第三十三話 帰国




天文十九年(1550) 三月下旬 山城国下京今熊野 今川邸 今川 龍王丸




「三好筑前守が家臣、松永弾正忠にござりまする。龍王丸さまにおかれましてはご婚約とのこと。この弾正、三好家を代しましてお祝い申し上げまする」


「今川龍王丸である。うむ、礼を申すぞ。まだ公卿の一部しか知らぬと思うたが耳が早いな」

俺の言葉に、不敵とも言える笑みで弾正が応じた。

「ささやかではありますがお祝いの品を持参致しました。お納め頂ければ有り難く存じまする」

「わざわざ忝ない。今日の用向きは俺の頼み事に対する回答であろう?来てもらった上に物までもらっては何だか悪いな」

「かようなことはありませぬ。誠に目出度い儀なれば、どうぞお納め下さいませ。それに……」

「それに?如何致した」

「……今川様には、三好一族が治める地にてご無礼がありましたゆえ」


……ほぅ。あの野盗の事か。仕置きしたのが我らだとよく分かったな。中々に優秀な忍を持っていると見える。弾正の顔を見ると、じろりと俺の顔を真っすぐに見ている。腹の底は読み取れない。こちらは涼しい顔をして応じた。

「はて……何のことか分からぬが、せっかく用意してくれたのだ。有難くもらうとしよう。それで?領国通過のご許可は頂けるのかな」


俺の問いに、弾正が懐から書状を出して差し出してくる。上野介が受け取って俺の下へと運んできた。

「そちらは筑前守からの書状でございまする。主より、今川様の領国通過を認める内容と伺っておりまする」

文を改めると、祐筆が書いたのか本人が書いたのか分からぬが、達筆な字で文が書かれていた。内容は弾正が申したものと同じだ。


「で、あるか。重ね重ね礼を申すぞ」

三好が断れば来た道を帰るだけだと思っていたが、三好長慶は領国通過を認めてくれた。とりあえず北畠具教の暑苦しい領国案内は避けられそうだと思っていると、弾正が“時に……”と呟いた。弾正の顔を見る。中々強面だな。目力もある。この大きな目で凝視されては怯む者も多かろうて。あながち某ゲームのイラストも間違って無いな等と思った。

「龍王丸さまにおかれましては、今の幕府をどう思われまするか」

ふむ。たかが領国通過の伺いに対する回答に、家宰である松永弾正忠久秀が来るとは何事かと思ったが……これが本音だな。

何と応えたものか。静かな時間が流れる。

「……そうだな」

弾正は静かに答えを待っている。


「遠目に見ると美しい、大きな船だな」

「遠目にみると美しく大きい……。では近くでみると?」

「所々色は落ち、中は穴が空いて水漏れも起きている」

“フッ、フフフフ”弾正が低く笑った。おいおい、想像通りの笑い方をしてくれる。

「幕府はどうするべきとお考えでござりましょうや?」

「そうだな。船を作り直すためにじっと我慢して金を貯めるしかあるまい。もしくは小さな、身の丈にあった船に乗り換えるかだな。できる事は減るだろうが、命脈は保つことができるだろう。そう、ちょうど芥川丸という頃合いのものがある」

俺の言葉に弾正がニヤリと唇を吊り上げる。


「大きな船を造るための資金を今川様が用立てる事は?」

今川の財力はかなりある。それなりの支援はできるだろう。だが俺はそんな勿体ないことはしないぞ。

「船はあまりに大きい。これを直すには多くの銭が必要となる。当家の力では限度があるだろう。今ここで当家が用立てたところで、焼け石に水となろう」

「今ということは後には援助すると?」

「後の事など誰にも分からぬ。今の事が分かればまずは十分であろう。違うか?」

腹に力を込めて厳かに応えた。弾正が目を大きく見開いて、驚いたような顔を微かに見せた後、ニヤリと笑って頷いた。

「……これはしたり。いや、ご無礼を致しました」


駿河、遠江、三河、伊豆の四カ国を治める今川の嫡男が上洛をしてきた。三好は日の出の勢いとはいえ、畿内を治め始めたのは最近だ。足利一門たる今川の存在が不気味で憂鬱なのかも知れぬ。しばらくは三好の勢いが続くはずだ。今川としては無駄に三好と敵対する必要もない。ここは一つ安心させておくか。


「大御所様と公方様が城を建てておるの。夏には完成するだろう。その後は戦になろうな」

弾正が"はっ"と応じて続きを促してくる。それにしても強面だねぇ。前世での長い人生経験がなかったら俺とて怯んでしまうわ。

「洛中を戦禍に捲き込むのは忍びない。城が完成して洛中で戦いになる前に、比叡山あたりで迎え討てないのか」

「下手に我が方が兵を出すと、比叡山の僧兵や六角勢が出て来かねませぬ」

ま、そうだろうな。容易に想像できる。

「で、あるか。洛中に火の手が上がるのは残念至極ではあるが、三好殿の気持ちもよく分かる。ゆえに、もし洛中が戦場となり、災渦を被る家々があれば、その時は復興の支援をしよう。父上には話をしておく」

これならば、復興に対する義援金という体裁になる。三好としては今川が幕府に加担しない確認が取れた一方、今川としては洛中を心配していたという証を残せる。父上もならぬとは仰らないだろう。


「ご配慮、ありがとうござりまする」

「礼には及ばぬ。無辜の民を憂いているだけだ」

今川は足利に力を貸さぬが、三好に貸すわけでもない。言質を取られぬように、あくまで民の為だと訴える。弾正の顔を見ると、僅かに笑みを浮かべて大きく頭を下げた。

「龍王丸さまがご意向、この弾正、委細承知仕りましてござりまする」


「時に」

平伏して、俺が去るのを待っていた弾正が何事かと訝しんでいる。

「弾正は茶に通じておるそうだな」

「嗜む程度でございまするが、一閑斎殿に師事しておりまする」

「で、あるか。そうだな、いつか共にしよう。楽しみにしておるぞ」

「は……はっ」

平蜘蛛を見せてくれと頼もうとしたが、まだ持っているか分からぬ。九十九髪茄子は、確かまだ手元に無いはずだ。


わざわざ引き留められて、何かと思えば茶の話であったからか、弾正が不思議な顔をして俺を見ている。強面ではあるが不誠実な印象は無い。頭の回転も早い。優秀な家臣なのだろう。残虐非道の極悪人には見えないな。全く……歴史書も当てにならぬな。




天文十九年(1550) 四月上旬 山城国下京今熊野 今川邸 草ヶ谷 之長




“近うよれ”

龍王丸さまに呼ばれてお部屋に伺うと、龍王丸さまと麿の他には誰もいなかった。雪斎禅師も近習もいないとは珍しい。近くまで寄って腰を下ろした。


「随分と良い物になった」

龍王丸さまが部屋の欄間や庭先を愛でながら仰せになった。

「ありがとうございまする。庭の手入れや装飾の一部を除けばおよそ完成しておじゃります。龍王丸さまの帰国までに間に合わせたかったのですが面目ありませぬ」

ほとんど屋敷は完成したが、細かなところが間に合わなかった。頭を垂れていると、“気にするな、面を上げよ”と言葉が掛けられた。


「庭に植えた櫻の苗木が花を散らすまで、どれだけ時がかかるかの」

櫻か。十年か、果たして二十年か。

「さて、どうでおじゃりましょう。十年か……いや、二十年かかるやも知れませぬ」

麿が応えると、龍王丸さまが“そういうことだ。気にするでないぞ”と仰せになられた。完成には時間がかかるということか。お気遣いを頂いてしまったようだ。


「内蔵助には在京中、世話になった。礼を言うぞ」

「勿体ないお言葉におじゃります」

龍王丸さまは明日、府中への帰途に就かれる。別れの場になると思ってはいたが、不意に礼を告げられ物寂しくなった。

「……龍王丸さまの無事の帰国を心より祈っておりまする」

“うむ”と龍王丸さまが頷かれる。いい頃合いだ。持参した小さな風呂敷を広げて木箱を取り出す。龍王丸さまは何が起きるかと面白そうに麿の手元を見ている。


「差し出がましいかと存じますが、これは麿からのお祝いの品でおじゃりまする。御笑納頂ければ幸いにおじゃります」

箱から茶碗を取り出し、龍王丸さまの前に置く。

「これは……!」

龍王丸さまが前のめりになっている。

「馬蝗絆では無いか!」

御存じであられたか。龍王丸さまが嬉々として器をご覧になっている。お喜び頂けたようで何よりだ。

「東山御物の一つでおじゃりまする。何とか角倉家から手に入れることができました」

「京の豪商角倉か。東山御物が出てくるとはさすがだな」

龍王丸さまが茶碗を丁寧に扱いながらお応えになる。

「唐物ゆえ不安でおじゃりましたが、お気に召して頂けたようで何よりでおじゃります」

「俺は和物が好きなだけで唐物が嫌いな訳ではないぞ。唐物とてこのように素晴らしい物はたくさんある。此度のこれは誠に嬉しいぞ」

じっくりと茶碗をご覧になったあと、龍王丸さまがおもむろに脇差しを取り出した。


「お主に与える。受け取れ」

「……これは……ありがたき幸せ」

恭しく刀を頂戴する。龍王丸さまのお召し物を賜る喜びもあったが、近習さえいない二人だけの場で、刀を頂戴できる信頼に何よりも胸が熱くなった。


「これからは近衛や久我、堺の会合衆とのやり取りも必要になる。その方は京における俺の代理だ。忙しなくなるだろうが頼む」

「お任せ下さりませ」

「うむ。それとな、これから京はきな臭くなる。守りの兵が幾らか必要であろう。この屋敷の常備兵を整えておくように。ただし、必要以上に集めるのは三好を刺激する。気を付けよ」

常備兵か。後で平次郎殿に急ぎ注意すべき点を確認しておこう。手始めに五十人位集めるか。弟にも本格的に手伝わせるとしよう。


「寂しくなるな。たまには府中に帰国すると良いぞ」

府中か、帰りたくても難しいな。"はい"と生返事をすると、すぐに龍王丸さまが"その方も、その方の父も仕事好きだから難しいかもしれぬな。もっとも多くの仕事を与えているのは俺だが"とお笑いになられた。確かにそうだ。日々忙しくしている間に月日が立っている。だが、充実しているのは間違い無い。


次にお会いするときが楽しみだ。頂いた脇差しを強く握って、一層の忠勤を心に誓った。



天文十九年(1550)四月上旬 和泉国泉北郡 堺 今井 宗久




「見送りご苦労」

龍王丸さまの言葉に、私と津田助五郎殿が頭を下げる。

龍王丸さまが堺から出港されるとお聞きして見送りに来ている。埠頭には今川の軍旗を棚引かせた軍艦が何隻か連なっている。


「出港までまだ時間が掛かる。せっかく来てくれたのだ。茶でも振る舞おう。義兄上もよろしいですか」

内府様がホホホと小さく笑いながら頷かれた。今川の艦隊は、私が見る限りでは既に出港の準備を終えている。そもそも、今川の軍が龍王丸さまを待たせるとは思えぬ。ましてや内府様までおられるのだ。ここは我らにお気遣い下さったと思うべきだろう。しかしこの場で茶の湯とはどういうことであろうか。


"上野介、あれを。新次郎は座る場所を用意致せ"

龍王丸さまが仰せになると、近習の井伊新次郎様が大きな敷物を敷かれて座る場所を作られる。皆で腰を掛けていると吉良上野介様が小さな箪笥のような物をお持ちになった。受け取った龍王丸さまが中を開けると、水指が入っているではないか!建水もある!龍王丸さまが箪笥の中から茶道具を取り出して点前をされる。


「これは驚きましたな」

助五郎殿が目を輝かせている。気持ちは分かる。私も大きく頷いた。内府様も扇を口に当てて、楽し気にご覧になられている。そんな我らを見て龍王丸さまが笑みを浮かべながら点前を進めておられる。

「これは臭水と言ってな、少し臭うが火が直ぐにつくゆえ許せ」

龍王丸さまが火打ち石と、琥珀色の液が入った鉄の筒のようなものを出したかと思うと、すぐに火を起こす。火打ち石を"カンカンッ"と打つと、筒に火が立ち上る。続けて筒の上に小さな鉄瓶を置かれて湯を沸かす。やがて湯が沸くと、箪笥から取り出した小さな茶碗と茶筅で茶を点てる。全てが驚きの連続だ。


「どうぞ」

龍王丸さまが内府様に献茶される。続いて我らにも供される。

「頂戴致します……。まさか軍艦を見ながら茶を飲む機会がくるとは思いませなんだ」

ズズッと飲みきった助五郎殿が笑いながら呟いた。

「日頃の茶とは趣向が違って、これもまた面白いだろう?」

「はい」

「何れは城攻めでもしながら茶でも飲もうと思うておるのだ」

龍王丸さまが仰ると、"婆娑羅じゃのぅ"と内府様が仰せになった。


このような道具や点前など見たことがない。ご自分でお作り、お考えになったのであろうか。龍王丸さまは豊かな発想をお持ちのようだ。それに旧来の価値観にも囚われない。


この方の代で今川はさらに大きくなるかも知れぬ。今から懇意にしておく必要があるな。それに茶の湯を嗜む身としても惹かれるものがある。個人的にも誼を結ばせて頂くとしよう。幸いにして婚儀にお声をお掛け頂いた。お見送りをした後、私も助五郎殿も準備をして堺を出でる予定だ。府中の賑わいが如何ほどか見定め、支店をどこに置くか……。それに龍王丸さまへの献上の品も考えねばならぬ。忙しい日々が続きそうだな。




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