第三十話 会合衆
天文十九年(1550)二月中旬 山城国上京 近衛邸 今川 龍王丸
「若殿、織田十郎左衛門尉殿の蜂起、織田弾正忠殿に鎮圧されてございまする」
「であるか。思いの他早かったな。仔細は聞いておるか?」
信長の父親である弾正忠信秀が負けるとは思っていなかったので、左程驚かなかった。
「はっ。十郎左衛門尉殿はおよそ千三百の兵で犬山を進発し、春日井原付近まで瞬く間に進撃。龍泉寺の砦を攻略中に織田弾正忠殿の兵六百の反撃にあったようです」
「六百?犬山勢は倍以上の兵を有して負けたというのか」
「仰せの通りにございまする。犬山勢は日が暮れたために砦付近で陣を敷いて休息している最中、織田弾正忠殿の強襲を受けて散々に蹴散らされたとか。犬山勢も夜襲を警戒しておったようでござりまするが、弾正忠殿は春日井原方面に回り込んで犬山勢を強襲したため、十郎左衛門尉殿の将兵は内乱や謀反が起きたと勘違いする者多く、瞬く間に総崩れに陥ったようでございまする」
伊豆介が淡々と詳細を報告してきた。報告は取り急ぎ口頭で受けるが、戦闘詳報という形で書面でもなされる。この戦いは興味深い。戦闘詳報が出来たらゆっくりとみることにしよう。
戦闘詳報は最近設置した戦略方で保管され、戦略や作戦計画に活用される。戦略方といっても、まだ俺の所管で作ったばかりの小さな組織だ。吉良上野介を戦略方に任命はしたが、人手不足は否めない。まだ詳報をまとめたり、輜重方と連携して物資の所在や輸送に必要な日数をまとめるのが精一杯だ。今後は参謀本部のように作戦計画を策定できる組織にしていきたいと考えている。徐々に人手を拡充していかなければならないと思っているが、直臣と供回りだけで組織するのは限界がある。当面は内政の拡充が基本方針になるのは変わらないだろう。
「十郎左衛門尉はどうなったのだ」
「犬山へ撤退してございまする。弾正忠殿も追撃までは避けたようで」
「そうか、潰す好機であろうに」
「以前に比べて弾正忠殿発給の文書が減っているようでござりまする。もしかすると、体調が芳しくないのかも知れませぬ」
確かにそれはあるかも知れぬ。信秀は病死するはずだが……いかん。信長が焼香を投げつける事は覚えているのだが、家督相続が何時なのか、年号まで覚えておらんな。
「弾正忠が病か調べられるか」
"やってみまする"と伊豆介が頷いた。
「弾正忠は仮病で敵を謀った事もあったはずだ。慎重にな」
「御意にござりまする」
伊豆介が厳しい表情で再び頷いた。
天文十九年(1550)二月中旬 和泉国泉北郡堺 武野邸 今井 宗久
「これはこれは天王寺屋さん。お元気にしてはりますか」
我らの邸宅に訪れた天王寺屋の御当主を義父上が迎える。今川家から招待を受けた会場である大安寺まで共に行くためだ。
「これは一閑斎さん。手前は元気なだけが取り柄ですからね。それが無くなったらあきまへんですわ。一閑斎さんこそ身体を大事にしてはりますか」
「最近はこの彦右衛門があらかたやってくれますさかい、手前は楽をさせてもろてます」
“ハハハ”と笑いながら義父上が私を紹介した。
「彦右衛門と申します。よしなに」
「天王寺屋です。よろしゅうお願いします。これは手前の息子ですわ」
天王寺屋の当代が随行している若い男を指している。まだ二十代の半ばだろうか。
「助五郎と申します。以後よしなに」
優しげな笑みを浮かべて、助五郎殿が軽く頭を下げた。私も頭を下げて応じる。
護衛を連れて歩きだす。大安寺までは左程距離は無い。徒で十分な距離だ。
「ところで今日は今川様からのお呼び立てですが、天王寺屋さんは何とお聞きで?」
「手前どもには友野屋さんを通じてお誘いがありましてな。今川の若君がお会いになりたいと。食事を伴う茶の席だという他はお聞きしておりませぬ」
やはり天王寺屋にも友野屋が動いていたか。友野屋……。駿河を拠点にする豪商だ。今川の御用商人で、以前から名だけは聞いていた。最近では京や堺にも支店を出店して勢いがある。綿や石鹸、畳や椎茸等、今川で作られる産物の多くを友野屋が扱っている。仕入れたらすぐに売れる代物ばかりだ。行商や享禄屋からも買えるが、友野屋は数が揃っている。今回のような接点は大事にしておきたい。
「天王寺屋さんも左様でしたか。手前どもも同じでしてな。友野屋さんからお話があってからしばらくすると、今川の若君から直接文が届いて、上洛の折りには茶を共にしたいと」
「手前に来た文もほとんど同じ内容ですわ」
なぜ呼ばれたのか二人は不思議に思いつつも、新たな儲けの予感に楽しげに話している。
「今川の若様と言えば、内裏で行われた歌合で大変な評判だったとか」
「そのお話は手前もお聞きしました。天徳の歌合に勝るとも劣らぬもので、今川の若君の歌も中々だったと」
「お公家様に負けず劣らず、芸事に長けた方なのですな」
しばらく話をしながら進んでいると、会場となっている大安寺が見えてきた。門前には何人かが立って待っている。
「ようこそお越しになりました。手前は駿河の商人で友野屋次郎兵衛尉と申します」
ほぅ。この方が駿河の商人司か。御自らお出迎えとは驚いた。
「武野因幡守でございまする。今は一閑斎と名乗っております」
「津田助次郎と申します。天王寺屋の屋号で商いをしております」
二人が名乗りつつ、連れ人の私と助五郎殿を紹介する。お互いに一通りの挨拶を終えると、友野屋次郎兵衛尉殿が"どうぞ"と境内の奥へと案内をし始めた。
天文十九年(1550)二月中旬 和泉国泉北郡堺 大安寺 津田 助五郎
寺の僧の案内で待合から本席の場に移ると、禅語が軸に掛けられていた。
“
軸の麓には、精巧に作られた竹編の花入れに梅が一輪だけ活けられている。梅の蕾には少し雫が付いている。まるでここに生えているようだ。軸と花の風景が巧く調和している。この部屋が一つの空間のようだ。手前座を見ると、炉が切られている。これは珍しい。今日は炉の手前ということか。一閑斎殿と彦右衛門殿、父上の四人で待っていると、"手前も失礼致しまする"と、友野屋次郎兵衛尉殿が入ってきた。
「友野屋さんもご一緒願えるのですか」
一閑斎殿がにこやかに話しかける。
「如何にも。不調法ゆえ恐れ入りますが、何卒平にご容赦を」
「なんのなんの、手前とて嗜む程度にて……。それに今日の趣向には大変驚いておりまする。こちらこそ、このような場で何ぞ手違いがあればご容赦を」
一閑斎殿が嗜む程度と言うのは明らかな謙遜だろう。だが、今日の趣向に驚かれているのは偽りでは無いはずだ。唐物一辺倒な今日の茶席に置いて、竹の花入れとは驚かされる。それに、古筆ならまだしも禅語を軸に掛けるとは結構な気鋭だ。待合所の軸も"我逢人"と掛けられていた。釜もよく使い込んだと見える
「失礼致す」
声がしたかと思うと、勝手口から青年が入ってきた。濃紺の着物に薄い灰色の袴を召されている。続いて、一人目よりは幾分歳かさの若い男が入ってきた。ほとんど同じ格好だ。先が龍王丸さまで、二人目は近習の方だろうか。御両人とも地味というか質素だ。歌合でお聞きしていた華やかな印象とは随分異なる。
「今日は忙しい中よく参られた。今川龍王丸でござる。会えて嬉しいぞ。以後よしなに頼む」
龍王丸さまの威風堂々とした風格に、自然と皆の頭が下がる。
「手前どもこそお招きありがとうございまする」
父上と一閑斎殿が口を合わせる。
「これは草ヶ谷内蔵助と申してな、今日は半東を務めさせる。縁があれば今後もその方たちに世話になるだろう。よろしく頼む」
「草ヶ谷内蔵助におじゃります。よろしゅう願います」
内蔵助!赤鳥堂の影の番頭では無いか。父と一閑斎殿が"よろしくお願い致しまする"と頭を下げている。あの顔は算盤を弾いているな。長い付き合いだからこそ分かる。不意の出会いに、父も一閑斎殿も今後の算段をしているのだろう。
挨拶を終えると、膳が運ばれてきた。本膳料理だ。どの品も特別豪華な食材を使っているわけではない。だが彩りが豊かで盛り付けも見事だ。一口含んでみると、まろやかな深みを感じた。これは……砂糖が少し入っているだろうか。それに塩気も奥が深い。溜まりのような味を微かに感じる。……旨い!
「杯をどうぞ」
「これは忝ない」
内蔵助様が燗鍋を持って順に酒を注いでくる。清酒か。今川の特産だな。
「美味しゅうございますな。料理も酒もほんに素晴らしい。感嘆の限りであります」
一閑斎殿が誉めている。父上も"うんうん"と頷いている。
「左様か。それは良かった」
龍王丸さまが微かに笑みを浮かべている。内蔵助様も安堵したような表情をしている。
「なれど」
一閑斎殿が呟いた。父上や彦右衛門殿、友野屋殿が一斉に一閑斎殿の顔を向く。何を申すのかと憂慮する顔だ。
「これ程の用意、何ぞ我らに御用があってのことでしょう」
趣旨を聞くためか。父上も静かに頷いたあと、じろりと龍王丸さまを見ている。
「その方達は天下に名高い堺において、なお名のある商家と聞く。さぞかし多くの商人や大名と商いをしているのであろう」
龍王丸さまが手前座にお座りになって話し出した。その間にも内蔵助様が粛々と膳を下げては、新たな料理を運ばれる。
「お陰様で手広く商いをさせてもろてます。龍王丸さまにおかれましては、何ぞ手前どもにご用で」
捉え処の無い龍王丸さまの言を受けて、父上が可もなく不可もない言で応じる。
「日の本の外とも商いはあるのか」
龍王丸さまが鋭い眼差しを一閑斎殿や父に向けながら話される。国の外?唐や琉球との交易をご希望なのか?
「ございまする。唐や琉球、果ては南蛮まで」
「で、あるか。既に南蛮とも取引があるのか」
「南蛮との交易がご希望でござりましょうや。なれど彼らが来る頻度はまだ少のうございますぞ」
「ふむ。どの程度なのだ?出来れば我が駿河にも南蛮船を呼びたいのだ。手始めは唐からの船でも構わぬ」
ほぅ。今日の趣旨はこれだな。今川の産物であれば唐も南蛮も喜ぶだろう。だが果たして我々に利があるだろうか。
「難しい話になる。甘いものでも食してゆっくり考えるとしよう」
本膳が下げられ、縁高に入れられた主菓子が配られる。これはまた美しい菓子だ。縁高には侘助の花の形をした菓子が入っていた。
「無論、ただでとは申さぬ。その方らが良ければ駿河府中へ店を出す便宜を図ろう。今川の特産品を一定量卸すことも約する」
父の眉が動く。交易船が府中へ行くように便宜を図ると、堺に来る便数が減る可能性がある。だが、府中に我らの支店があるのなら悪い話ではない。いつかは交易船が自ずと府中に出張る可能性もあるのだ。取引出来る内に利を得ておくのは悪くない。
「やるだけやってみましょう。よろしおすな、天王寺屋はん」
「ええ。手前も方々に当たってみましょう」
「うむ。頼んだぞ。……一つ念を押しておくが」
「なんでありましょう」
利になりそうな取引の成立で微笑みを浮かべていた父と一閑斎殿の顔が曇る。
「まずは唐の交易船でも良い。ただ、あくまで南蛮との交易が目標だ。かといってバテレンは要らぬ。そこは心しておいて欲しい」
……これは驚いたな。
「……。龍王丸さまの存念、委細承知致しましてございまする」
父上が静かに申し上げている。今のご発言にある龍王丸さまの意向を汲み取られている。龍王丸さまは"南蛮船には来て欲しい。だがバテレンは望まぬ"とはっきり仰せになった。これは相当南蛮の事情に詳しいと見える。南蛮の商人と切支丹の区別ができる者など、この日の本に如何ほどおるだろうか。堺の商家でも分かっておらぬ者もいるだろうに。父も一閑斎殿もそう感じているはずだ。
「まぁ区分が難しいようなら致し方無し。その時は善後策を考える。無理を申して何時までも船が来ぬでは元も子も無いからな」
父が“はい”と頷く。先ほどまでの笑みを含んだ顔はそこに無い。難しい商いをしているときに見せる顔をしている。
「では粗方話もできたゆえ、茶を入れよう。回し出しも良いが、今日はせっかくの機会だ。皆々に用意させてもらいたい。なに、良い茶が入ったでな」
龍王丸さまが仰せになった後、半東である内蔵助様が茶碗を運んで来る。畳に置かれた茶碗を龍王丸さまが受け取って目の前に置かれた。袱紗を四方に捌いて清めた後、続けて茶入れと茶杓を丁寧に清める。どれも流れるような動きだ。仕覆を返される……。先ほどの袱紗を清める動きといい、これは陰と陽を考えておられるのだろう。茶入れも見事だ。瀬戸の肩衝であろうか。いや、あの色に形は瀬戸ではないな。赤茶色に黒く煤がかかったような一見地味なようで飽きの来ない代物だ。後で所望して拝見させてもらうとしよう。
「どうぞ」
龍王丸さまが点てた茶を内蔵助様が私のところへ運ぶ。黒々としつつも静かに光る茶碗の中には、美しい緑が広がっていた。一口含むと、言葉に出来ぬ奥深い味が広がった。
「結構なお手前で……。茶もさることながらこの茶碗、実に見事なものですな。無駄を削ぎ落したようで、圧倒的な存在感がある」
「一閑斎さんがお持ちの黒もよろしおすが、手前はこの赤茶碗も優しく、凛としていて良いと思いますよ」
父が配された赤茶碗をまじまじと眺めている。確かに父の言うとおりだ。赤は赤の良さが出ている。
「気に入ってくれたなら何よりだ。せっかくの縁だ。今日の出会いを祝して進呈しよう」
「ほほぅ。これを頂戴できると。ありがたく頂戴しましょう。どちらもはじめて見る器ですが、何処のもので?」
一閑斎殿が飲み切った茶碗を手にして、丁寧に眺めながら問うた。
「領内で作った代物だ。まだ所望であれば友野屋に相談するがよいぞ」
龍王丸さまが笑みを浮かべて次郎兵衛尉殿の顔を見られた。次郎兵衛尉殿も笑みを浮かべている。なるほど。駿河に堺の商家を呼ぶ代わりに友野屋さんは別の利を得ているのだろう。
「しかし……」
「しかしなんだ?」
しまった。つい思うていたことが口に出てしまった。龍王丸さまが私をご覧になっている。
「構わぬ。存念を申してみよ」
「唐物などの華美な代物が重宝される中で、この茶碗は一見地味な部類に入るもの。無論、飽きのこぬ良いものだとは思いまする。なれど、なぜこのようなものをお作りになろうとされたのか……。つい気になってしもうて」
「龍王丸さま、息子の無礼を平にご容赦を。この者、何にでも気にするたちでして……」
「構わぬ。茶の席では皆平等よ。某も唐物の良さは認める。だがの、和物にとて良い物はある。それにな、華やかな道具も良いが釜一つあれば茶の湯はなるものだ。であれば黒だけの、赤だけの茶碗でもよかろう。ま、格好よく申したが、ここは某の好みでもあるな」
“ハハハ”と龍王丸さまが笑われている。
……目の前にいる御仁は何者だろうか。
十と少しの人生で、このように深い茶を入れる事がかなうだろうか。
茶に対するお考えも相当に深く感じる。
目の前の御仁の計り知れぬ底深さに、畏敬の念を覚えた。
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