第三十一話 野盗
天文十九年(1550)二月下旬 摂津国 芥川郡芥川宿 今川 龍王丸
「い、いま、店主を呼んで参ります」
「ええぃっ四の五の言わずにはよう出さんか」
堺からの帰途に立ち寄った宿で寛いでいると、階下から喧騒が聞こえてきた。覗いて見ると、甲冑を着た雑兵と思しき連中が押し掛けて来ている。
「何人いる?」
小さな声で吉良上野介に問いかける。
「一、二……入口に四名でございまする」
「少し離れて二名でおじゃりますな。入口を出て左に六間程の所に控えているでおじゃる」
草ヶ谷内蔵助が、二階の窓から外を確認したかと思うと小走りでやって来た。
「全部で六名か。伊豆介、こちらは何人だ」
「若殿を入れて十二名でござるが、ここは流すのがよろしいかと」
狩野伊豆介が暗に反対の意を示す。厄介事に手を出すなと言いたいのだろう。
「見てみぬ振りをしたとて、あ奴らは下でやりたい放題やった後、上にまで上がって来るやも知れぬぞ。その時はあの女将が死んでいるはずだ。であればここで仕掛ける方が後味は良いではないか」
俺の言葉を受けて、伊豆介が小さなため息を吐いた後、鯉口に手を掛けた。気持ちを切り替えたようだ。そう、こいつは元々武闘派なのだ。
「よし、刀を構えて追い払うぞ。こちらの方が人数は多い。案外あっさりと引くかも知れぬ」
「「御意」」
"行くぞ"
俺が小さく囁くと、皆が頷いて階下へと走って行った。先頭を切った上野介と草ヶ谷左近衛将曹が瞬く間に、雑兵の頭と思しき男の顔の近くに刀を構える。雑兵達はいきなり刀をもった俺たちの登場に慌てふためいている。
「下郎っ!命惜しくば去ね!」
相手を怯ませようと大きな声で叫んだ。
「何だお前たちは」
「お前たちこそ何だ。大方賭博でもして懐が寒くなったのであろう」
"ええぃ!くそっ!!引けぃっ"
上野介と左近衛将曹に刀を向けられた男が大きく叫んだかと思うと、蜘蛛の子を散らすように悪党どもが去っていった。
命知らずの馬鹿共では無かったようだ。
「ありがとうございます」
旅籠の主人が礼を申してきた。
「礼には及ばぬ。騒がしくて敵わなかっただけだ」
「お武家さまはどこぞの名のあるお方で?」
「名乗る程の者ではない。それよりもこのような事はよくあるのか?」
「へぇ。細川様の頃はほとんど無かったのですが、今の城主様になってからは柄が悪い輩が多うなりまして……。時折このような事がありまする。多少金を出せば退きますゆえ……」
「護衛を雇ってまではおらぬか」
「へぇ」
店主が銭を袱紗に包んでよこそうとしたのを断り、皆で部屋に戻った。銭など不要と言ってやった時の主人の“ぽかん”とした顔は笑えたな。
芥川山城主といえば三好長慶という先入観がある。だが伊豆介に確認した所だと、今は三好孫十郎という三好一族の者が治めているらしい。どうやら孫十郎の治世があまり良くないようだ。三好孫十郎……うん、全く記憶に無いな。誰か有名な三好一族が改名する前の名か?
「若殿、念のため洛中の陸戦隊に使いを出しまする」
「むしろ洛中へ急ぐ必要はあるか?」
「あと一刻もすれば日が暮れまする。夜道の方が危険でござる。今日はこの宿で夜を明かし、明朝早くに起つことと致しましょう。今の時間ならば明朝までに陸戦隊は間に合いまする」
「あい分かった。よきに計らえ」
「新右衛門、平三郎、急ぎ洛中へ戻って平次郎殿に増援を要請せよ。三十名程でよい。念のため各々別の道で行くように」
「「はっ」」
俺が応じると、伊豆介がすかさず杉山新右衛門政成と渡辺平三郎頼綱に使いを命じた。二人は親衛隊の一期生にあたる。今は修行中の身として伊豆介の指揮下に入れている。
二人とも駿河の土豪の家に産まれたが、戦で親を無くして転々とした生活を送っていた最中、親衛隊が設立されたので入隊したらしい。親を亡くして没落するまでは、家でしっかりと学問を学んでいたようで、隊で優秀な成績を修めたので今回の供回りに取り立てた。二人の腰に下がっている刀には、今川の家紋が入っている。成績優秀な者に下賜している特別な刀だ。
「若殿、今宵は念のため湯あみをお控え下され。階下からの襲撃ならばここで防げますが、この形状の一階では不都合がありまする」
「で、あるか。ならば夕餉も控えめにしよう。いざという時に腹が重くてはいかぬ」
“はっ”
伊豆介が厳かに応じた。
天文十九年(1550)二月下旬 摂津国 芥川郡芥川宿 今川 龍王丸
“ザー”と雨が降っている。
二月にしては珍しい本格的な雨だ。おかげでかなり寒く感じる。今朝方、三十名の陸戦隊が到着するや宿を後にした。増援を呼びに行った新右衛門と平三郎は驚くほど真面目で、洛中からまた芥川までわざわざ戻って来た。三十人の中に二人の顔を見たときは思わず二度見してしまったわ。何でいるのだと。二人にしてみれば俺の下に戻るのは当たり前だったらしい。親衛隊で厳しい訓練を積んできていたからか、二人が少し息を切らす程度だった事には頼もしく感じた。
「若殿」
伊豆介が小さな声で囁いてくる。
「どうした」
「少し先に行った雑木林に、兵が隠れておりまする」
「昨日の者共か」
「おそらく。なれど数が昨日より多うござりまする。ざっと二十はいるかと」
「二十か。雑兵のような輩にしては結構集めたではないか。それともどこぞからの刺客であったか?さて、この人数でも仕掛けて来るか見物だな」
「笑い事ではござりませぬ。念のため周りを固めまするぞ」
陸戦隊の者が前を固めて歩く。現地の大名を刺激しないように、皆の服装は旅装だ。俺も商家のボンのような身なりをしている。行商の集団だと間違えて掛かってくる可能性はあるな。雨のせいでただでさえ視界も悪い。むしろ伊豆介……荒鷲はよく伏兵に気づいたな。
幸い冬だから着込んでも分かりにくい。着物の下には動きの邪魔にならない程度に防具を着けている。
「先頭の若造を生け捕れ!さすれば褒美は思いのままぞ」
“わー”と大きな声を上げて、街道から死角になっている丘の裏から、甲冑を着た男たちが切りかかってきた。甲冑と言っても見窄らしい格好の者が多い。
“ぐはぁ”
“うわっ”
伊豆介の警告によって、予め前を固めていた陸戦隊の兵達が軽々と野盗達を押し返していく。
「こらっ逃げるなっ!払った分の仕事をしろ!」
聞き覚えがある。声の主を見ると、昨日宿に押しかけて来た男だった。金切り声を上げている。
“こんな強いとは聞いておらん”
“餓鬼の集団だと言うから”
襲ってきた者たちが、思い思いに物を申して散っていく。勢いを失った烏合の衆は脆いな。しばらくすると昨日の男が残るのみとなった。男とて残ろうとして残った訳では無い。主犯格のこいつは逃がさなかっただけだ。
「若殿」
俺が男に向かって前に出ると、伊豆介が俺を呼んだ。首を振って制してくる。
「遅れは取らぬ。上野介も将曹もいる。案ずるな」
俺が言うと、伊豆介が渋々承知した。
「畜生っ!何なのだお前はっ!」
男が俺の顔を睨みながら大きな声を上げた。心なしか顔に脅えが見える。
「お前こそ何だ。……とこれは昨日も似たようなやり取りをしたな。我らを襲うとは馬鹿なやつだ。あの程度でやられるとでも思うたか」
「う、五月蠅い!うっ……。ど、どうするつもりだ!!」
男が後ずさって体制を崩し、尻餅をついた。
“バシャッ”
男が砂を掴んだかと思うと、俺の顔を目掛けて撒いて来た!
目潰しか!
続けざまにスッと立ち上がって迫ってくる。
だが、卜伝師の剣に比べれば止まっているような剣筋だ。いや、比べるのも失礼か。軽く剣をいなした後、すかさず男が剣を握っている右手の甲を目掛けて刀を振り下ろす。
「ぐはぁっ」
男が叫び声を上げて刀を落とした。
手の甲からは鮮血が流れている。見るからに安物の男の籠手では、我が領名産の刀は防げなかったようだ。
「ひっひぃ」
砂の奇襲も効かず、手持ち無沙汰にもなって気弱になったようだ。男がそろそろと後ずさっていく。
「先ほどまでの威勢はどうした」
「ひぃっ……す、すまぬ。この通りだ。許してくれ……ぐ、はぁぁっ」
男の太ももに刀を刺して抜く。悲鳴を上げて男が座り込んだ。刺されたところを痛そうに抱えている。前世のドラマでよくあった"ズシュリッ"とした音も感触も無い。スッと入ってスッと抜けた感じだ。太ももだからな。骨に当たった感じもない。肉を絶つだけならこんな感じなのか。
「はぁっはぁっっ……やるなら……ひ、ひと思いにやってくれぇぇぇ!」
男が悶きながら叫ぶ。刀の切れ味が良かったのか血は思ったよりも出ていない。動脈に当たっていなかったのかも知れぬ。
「その方、誰ぞに頼まれたか」
首に刃を当てて尋ねる。
「し、知らん!あ、あの宿は宿代が高いので有名じゃ!金があると思うただけじゃ……あ、ぐふぅはっ」
次は左手の甲に刃を指した。今度は骨を掠めたか。グスリとした音と共に鈍く固い感触が手に伝わる。
「謀るとためにならぬぞ。幕府、三好に堺、いずれからの頼みではないのか?」
もはや襲ってきた時の覇気などまるでない。唇を青くしてわなわなと震えている。
「ば、幕府?なんじゃそれは!知らぬ知らぬ!……と、賭場で大負けしたから手っ取り早く銭を稼ごうとしただけだ!昨日は引いたが、頭数をそろえれば……わ、若造ばかりで、ハァハァッ……ぜ、銭を巻き上げられると思っただけだ!い、命だけは、命だけは……」
そうか。これは本当にただの悪党なだけかもしれぬ。
「若殿、某が片付けましょう」
伊豆介が冷ややかな目で男を見ている。伊豆介だけではない。皆が冷淡に、もしくは憤怒の目で見ている。主君の命を狙われたのだ。当然だろうな。
伊豆介が前に出ようとする。もしかしたら人を殺めたことのない俺を気遣ってくれているのかもしれぬ。
「伊豆介、手出し無用ぞ」
「御意」
「ひぃぃ……な、なにとぞ」
涙を流しながら男が懇願をしてくる。死ぬ覚悟も無いのに人を襲うからだ。同情する気にもなれぬ。
せめてもの武士の情けで一刀両断にしてくれよう。
"パシャッッ"
水を叩いたような音がした。
続けて"ゴトッ"と音がする。
心なしか雨が強くなった。
雨が刀に付いた血を流す。
治世が悪ければこのような輩が次々と出てくる。
為政者としての責を前に、心はいつになく醒めていた。
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