第二十九話 招かれざる客
天文十九年(1550)二月上旬 山城国上京 近衛邸 六条 美代
「綺麗な独楽ですね」
「国許で作った独楽でござります」
"二人で回してみましょう"と龍王丸さまが仰せになり、姫さまが独楽を回している。
「フフ、もうとまってしまいそうです。龍王丸さまのはまだ元気に回ってます」
「力が違いますゆえ。姫さまもお上手ですぞ」
二人が仲睦まじく遊ばれている。止まった独楽を見ると、繊細に絵が施されている。色も何色か使われ、職人の手が掛かっている代物だと感じる。
「あの……龍王丸さま」
「ん?何でござりましょう」
姫さまが小声で話しかける。恥じらいを帯びた時に見せる姫さまのお癖だ。
「その……姫では無く、聡子と呼んで頂けませぬでしょうか」
姫さまが龍王丸さまに向かって、顔を僅かに朱く染め、少し俯きながら問い掛けた。
「なれど、まだ某と姫さまでは……」
龍王丸さまが少しだけ驚かれている。気のせいで無ければ、少し照れていらっしゃるように見える。
「いずれ嫁ぐ方に、仰々しくされるのは心が痛みます」
姫さまがはっきりと龍王丸さまに思いを伝えられた。何度も修練した成果が出ている。最初の頃のように躊躇する様子も無く、はっきりと伝えることができた。
先日、姫さまが寂寥としたお顔をされていたので、如何されたのかお聞きすると、"今日も龍王丸さまが名を呼んでくれなかった"と仰った。"はっきりとお気持ちをお伝えになればよいのです“と私が申し上げたのだ。フフ、二人で行った修練を思い出すと、おかしくて笑みが溢れる。
「……聡子」
「はい」
「某は生来不調法者ゆえ、上手く加減ができませぬ。名を、と仰るのであれば、常の某で行かせて頂きまするぞ」
「構いませぬ」
「で、あるか。では改めてよろしく頼む。聡子」
口調は猛々しくなったが、優しげな面差しで龍王丸さまが姫さまを見ている。姫さまも笑みを浮かべて応じられている。微笑ましい姿だ。
「失礼致しまする」
しばらくすると、内蔵助様が小皿をいくつか乗せた盆を持って部屋に入ってきた。後ろには左近衛将曹様が続く。左近衛将曹様は茶をお持ちのようだ。
「どうぞ」
内蔵助様が姫さまと私に器を差し出す。
「まぁ、なんと可愛らしい」
姫さまが声を上げられた。確かにこれは愛らしい。皿の上には、兎の形をした菓子が乗っている。目と耳も描かれている。
「昨夜は満月であっただろう。月を眺めていて兎の菓子でも作らせようと思い立ったのだ。聡子と食したいと思うてな」
龍王丸さまの言葉に姫さまが嬉しそうに頷いている。
「さ、茶が冷める前に食するがよかろう」
姫さまが器を左手にもち、右手に黒文字を持たれるがその先に進まない。愛らしい兎に黒文字を指すのを躊躇っておられる。
「兎を刺すのが憚られるか」
「なんだか可哀想になってしまいまする」
「ハハハ、兎で斯様に思われるとはの、次は般若か鬼の顔で菓子でも作ろうかの」
「それはそれで恐ろしゅうて食せぬかも知れませぬ」
龍王丸さまの冗談(てんごう)に、姫さまが笑ってお返しになる。見ていて微笑ましい。
内府様から、今川参議様が婚姻を承諾されたとお聞きした。今は姫さまの下向を何時にするのか話しておられるとも。内府様としては、姫様がご不在になるのは寂しくなるが、洛中に不穏な空気が漂っているため、早い方が良いとお考えのようだ。下向や婚儀の段取りが決まり次第、正式にこの件を帝に図るとも仰せだった。多くの公達は驚かれるだろうな。驚くのは公家だけでは無いかも知れぬ。
坂本におはす公方様と大御所様が、洛中に攻め込むために兵を整えていらっしゃるらしい。内府様は三好筑前守様と幕府の間で戦いになると見ておられる。今川参議様が承知されれば、龍王丸さまの帰国に合わせて姫さまも下向としたいので、準備を怠らぬようご指示があった。すでに龍王丸さまから結構な支度金が渡されている。この乱世において、姫さまは本当に良い縁に恵まれたと思う。
「失礼致しまする」
龍王丸さまの近習である吉良上野介様が、慌ただしく部屋の入口に見えて控える。察した龍王丸さまが、上野介様に近づいて報告を受けられる。何ぞ火急の用が出来したのだろうか。
「聡子。済まぬが、ちと急ぎの用が出来たので失礼する。赤鳥堂に行くのはまたの機会としよう。あい済まぬ」
「私の事はお気になさらずに。さ、どうぞ」
姫さまが気丈に振る舞っておられる。武家に嫁ぐ以上、このような事はこれからも多くあるだろう。姫さまの仕草を頼もしく思った。
「美代殿も済まぬ。後を頼む」
龍王丸さまが私にも一言声を掛けて下がられた。あら、急ぎの折に私にまでお声掛け頂けるとは…。予想外の事に少し嬉しく感じた。
天文十九年(1550)二月上旬 山城国上京 近衛邸 今川 龍王丸
「お寛ぎの所申し訳ありませぬ」
上野介が済まなそうに頭を下げている。聡子と共に赤鳥堂に行くのが先伸ばしになったのは残念だが、急ぎの用では致し方あるまい。楽しみは先にとっておくものだ。
「構わぬ。で、幕府からの使者だったか。詳しく申せ」
「はっ、幕府から三淵弾正左衛門尉様が使者として相国寺に入り、その先触れのご使者が見えておりまする」
三淵藤英…。確か細川藤孝の兄だったな。足利将軍家の忠臣という印象があるが……。
「使者は何と申しておる。内容は聞いておるか」
「いえ、二刻後の未の刻に相国寺にてお会いしたいと。詳しい事は伺っておりませぬ」
「これはまた、急な申し出でおじゃりますな」
内蔵助が呆れたように呟いた。確かに、事前調整もなくいきなり来いとはな。まさか俺の洛中入りを今日知ったわけでもあるまい。いささか無礼だな。
「如何致しまするか」
俺の存念を伺うように上野介が訪ねる。
「会わねば致し方あるまい」
「では急いで手土産の準備とお召し物のお替えを」
「要らぬ。昼寝でもする」
「はっ、えっ?昼寝でございまするか」
上野介が目をぱちくりさせている。
「狩衣でも無礼という訳では無かろう。手土産も要らぬ。なに、向こうが急かしているのだ。急いで馳せ参じたとでも言えばよい」
「しかし公方様のご使者ですぞ」
「使者だからこそだ。どうせ土産を渡そうが渡さまいが言われる事は変わらぬ。大方見当もつく。面倒事よ」
"はぁ"と溜め息のような息を吐く上野介を尻目に、俺はゴロンと横になる。十中八九は銭の事だ。何故幕府に相談もせずとか言うのだろう。うたた寝でもしながら想定問答と追加の問答でも考えておこう。
天文十九年(1550)二月上旬 山城国上京 相国寺 今川 龍王丸
寺院に到着すると、相国寺の僧が案内をしてくれた。若くはないが、住職といった要職に就いているとも思えぬ僧だ。本人に罪は無いが、舐められたものだ。俺が逆の立場なら自ら門で出迎えるのだがな。
通された部屋は大きなものだった。畳が敷き詰められている。相国寺には余裕があるようだ。まぁ何と言っても足利の菩提寺にして相国派の総本山だからな。それなりに金があるのかも知れぬ。内蔵助から報告を受けて驚いたが、金閣寺の鹿苑寺も銀閣寺の慈照寺も相国寺の傘下の寺らしい。前世ではウハウハな寺なのだろう。
しばらくすると、ぞろぞろと足音が聞こえて何人かの男たちが部屋に入ってきた。皆がまだ若く見える。若いと言っても十代半ばから二十代半ばくらいだ。俺よりは歳上だろう。上段の上座に若い男が腰かける。あれが三淵藤英だろうか。
「急な呼びたてを申し訳ない。某は幕府奉公衆の三淵弾正左衛門尉藤之でござる」
「今川家当主、今川参議義元が嫡男の龍王丸にござりまする。お呼びにより急ぎ馳せ参じましてございまする」
申し訳無さそうになど、微塵も思ってもいないような顔で、弾正左衛門尉藤之が挨拶をしてきた。
「本日は貴公に対する上様よりの御下問があったため、某が罷り越してござる」
藤英では無いのだな、などと頭を下げながら思っていると、居丈高に声が掛けられた。
「公方様からの御下問、でございまするか」
「左様。貴公はこの頃、朝廷に対して新たな銭の制定を上奏していると聞く。このような大事を幕府に相談もせず朝廷へ上げる等、不届千万であると上様は仰せである」
やはり銭の話か。しかしそれにしても、いきなり戦闘モードで来たな。
「しかし、銭の相談でござれば所管は大蔵省であるかと。朝廷への相談が筋かと思うておりまする」
俺の返答に、予想通りの回答と言わんばかりに弾正左衛門尉が応じた。
「其処元の言、大蔵省が財に関する所管であるのは尤もであるが、武家から朝廷へ儀を奏上するは武家伝奏の役目。そして武家伝奏へ儀を渡すは幕府の役目でござる」
「なるほど、なれど公方様も大御所様も、政所執事の伊勢伊勢守殿でさえも京におりませなんだ。これでは相談のしようもありませぬ」
「「無礼な」」
「「ご無礼ですぞ」」
俺の批判に、周りに座った幕臣達が一斉に声を上げた。弾正左衛門尉も面を喰らった顔をしている。ここまで直球で非難されたことは無かったのかもしれない。
「で、弾正左衛門尉殿は某に何を望みであろう」
批難などもろともせずに続けた。
「上様の寛恕を得る必要があると思うが、些かの誠意を見せてもらえると我らも動きやすうござる。これは上様の代理としてではなく、弾正左衛門尉としての具申でございまする」
弾正左衛門尉が言葉だけは丁寧に、“あなたのお手伝いをしてあげるから、付け届けを頼むよ”という雰囲気を出している。ここまではすべて予想通りだな。さて、ここからどうなるかな。
「ちょうど手元に、此度朝廷へ審議頂くことになった銭がございまする。公方様へのご説明にも実物があった方がよろしいでしょう」
“内蔵助、あれを持て”
内蔵助が一疋分の天文通寳が乗せられた三方を持って進み出る。
「これが件の銭でござるか」
興味深そうに、だが関心は無さそうに弾正左衛門尉が銭を眺める。銭は賤しいものらしいからな。喉から手が出るほど欲しいだろうに、演技も大変だな。
"永楽銭と似ておる"
"ほとんど同じでござろう"
幕臣達が銭を見て思い思いに話している。
「こちらの銭でよろしければすぐに五百貫程ご用意できまする。公方様への上奏を願いたく」
"五百貫……"
幕臣どもが驚いている。弾正左衛門尉の眉が動いたかと思うと口を開いた。
「事が前後になるとはいえ、それだけの心遣いを頂けるのであれば、我らも誠心誠意、上様の寛恕を賜るべく努力致しましょう」
弾正左衛門尉が満足そうにしている。いちゃもんを付けて五百貫もの献上を捻り出したのだ。得意にもなるだろう。だが俺としては五百貫など大した出費ではない。むしろ天文通寳を幕府が受け取ったという事実の方が重要だ。
「どうぞよろしゅう願いまする」
「承り申した」
銭を納める手筈の調整を終えると、多くの幕臣が“成果を得た”といった満足そうな顔をして下がっていった。
「図々しいにも程がありまする」
「そう言ってやるな上野介」
上野介が幕臣達に対して憤っている。おいおい、将軍家は君の遠い本家筋だぞ。
「銭を幕府が受け取ったという事は収穫でおじゃりますな」
内蔵助君は相変わらず冷静だねぇ。赤鳥堂と享禄屋を影の番頭として動かしているから、費用対効果を見るのに長けているのかもな。
「内蔵助の言うとおりだ。幕府が受け取ったという事実が重要よ。内府様を通じて武家伝奏にも伝えてもらうとしよう」
幕府に力か権限があるなら違和感はないのだがな。どちらも乏しいから搾取されるように感じるのだ。これは反面教師だな。やはり乱世においては力が無くては話にならぬ。軍事力であり経済力だ。
前世にもいたな。既得権益を守るために必死な者たちが。
此度の件でタチが悪いのは、幕府の存在と幕府が権益を持っていることを多くの者がまだ疑っていない事だ。幕府の存在が当たり前のようにあるから、倒幕なんて考えもしないのだろうな。
史実の信長の凄さを
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