第四十話 敦盛




天文十九年(1550)十二月上旬 尾張国愛知郡末森村 末森城 織田 信秀




"人間五十年 下天の内を比ぶれば"

三郎が儂の頼みを受けて敦盛を舞っている。

すっかり身体も出来てきた。中々様になっている。


五十年……か。儂は生きること叶わぬようだ。四十と少しで閉じることになるだろう。

"夢幻の如くなり"

誠、誠に夢のような一生であった。物心ついてから今日まで休まず走り続けたような気がする。


"一度生を享け 滅せぬもののあるべきか"

扇子を閉じて三郎が手前に座った。


「これでよいか」

「うむ。礼を言うぞ。冥土へのいい土産になった」

「そんなこと言うなと言いたいところだが、もう駄目か」

「駄目だな。お主へ家督を譲って安定させるまではと思うたが、先の戦で無理をし過ぎた。身体がうんともすんともせぬ」

三郎が厳しい顔で儂を見ている。目に滴がたまっているように見えた。


「お主とこの様な時があと如何程あるか分からぬ。今宵は付き合え」

瓢箪徳利と猪口を持って三郎を縁側まで連れ出す。もう十二月だ。外の風が身に染みたが、美しい月が空にあった。

“どすっ”と三郎が隣に座る。徳利を向けると、無言で猪口を差し出してきて杯を受けた。三郎は下戸ゆえ余り酒はやらないが、今宵は清々しく飲んでくれた。


「儂が十四の時だ。父上が津島の商人どもを支配した」

突如話し出した儂に、訝しげな顔を浮かべながらも、三郎が静かに聞く。

「当時の弾正忠家は随分と小さくてな、攻める事が出来るところが少なかった。津島も攻めたというよりは警護をする関係から中に入っていったという所だな」

父上の顔を思い出す。

「これが思いの外上手くいってな。弾正忠家は津島から銭を、津島は弾正忠家からの武力で治安を手に入れ、両者は上手く協力する関係となった」

「その関係は今も続いているな」

「そうだ。弾正忠家は銭の力で強くなった。銭で兵を集め、その力をもって清州三奉行の中で揺るぎない地位を築き、果ては三河、美濃にまで手を伸ばしたのだ」


夜風が一瞬強く吹いた。常なら寒く感じたのかもしれないが、今日は気にならない。胸が温かかった。

「その方も知っておると思うが、次代は勘十郎にと推す者たちがおる」

「……母上もそうだな」

間をおいて、ぼそりと三郎が呟いた。

「そうだな。だが儂は跡を継ぐのはその方しかおらぬと思うておる。本当ならば今少し生きながらえて、その方に家督を譲り見守ってやりたかった。あい済まぬ」

三郎が遠くを眺める。儂から顔を背けながら“是非も無し”と呟いた。三郎の目からは涙が流れるのがうっすらと見えた。



静かな時が流れる。心地よい一時だ。くいっと猪口の酒を煽る。

「しかし、この清酒は誠に旨い。今川が作った毒だな」

「毒と分かっているならば、その位でやめた方が良かろう」

「今さらやめたところで助からん。ならば死ぬまで好きにするさ」

空いた猪口に酒を注ぐために徳利を取ろうとすると、三郎が徳利を取り上げ、ぶっきらぼうに酒を注いできた。


「津島や乱波どもの調べによれば、この清酒は治部大輔が作っているのでは無いかとの事だ」

津島からも少なくない銭が駿府へ流れている。清酒や茶といった今川の特産品のせいだ。特に清酒は天井を知らない。商人たちは物の流れ、製法を必死に探っている。


「参議では無くて治部大輔の方か」

「うむ。今川は秘匿しているがな。作り方はまだ分からぬようだ。確かであれば恐ろしい事よ。元服間もない身で銭を稼ぎ、朝廷の覚えも愛でたく、先の戦では中々の働きをしている」

三郎の表情が、哀愁を帯びたものから厳しいものへと変わった。儂との別れよりも、この先の苦労を考えているのかも知れぬ。


「まさか朝廷が出てくるとは思わなかったが、此度今川と和議が結ばれた。とは言え、再び刀をまみえることは間違い無い。その時はまた今川の大軍が攻めて来よう」

「そうだな。今川にとって尾張は上洛途上だ。邪魔になるし治めたい土地だろうな」

「この和議は弾正忠家に取っても悪くない。尾張を統一し、美濃と手を携え、来る今川との戦いに備えるのだ」

「……言うは易しだぞ。親父殿」

三郎の言うとおりだ。尾張は肥沃で銭も稼げるよい土地だが、勢力が割拠し過ぎている。守護の斯波家、岩倉織田家、清洲織田家、弾正忠家……。佐治や山口といった有力諸侯も、どこに勢威があるかを常に見張っている。


「良いか。敵が大軍であろうと諦めるな。彼を知り、己を知れば道は開ける」

「……孫子か」

うむ、うつけの様に見せていても、やはり兵法はしっかり学んでおるようだ。


「囲魏救趙という言葉もある」

「三十六計だな。なんだ。今日は軍略の講義か」

儂が満足気に頷くと、三郎が照れ臭そうに"ふん"と言った。

「敵が大軍で来ようとも、各個撃破しろということだな。そうか、親父殿が籠城を選ばなかった理由がよく分かったぞ」

「左様。援軍の無い籠城はそれだけで選択肢を狭める。わざわざ相手と同じ土俵にのるようなものだ」

「覚えておく。何と入ってもあの雪斎が率いる大軍を叩きのめした御仁の言葉だからな」

三郎の軽口に"ハッハッハッ"と声を出して笑った。




天文十九年(1550)十二月上旬 駿河国安倍郡府中 柚木 靖国神社 今川 氏真




持ちなれない笏のお陰で指が痺れた。神域で厳粛な空気の中、落とすわけにはいかぬ。少しだけ持ち処を変えると幾分か楽になった。


今日は新たに落成した柚木の神社に来ている。法隆寺の番匠をしていて、荒鷲が引き抜いてきた中井孫太夫に建てさせた神社だ。前世にあった護国神社と同じ場所、ほぼ同じ敷地になっている。神社の命名は迷ったが、結局靖国神社にした。国を靖んじる為に尊い犠牲となった者達を奉るための神社としたかったからだ。


もっとも、兵学校や大学校で教育を受ける親衛隊はまだしも、府中の民達は柚木にある神社と呼んでいるらしい。その内に柚木神社と呼ばれるかもしれない。国という概念に乏しい時代だ。民からしてみれば地名が呼びやすいのだろう。


神社には親衛隊の戦死者が中心に奉られている。せっかく建てたのだ。雑兵でも今川のために死んだ者は奉って行きたいと思っている。ま、少しずつだな。雑兵のためにそこまでするのかという者もいる。そもそも俺は軍については常備軍化したいのだが、家臣団の兵を常備軍化する改革は始まったばかりだ。直臣となった重臣達に銭を稼ぐ方法を教えて常備化をさせているが、しばらく時間がかかるだろう。定期的に進捗を確認して発破を掛けている。常備兵の場合は、家臣の兵であっても親衛隊との合同訓練を認めている。最新鋭の軍備を使える親衛隊との合同訓練は密かに人気がある。



今回参詣したのは神社が落成したことと、尾張出兵やこれまで俺の元で出陣して散った者達を弔うためだ。

人柱に最大限の礼を取りたいと思った結果、束帯に身を包んで参詣している。俺の他には、朝廷から正式に従五位下の地位に叙位されている草ヶ谷少納言が束帯に身を包み、三浦左衛門尉以下家臣や近習は直垂姿だ。


そう言えば今川館を出掛けに父上と鉢合わせた。ただでさえ公家被れな処のある父上は、俺の姿を見て手放しで喜んでいた。

"次の評定からその姿で出でるがよいぞ"

丁重にお断りしたが、雪斎も"いや、なんと神々しい"と冗談のような感想を言って父上を喜ばせていた。


束帯は石帯と言って、……これは前世で言うベルトだな。このベルトをきつく結ぶために苦しいのだ。狩衣に馴れると、進んで着ようとは思わない。


束帯の着方が分からぬと言うと、少納言が嬉々として教えてくれた。少納言の家は都落ちして久しいが、代々着衣の仕方を伝えて来ていたらしい。これは公家の執念だな。正式に着衣する機会が来て嬉しそうにしていた。


着替えは聡子も手伝ってくれた。当たり前のように、ごく自然な動きで手伝ってくれた。摂関家の子女は着替えの手伝いなんてしないんじゃないか?この時代はそうでもないのか?少し驚きながら"また頼むぞ"と言うと凄く嬉しそうにしていた。

聡子と美代が顔を合わせて頷いていた。もしかしたら二人で準備してくれたのかも知れないな。


"ザッザッ"

宮司のそろりそろりとした先導を受けて厳かな集団が続く。

進む度に玉砂利の小気味良い音が響いた。


参拝者だろうか。参道の隅に被衣の格好をした子連れの若い女性が平伏している。少し離れた先には老夫婦が砂利に額を付けて平伏している姿が見えた。遺族かも知れぬ。

戦死した親衛隊に遺族がいた場合、少なくない金が数年に渡って支払われる。まとめて渡しては浪費や窃盗の危険がある。少しずつ定期的に渡す事にした。


そのため、これを機会に為替の確立や銀行の設立を考えている。つい利を考えてしまう自分に、つくづく下衆な人間だと思ったが、安寧な世を作る志を強くすることで許してもらおう。




長い参道の途中に、参詣道に沿って塀のように続く細長い建物がある。中に入ると大人が何とかすれ違う事が出来る程度に細い。その壁を見ると木札がずらずらと掛けられている。


菅ヶ谷村 山下 弥七助

安西村 安西 権兵衛

西ヶ谷村 望月 伝助

籠上村 籠上 喜一郎……


戦死した者達の名を刻んだものだ。これはできる事なら石に刻んで作りたかった。だが石の加工技術がこの時代はそれほど高くない。諦めて木造とした。その代わりに傷みや朽ちたものは新しく作り直すように指示した。


親衛隊には武家の次男以下の溢れた男子から、明日をも知れないような貧しい生活をしていた者までいる。貧しい出身の者は苗字を持っていない者がほとんどだ。その場合は親衛隊に入隊が認められた時に名字帯刀が許されて姓を名乗り始める。村名の名字が多いのはこのためだ。


六十、七十……程の名前が書かれた札が並ぶ。

先の尾張出兵では、負傷者を入れると二百程の損害を受けた。杉山新右衛門と渡辺平三郎が率いた両翼の損害が多かったと報告を受けている。二人が若武者だから多かったのではない。織田勢の猛攻が両翼に集中したからだ。

友軍に倒れる者が続出する中で、二人の部隊は合戦が終わるまで高い士気を保って戦い続けたらしい。教育と訓練の成果だと思っている。




少し先に進んでいくと二の鳥居が見えてきた。二の鳥居をくぐると、拝殿が視界に入る。死者を弔う神社だ。決して華美ではないが、訪れる者の胸の内を厳粛にさせる趣があった。孫太夫は良い仕事をしてくれたようだ。


"どうぞこちらへ"

宮司の案内で拝殿に上がる。檜特有の香りが漂った。


芯去りの木材で建立された社殿の床は、大理石が敷き詰められたような上質感があった。

「神々しいな」

思わず言葉が出た。

「御霊達も喜んでおじゃりましょう」

少納言が応じる。


「そういえば少納言には建立にあたって色々と力を借りたな。礼を申すぞ」

「いえいえ、万事孫太夫が頑張っておじゃりましたぞ」

「で、あるか。後で話しておく」

「あれは中々の才です。城を作らせてもよい仕事をするやも知れませぬ」

孫太夫は江戸幕府の大工頭となる中井藤右衛門の父だからな。荒鷲は良い人材を引っ張ってきてくれたものだ。


「治部大輔様、それでは始めまする」

宮司から慰霊祭の開始を告げられた。“うむ”と応じて居住まいを正した。



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