸品か。茶も頂けるかもしれぬ。甲斐から富士に来る行商は増える一方だ。安く今川家が特産品を卸してくれるのならば、我が領に齎す益は大きい。そうか、清酒の工場を作られるか。期待してしまうな。


今川殿は今や伊豆も治めておられる。武田殿、北条殿と向かうのにこの富士は要だ。我等と今まで以上に誼を通じておきたいと言うことかも知れぬな。那古野大須の浅間神社からは"治部大輔様は鬼神の如しと噂あり"と文があったが、中々どうして、お気遣い下さるではないか。


先の戦で今川勢の一隊が、常滑の城を微塵もなく焼いたらしい。一山が焦土と化したとか。織田方の調べではその将が治部大輔様ではないかと調べており、畏怖されているらしい。この若さで畏怖されるとは驚かされる。


これまで当家は今川殿や北条、武田殿とは対等な関係で付き合って来た。至近こそ今川殿との関係が深いが、従属した訳ではない。今川殿としては今や益々重要となった当家に便宜を図ることで味方にしておきたいのだろう。


「それは嬉しく存じまする。工場を作るのに何か支障があれば何なりと仰せになってくださいませ。大社も最大限ご協力いたしましょう」

「うむ、その節は何かと世話になるだろう。よろしく願いたい」

"はっ"

ありがたい話に自然と笑みが出る。

その後は世間話をして時を過ごした。大社が昔から付き合いのある菓子屋に作らせた菓子と茶をお出しすると、治部大輔様は殊の外嬉しそうに色々と菓子や茶のご質問を頂いた。


「さて、そろそろお暇をするとしよう。大宮司殿の素晴らしい歓待につい長居をしてしまった。礼を申すぞ」

「お慶び頂けたのであれば幸いにごさりまする」

治部大輔様が立ち上がり、おもむろに縁側に向かわれたかと思うと、富士を眺めながら"一つ忘れていた"と仰せになった。

"如何なされました"

横に立ってはさすがに無礼か。治部大輔様に向かって少しばかり座り直した。何事だろうか。別れ際の手土産でも頂戴出来るのだろうかと思いながら気楽に応じた。


「富士の地にはそろそろ、旗印をはっきりとしてもらおうかと思うてな」

先程までとは打って変わった低い声で、治部大輔様が話しかけてきた。視線は儂の方へは来ない。富士の山を厳しい表情で眺めておられる。一気に場の空気が緊張した。

「旗印……でござりまするか」


「で、ある。寺社勢力が自らの警護のために幾らか兵を持つのはいいだろう。だが、浅間大社のそれは完全な軍事力だ。であれば今川と共に栄えるのか、否か、はっきりとしてもらわねばならぬ。寺社勢力が不必要に軍事力を持つことを俺は好まぬ」

寺社として対等な関係ではなく主従関係となれということか……。そうか、今日の本題はこれか。強かだな。始めから服属を進めるのではなく、今川に付くことに利があると説いてから落としに来た。


「ま、すぐに応えよと言うわけではない。しばし考えて返答をもらえれば良い」

「いえ、謹んでお世話になりたいと思いまする」

深く平伏すると、"で、あるか。よろしく頼む"と言葉が掛けられた。


今や伊豆も抑えている今川と戦えば、我等とて苦しくなるのは間違いない。かといって武田殿や北条殿と組むのも気が進まぬ。今川と共に生きるとしよう。ならば返事は早い方が良い。

治部大輔様、いや、殿に頭を下げることに抵抗は無かった。




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