第二十八話 縁談




天文十九年(1550)一月下旬 山城国上京 近衛邸 近衛 晴嗣




「よもの海 皆はらからと 思う世に など波風の 立ちさわぐらむ」

妹が龍王丸の詠んだ歌をなぞるように詠んでいる。

「左様。中々に良い歌じゃの。龍王丸はの、歌についてははぐらかすでの、何も聞いておらなんだ。麿もその場で聴いて感じ入ったものよ」

「姫様、龍王丸さまはお歌もお出来になるのですね」

「あれだけ繊細にお心配りを下さるのです。お歌もお出来になるのでしょう」

妹と侍女の美代が楽しそうにしている。龍王丸がつい先日、聡子に贈った着物の事を申しているのだろう。麿にも何かくれぬのかと思うほど、あれは見事なものであった。


近衛家と言えど、戦乱の世にあって厳しい生活を余儀なくされている。二人のこうした楽し気な姿を見るのは久方ぶりだ。


「兄上、それで恋の題目には、龍王丸さまは何とお詠みになられたのですか」

「おぉ、それじゃがな、麿はこなたを想って詠んだのだと思うぞよ」

麿の言葉を受けて、聡子が顔を朱くする。動転しているのか、続きを話したくても話せないようだ。口を震わせて顔を染めている。妹のこうした仕草は愛らしい。



“浮き名をば 惜しむばかりに 今はただ 会えど静に 思ひ初めつつ”



「龍王丸はこう詠んでの。皆は歌を感じつつも、誰を想って詠んだのか気にしておったぞ」

「よいお歌ですね。姫様。きっと姫様の事を想って詠まれたのですよ」

聡子が恥ずかしそうに俯いている。

「そこでじゃ、聡子。例の話を進めようと思うが異存はあるか?」

「……さまに、……龍王丸さまに、ご異存が無いのであれば、私は是非に」

小さな声で妹が呟く。

「そうか。あい分かった」

嬉しそうに、だがどこか不安そうにした聡子を、美代が支えるようにして下がっていった。龍王丸がどう応じるか、不安があるのだろう。


今回の件、麿としても異存は無い。文のやり取りで既に才を感じておったが、麿の目に狂いは無かった。父上も好きにせよと仰せになっておられる。後は龍王丸次第だな。聡い龍王丸の事だ。世辞を含んでおるやも知れぬがここは……。


“龍王丸さまがお越しになられました”

諸太夫の今大路治部少丞が、客人の来訪を告げてきた。しばらくそのままで待っていると、狩衣姿の龍王丸と内蔵助に続いて、今日は黒衣に身を包んだ雪斎禅師が入ってきた。




天文十九年(1550)一月下旬 山城国上京 近衛邸 今川 龍王丸




「内府様のお陰で歌合を無事に終えることが出来ました。お礼申し上げまする」

「こちらこそ礼を申すぞ。その方のお陰で近年稀に見る典雅な歌合であった。主上もお慶びであった」

そうか。お上もお慶び頂けたか。それは良かった。俺の席からでは御簾が掛かっていて、お上のお顔はよく伺えなかったから気になっていたのだ。まぁ御簾越しとはいえ、お上と同じ場にいるという事だけで、前世が一般人の俺としては驚きだがな。改めて大した身分に転生したものだと感じる。


「貨幣の件じゃがの、勧修寺権大納言と広橋右大弁に朝儀へ上げるよう話をしておいた」

「それは重ね重ねお礼申し上げまする」

「ま、大事ゆえ時が掛かろう。ここからが本番よ。今少し待たれよ」

"はっ"

内府殿と顔を合わせる。"お頼み致しますぞ"と思いを込めながら応じた。

問題無い。元より一朝一夕で片付くとは思っていない。一歩ずつでも進めばよい。


「それとな、主上がその方を高く評価されておられての、此度の件と、これまで頻繁に朝廷へ資金や物資を献上してもろうた貢献を鑑み、官位を与えたいと仰せになられた」

「官位……でござりますか」

「左様。以前に帰国すれば元服すると申していたであろう。元服に合わせて叙位する手筈でどうでおじゃろうか」

うーむ、父上に聞いてみないと何とも言えぬな。有難い事ではあるが……。雪斎の顔を見ると、小さく首を振られた。


「せっかくの儀なれど、某の一存で決めかねるゆえ、一度国許に確認をしたく存じます。今少し時を頂戴願いたく」

「左様か。その方の一存では決めかねるか、あい分かった。返事を待っておるぞ。それとな、歌合で出された金箔が入った清酒じゃがの、内裏で大変な評判じゃ。少しばかり都合を付けて欲しいのじゃが……これもその方の一存では難しいかの」

清酒か。目出度い席だからと清酒に金箔を入れるようにしたのだが好評だったようだ。少しばかりと言うが、結構な量になるだろう。予想外の出費になるな。だかここは先行投資と割り切ろう。この際これを機に顔を積極的に売って行こう。

「その程度であれば容易い御用でござりまする。すぐにご用意致しまする」

内蔵助の顔を見ると、内蔵助が頷いた。"よきに計らえ"と目で伝える。


「歌合が滞りなく済んで、主上から麿への覚えも一段と良くなっての。麿からも龍王丸に礼をせねばならぬな」

「かようなこと…。某の方こそ内府様にはお世話になってばかりでござりまする。お気持ちだけで十分にござりまする」

内府と顔が合う。何時になく真剣な顔をしている。



「……何時ぞやに、麿を兄と呼ぶ事ができるような仲になりたいと文をくれたな」

しばらく無言で顔を合わせたあと、静かに晴嗣が話し出した。

……?確かに書いたな。たしか最初の文だ。

急にどうした?三國志の劉備に関羽、張飛よろしく義兄弟の契りでも結ぶのか?内府の顔が真剣なだけに笑うこともできぬ。


「それに此度、その方が詠んだ恋の歌。まことによい歌であったぞ。ここはそなたの想いに応えねばならぬ」

この流れは……もしや!

「内府さ」

「聡子をもらってはくれぬか」

「!」

晴嗣が頭を下げた。


「摂関家の姫君など、某に不相応でございまする。姫君のご器量であればもっとよい縁談があろうかと存じます」

「左様に謙遜せずともよかろう。聡子もその方さえ良ければ是非に嫁ぎたいと申しておった」

姫が?それは男として嬉しいことだが、どうしたものか…。相手が近衛の姫であることと、史実の朝倉義景室という情報が考える事を邪魔している。

「それに今川は武家にござります。某もいつ何時に命を落とすかわからぬ身にござりまする」

「それが武門のならいじゃ。妹も承知しておる。」


「父に相談をせねば…ならぬかと…」

言葉を紡いで返しつつ雪斎の顔を見る。黒衣の宰相もそれでよいと頷く。

「左様か。実はこの話じゃがの、それとなく主上に相談を申し上げておってな、内々で裁可を頂いておじゃる」

晴嗣が姿勢を正してこちらを向いてくる。

「お上の?」

「そうなのじゃ。だからの、色好い回答を待っておる」

「しかしことが重大ゆえ、父に…」

「聡子もその方の人柄に惹かれておるようじゃ。麿もその方ならば申し分ない。不憫多い戦乱の世なれど、大事な妹じゃ。なるべくによい緣を見つけてやりたい。これは兄としての頼みでおじゃる」

"何卒お願い致す"

晴嗣が持っていた扇子を畳に置いた。

切望する顔で、手を畳に付いて頭を下げてくる。




これは……断れんな。

受ければ父上に叱られるかも知れぬ。

晴嗣に上手く運ばれたのかも知れぬ。

だが、今の晴嗣にならば騙されたとしても構わぬ。そう思わせる程の姿だ。

それにあの姫となら楽しい人生になるだろう。


「かしこまりました」

「龍王丸さま」

雪斎が首を振っている。

「受けてくれるか」

ゆっくりと頭を上げて、晴嗣が問い掛けてくる。眼にはうっすらと涙が見える。

「はい」

ゆっくりと、だがしっかりと声を張って応えた。

"うん、うん"と晴嗣が首を縦に振っている。


「龍王丸」

「はい」

「兄と呼んでくれるか」

優しげな眼差しで晴嗣が問い掛けてきた。

面映ゆいな。だがこの流れで断るのは不粋だ。

「義兄上」


俺の言葉に晴嗣が嬉しそうに頷いた。




天文十九年(1550)一月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 義元




「なんと……」

「どうされました」

母上が訪ねてくる。龍王丸からの文を届けに参った三浦左衛門尉も何事かといった顔を向けてきた。


「左衛門尉。すまぬ。返す文ができたら呼ぶゆえ、下がってくれ」

「ははっ」

左衛門尉が畏まって下がっていった。


「腹心たる左衛門尉を下がらせるとは、龍王丸に一大事がありましたか」

「一大事。そうでしょうな。これは」

「何があったのです」

憂惧な面持ちを浮かべて母上が問いかけてくる。

「龍王丸は上洛してから近衛内府と懇意にしているようです。それで内府から縁談を受けたようでござります」

「内府様からの縁談?それはまた思いもよらぬ所からですね」

母上が満更でも無さそうな顔をしている。中御門家出身の母上だ。公家から来た縁組みに悪くないとお思いかも知れぬ。だが、相手を知ってどうなるか。


「相手が内府の妹君なのです」

「なんと!」

「それに、既に龍王丸が応じてしまったと」

「……あの冷静沈着な龍王丸が、何故にかような大事を妾たちに相談もせず進めるとは」

「内府の懇願に耐え切れなかったと書いてありまする。それに……」

「それに?」

「畏くも帝の御内意を得ていたようでございまする」

「帝の!…」

母上は驚いて言葉も出ないようだ。余とて、文を読んでおらねば、なぜこのような事態になったのか分からなかった。歌合を開いたとはの。あやつ、何時も芸事は苦手と申すわりには色々と気がまわるではないか。


「龍王丸を元服させた後に、折を見て他家から姫を迎え、盟約を結ぶこともできようかと思うておりましたが、これでその策は消え申した。だがここは、摂関家と縁ができたことを慶びましょう」

「ええ…そうですね。近衛家から姫君を迎えることになるとは、抜かりない準備をしなくてはいけませぬ」

「委細母上にお任せ致しまする。お頼み申しますぞ」

「相手のお歳は幾つなのです」

「龍王丸の一つ下のようです。細かなことは文で確認するしかありませぬ。左衛門尉に後で立ち寄らせまするゆえ母上も文をお書きになられては?」

“そうですね。分かりました”と母上が仰せになったあと、下がっていった。


母上は中御門家に生まれた身だ。公家の慣習にお詳しい。婚姻の手筈は母上に万事お任せするのが良いだろう。


しかし近衛か。摂関家と言えど、今は乱世で公家は苦しい身に置かれている。どこまで今川の利になるか…。まぁ乱世でなければ摂関家の娘が今川に来ること等無かったかも知れぬ。今回の事が今川の家格を上げる事は間違いない。近衛から姫を迎えるのは、考えてみれば将軍家と同じになるな。


さて、あまり左衛門尉を待たすわけにもいかん。文を書くとするか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る