第二十七話 天文内裏歌合




天文十九年(1550)一月下旬 山城国上京 近衛邸 今川 龍王丸




「龍王丸さま、ご指示を受けて作らせたものが出来上がりました」

「ふむ。良い出来ではないか。艶やかに色が出ている。思ったよりも早かったな」

「職人に急ぎ作らせました。急がせはしましたが腕は確かな者で、しっかりした物が出来上がっておじゃります」

「で、あるな。これなら申し分ない。大儀であった」

“ははっ”と内蔵助が頭を下げる。


「雪斎様がお見えになりました」

松井八郎が雪斎の来訪を告げる。府中から連れてきた供回りの者たちも、少しずつ京での生活に慣れてきている。

吉良上野介は俺の側に控えている。名門大名家出身な事もあって、洛中の生活に順応するのが早かった。一方、同じく近習の井伊直親は彦次郎と共に府中で留守番だ。


朝比奈又太郎、鵜殿藤太郎は井伊平次郎に付いて屋敷の警護だ。三浦内匠助と久能余五郎は内蔵助の横に控えている。二人は内蔵助に公家とのやり取り等、作法の教えを乞うているらしい。歳は二人とも内蔵助よりも上のはずだが、教えを乞うために頭を下げることができるのは良い事だ。あの二人も将来に期待しよう。


「通せ」

雪斎を迎えるために八郎が下がると、傍に控えていた伊豆介の顔を見た。隣の部屋や縁側へ目配せをする。伊豆介が首を振った後、“問題ない”といった顔をする。今は近衛邸にいるため、いらぬ耳が無いかという確認だ。

「雪斎、仰せにより罷り越しました」

「うむ。呼び立てして済まぬ。近こうよれ」

雪斎が俺の目の前に座る。小声で“いらぬ耳は無い。安心して大丈夫だ”と告げると、雪斎が鷹揚に頷いた。


「今朝方、尾張にいる俺の手の者から火急の連絡があってな。犬山の織田十郎左衛門が蜂起したと知らせがあった」

「左様でございまするか」

涼しい顔をして雪斎が応じる。

「それだけなら捨て置くのだがな。奴等は今川を担いでいると聞く」

「ほぅ。なるほど」

「父上と御師匠の策であろう?」

雪斎の眉が僅かに動いた。


「で、あれば如何されますか」

「我らが誘って応じているのであれば、それなりに支援をせねばならぬ」

「……今回の蜂起には、確かに拙僧が関わっておりまする。ただ、十郎左衛門殿には繋ぎを通じて、今川に付けば本領安堵と切り取り御免の約束がされると囁いたまで。今川の支援まで約してはござりませぬ」

「で、あるか」

強かな笑みを僅かに浮かべ、父上の軍師がゆっくりと"はい"と応じた。

猛禽類のような目をした雪斎と顔が合う。軍師の顔つきだ。


「それに、十郎左衛門殿が力を持っては元も子もありませぬ。十郎左衛門殿と織田弾正忠殿とで争い、双方疲弊してもらわねば」

「で、あるか」

確かに雪斎の理屈には筋が通っている。戦国の世ではこの程度の事当たり前なのかも知れん。


「だがな、今川に付こうと思う次の者のために、物事を綺麗に見せる必要もある。俺はそう思っている」

「と、仰せられますと」

雪斎が先を促す。

「父上と雪斎の策に迷惑は掛けぬ。幾らか銭を十郎左衛門に流す」

「……よろしいでしょう。ただ、過ぎたるは及ばざるが如しと申します。重々ご承知置き下され」

「あいわかった」

今川は、どうも寝返って来る者に対して冷たいところがある。名門意識だろうか?腹の中でどう考えようが構わぬが、見た目は綺麗にしないと次が無くなるぞ。"今川に鞍替えしても磨り減らされて終わる"、"冷飯を食わされる"等と噂が立っては叶わん。



急ぎの用件が済んだので、庭先を愛でながら雪斎と二人で茶を飲むことにした。今思えば御師匠とゆっくり茶を飲むのも久しぶりだな。


縁側に腰掛けて寛ぎながら熱い茶を飲む。京は冬が寒いと言うが、この時代の京は一段と寒く感じる。底冷えで悴んだ手と身体に熱い茶が沁みる。寒いのは辛いが、空気が驚く程澄んでいる。前世でみた景色よりも美しく見えるのは気のせいでは無いだろう。


「歌合の準備は順調でござりましょうか」

っと、いきなり重たい話を持ってくるな…。今日の気分は何となく庭が綺麗だとかから入りたかったぞ。相変わらず御師匠は厳しいな。

「準備は滞りない。資金さえ用立てれば後は官吏が動いてくれる。少しばかり趣向も工夫している。何とか間に合うだろう」

「左様でございましたか。では龍王丸さまを悩ましておられるのは …」

「……悩んでおるように見えるか。そうは見えぬように心掛けているつもりなのだがな」

「長い付き合いでござりますれば」

珍しく雪斎が柔和な表情を浮かべている。


「中々歌が決まらぬ。末席の俺など一首も詠めば十分であるのに、二首詠む事になった」

「題目は和と恋でしたか」

「そうだ。それがまた気が引ける。和はともかく恋とはな。何もこの俺に花形の題目を担わせなくてよいものを」

「内府様も朝廷側も、今回の歌合に必要な資金を用立てる今川に気を使っておられるのでごさりましょう」

「朝廷はそうかも知れぬが、内府様は面白がっているように見えるぞ」

「内府様とは随分とご親密になりましたな。喜ばしいことで」

「歳が近いからな。二つしか変わらぬ。ま、関係を築いておいて損はあるまい」

俺の言葉に、雪斎が小さく息を吐いた。

「またその様な醒めたお言葉を申される。そのように飾りまするな。拙僧と二人の時に肩肘張らずとも構いませぬ。君主は孤独ゆえ、内府様は良き友、相談相手になるやも知れませぬぞ」

「…うむ。御師匠の教え、心に留めておこう」

僅かに笑みを浮かべて雪斎が"はい"とゆっくり頷いた。茶が既に無い。かなり寒いが、今少し二人で話がしたかった。


「御師匠は俺に歌の助言をしてくれぬのか」

「必要が無いと思うておりまする。あなたさまが冷泉権大納言…戒名は静清公でしたな。静清公に御詠みになった歌…、あれはまことに白眉でございましたぞ」

…あれか。不味いな。自分で自分を追い込んでしまったか。思わず苦笑いが出た。

「近くに愛らしい姫君がおられるではありませぬか。仮にあの姫君が想い人だと思ってお作りになればよいのです」

「またその話か。だが、確かにあの姫は愛らしいな。御師匠のご教示、参考としよう」

庭が燦燦としている。しばらく二人で言葉なく眺めていた。



「歌合が終われば、天文通寳の上奏となるがあれは時がかかるだろう。少し落ち着くと見ている。その間に御師匠が滞留している妙心寺にも出向きたいと思っている」

妙心寺は前世でも何度か訪れた。広大な敷地に驚いた記憶がある。宿坊なんかもしてみたな。もっとも、今は毎日が宿坊みたいなものだが。この時代も見てみたい。

「是非にいらせられませ。今回の見聞でご見識を広げられ、次代の今川を背負われませ」

「元服の事を言っておるのか。俺は今でも早いと思うが…。だが決まったことをとやかく申しても仕方無い。出来ることをやるだけだ」

「その意気にございまする。拙僧もこの身が続く限りお支え申し上げまする」

「頼りにしているぞ。黒衣の宰相殿」

柔和な笑みを浮かべて、雪斎がゆっくりと頭を下げた。




天文十九年(1550)一月下旬 山城国上京 内裏 二條 晴良




一條右府とともに歌合の会場へ向かうと、既に帝の他はみな揃っているようであった。関白兼左大臣たる麿が座ると、廷臣の一人が下がっていく。恐らく帝をお迎えに行ったのであろう。


しばらくすると、琴と笛の音色が聞こえてきた。音色の方を眺めると、何人かの楽師が控えている。応仁の乱以降、宮中の雅楽は衰微して久しいが、あの者たちはいずこからか集めて参ったのであろうか。それにこの音階が珍しい。初めて聞く曲だ。

「中々に美しい音色でおじゃりますな、関白殿下」

「右府もそのように思うか。ちょうど麿も聴き入っておったところよ」

「案内によれば、春之海とおじゃりますが、初めて聞く曲目でおじゃりますな」

"春之海"…。確かに覚えが無い。楽師の方を今一度見ると、琴と笛の楽師が音を奏でている。様々な楽器を用いた曲も勇壮で良いが、これはこれで良い趣向だな。


「州浜も立派に用意されておじゃりまする。食膳を載せるこの台も見事なものでおじゃりますな」

右府がそれぞれの席の前に置かれている台を指して褒めている。後ほど酒や食膳が置かれる台であろう。ただの黒塗りな漆器ではない。しつこくならない程度に蒔絵が施されている。だが一見して高価なものだとわかる代物だ。

「今川殿が用意されたのでおじゃりましょうな」

今川……。駿河・遠江・三河の大半を収める大大名だ。幕府の力が衰えつつある中で、足利一門では力を持っている存在と言えよう。今日は今川家の支援で歌合となったのであったな。席をみると、大紋直垂の格好をした少年と、烏帽子くろまうすを被り法服を着た僧侶がいた。あれが今川の御嫡男殿か。十二と聞いておったが美丈夫ではないか。もう一方は雪斎禅師か。


「今川殿は足利一門でおじゃるが、幕府とは久しく疎遠になっておると聞く。これだけの財があるのならば幕府にも少しばかり尽くしても良いと思うがの」

小声で一條右府に呟いた。

「ほんに左様でおじゃりますな。最近は幕府と疎遠になるばかりか、太閤殿下や内府殿と仲がよろしいご様子で」

「麿もそれは聞いておる。相変わらず近衛さんは武家に近づくのがお上手であるの。まぁ今日は御嫡男殿が如何ほどの人物か見てみようでは無いか」

一條右府が扇で口を隠して小さく“ほほほ”と笑っている。


これだけの財を見せつける大名家と近衛が近づくのは面白くないの。どうしたものかと考えていると、侍従から帝がおはしましたまう旨が告げられた。

まぁ良い。龍王丸と言ったかの。あの者の人物を見てからでも考えても遅くはあるまい。





雲の勅題に関わる歌詠みが終わった。少しの暇が告げられ、各々席を立ったり周りの者と話をしたりしている。次の勅題は和であったな。いよいよ龍王丸と申したか、あの者の出番になるな。

「今宵の歌合はまこと華やかでおじゃりますな」

一條右府が楽しそうに話しかけてくる。先ほどから清酒をよく飲んでいる。このように高価な清酒を並々と飲む機会は中々無い。つい進んでしまうのも分かるが大丈夫であろうか。

「左様でおじゃるな。出される食もまことに美味じゃ。見事としか言えぬ」

酒もそうだが、食膳も見事なものばかりだ。これも今川が差配しているのであろうか。一つ一つのすばらしさを感じるたびに、ふつふつと何とも言えぬ感情がこみあげてくる。いかぬの。近衛と親しいと聞くだけで言い知れぬ怒りが沸きあがってくる。


皆が席に戻ると、左方の講師役を務める源蔵人頭が次の勅題である“和”の歌が書かれた色紙を州浜から取り出す。左方ということは、あれが龍王丸の歌か。

「いよいよですな」

顔を少し朱色にした右府が小さく呟いて来た。無言で頷く。田舎大名の子倅に如何ほどのものが作れるのか楽しみよ。心なしか場がざわめいている。皆楽しみにしているのだろう。当の本人は先ほどから涼しい顔をしている。堂々としたものだが……。



“よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ”



源蔵人頭が龍王丸の歌を詠み終えると、場が静寂に包まれた。

率直に、品を感じるよい歌だと感じた。



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