第二十六話 不意の誘い
天文十八年(1549)十二月下旬 山城国上京 山科邸 今川 龍王丸
「面をあげられよ龍王丸殿。会いたかったぞよ。ほんによく参られた」
内蔵頭殿の言葉を受けて頭を上げる。そこには精悍な顔付きの公家がいた。まだ四十代の前半のはずだ。機敏に動かれる公家なだけあって若々しく見える。
「某もいつかお会いしたいと思うておりました。念願かない祝着至極に存じます」
「ほほほ、そう言ってくれると麿も嬉しいぞよ。」
内蔵頭殿がにこやかな笑みを浮かべている。
「雪斎殿はしばらく振りじゃな」
「はっ。またお目にかかることができて祝着至極にございます」
"うむうむ"と内蔵頭殿が頷いた。
内蔵頭殿への訪問には、雪斎と内蔵助を連れて来た。雪斎は公家との会合も経験豊富だ。内蔵助は日頃から内蔵頭殿と会っている間柄だ。お陰であまり気負う事無く気楽に訪問できている。
「細やかではありますが、手土産を持参致しました。ご笑納頂ければ幸いでござりまする」
「ホホホ。これはこれは。気を使わせて済まぬの」
ホクホクした顔を浮かべて内蔵頭が品を受け取った。
「……して、今日はいかなる用向きかの。挨拶をするためだけに上洛したわけではあるまい。ま、麿はそれでも構わぬがの」
「はっ。銭に関するご相談にございます」
「ほぅ、銭とな」
内蔵頭の顔から笑みが消え、真剣な顔になっている。
「はい。昨今の商いにおいて銭の必要性は増すばかりにござります。なれど、どこも銭が不足しがちでござります」
「そうでおじゃるの。この洛中とて鐚銭が多く出回っておる。地方ではもっと悪い状況であろうの」
「はっ。市の発展によって、日に銭が必要となっておる中、質の良い貨幣が絶対的に不足している状況でござりまする。だからこそ鐚銭の流通を許してしまう状況になっておるのでござりまする」
俺が訴えると、内蔵頭が笑みを浮かべながら応じた。
「……内蔵頭様?」
「ホホホ…。いや、内蔵助からその方は商いの事に熱心だと聞いていたのじゃがな。まことに熱心であるなと感心しておったのよ」
「…開口一番に銭の事を話すのは無粋でございましたな」
「良い良い。つい面白くての。あい済まぬ」
銭は高貴な身分にとって卑しい存在だったな。内蔵頭殿は朝廷の財政に携わる身ゆえに銭の重要性を理解されている。だが他の方ではそうはいかぬかも知れぬ。話の持って行き方は気を付けねばならんな。銭が卑しいか……。悪事を経て稼いだ銭ならまだしも、正当な対価で得た銭も等しく卑しいものだと考える等、全く理解できんな。だが郷に入っては郷に従えだ。次からは気を付けるとしよう。
「それで?龍王丸殿はこの問題を解決する術をお持ちであるのか?」
“左近衛将曹、あれを持て”
俺が命じると、後ろに控えていた左近衛将曹が内蔵頭殿の前まで三方を運んだ。
「これは?」
袱紗を取り除いて内蔵頭殿に差し出す。
「天文通寶と名付けておりまする。我が領で採れた銅を素材に作った貨幣にござりまする」
「ほぅ…。見た目は永楽通寶と同じじゃな。あえて似せて作ったか」
天文通寶を手に取って覗き込むように見ながら、内蔵頭殿が問いかけてきた。
「はい。上方ではかなり永楽銭が使われているとお聞きしております。我が領でもよく見かけますゆえ、同じような形にした方が混乱は少なかろうと」
「そうじゃな。興福寺等では永楽銭を積極的に取引に使っておるようじゃ。以前は宋の銭が好まれ、なぜか明の銭は疎まれておったのじゃがの。最近ではよく使われるようじゃ」
流石は山科内蔵頭だ。よく銭の動きを把握されている。
「この貨幣の発行を御認め頂きたいと思うておりまする」
本題を伝えると、内蔵頭殿はジッと俺の顔を見た後、天文通寶に視線を移した。
「気持ちは分かる…が、色々と問題もあろうな」
「例えば何でござりましょう」
「うむ。まずどの程度の量を用意できるのじゃ」
「一年で一万五千貫はご用意できようかと」
「ほぅ。中々の量じゃな。じゃが文明期に、時の大樹である義政公が、明より大量の銭を仕入れていた。一度で五万貫に達するときもあったとか。先程の三年分じゃな。その量で足りるであろうかの。それに幕府は如何する」
一度に五万貫か。さすがに銀閣を作っただけあるな。さぞかし貿易で大儲けしただろう。それにしても"幕府は如何する"か。俺の聞き間違いで無ければ、敵愾心のこもった言い方だった。
内蔵頭殿は山科の荘園を将軍の義輝に横領されている。憤懣やる方無いところがあるのやも知れぬ。ここは同情しておくとするか。
「どうしたものか困っておりまする。…洛中にもおられませぬし」
少しお道化たように困ったふりをすると、察した内蔵頭殿が笑いながら応じた。
「ホホホ。ほんに困ったものよのう。御所に大樹がおらぬのじゃから」
「花が散っておりまするな」
「龍王丸さま」
雪斎が窘めるように呟いた。
一瞬の間をおいて、“ホッホッホッ”と内蔵頭殿が大きく笑い出した。
「…ッホッホ…秀逸じゃの…ホホホ。花の、花の御所と冬に掛けたか」
足利一門なのに将軍家に対して冗談が過ぎたかな。少し真面目な顔を作ると、内蔵頭殿も笑いをこらえながら続きを話し出した。
「近衛内府殿のところに行くと内蔵助から聞いている」
「…?はい、年が明けて三日に伺う予定でございまする」
急に話題が変わったな。だが内蔵頭殿は真面目な顔だ。
「この銭の件を図るには、武家伝奏がこの儀を上奏する必要がおじゃる。じゃが今の武家伝奏である勧修寺権大納言殿も広橋右大弁殿も親足利でおじゃる。公方との調整を求めるであろうの。そこでじゃ、内府殿を味方につける必要がある。近衛家も足利家とは近い家じゃが、内府殿は龍王丸殿を高く買っておられるゆえ、力になってくれるじゃろう」
なるほど。そういうことか。
「ご教示ありがとうございまする」
「うむ。麿も事がうまく運ぶように協力をしよう」
「お言葉、ありがたく存じまする」
頭を下げると、柔和な笑みを浮かべて内蔵頭が“なんの”と応じた。
天文十九年(1550)一月上旬 山城国上京近衛邸 今川 龍王丸
「謹んで初春のお慶びを申し上げまする。内府様にお目通りがかない、祝着至極に存じ奉りまする。某は今川参議嫡男の龍王丸にございまする」
「おめでとう。麿が近衛内大臣晴嗣でおじゃる。麿とその方の仲ではないか。そのように固くなることもあるまい」
通された部屋で晴嗣に向かって頭を下げる。
「内府様にお会いするのに粗相があっては……」
「文のやり取りでは今少し通じておったと思うたのじゃがの。もそっと近こうよりゃれ」
笑みを浮かべながら内府が扇子を“こっちこっち”している。
お、おぅ…。これはかなりフレンドリーだな。
「実際にお会いするのと文のやり取りとでは異なりますゆえ…。とはいえ、そのように仰せ頂けると某も嬉しゅうございます」
晴嗣に近づいて座りなおすと、晴嗣が“美丈夫であるな”と呟いた。そういう君も割とがっちりしていると思うぞ。とても内大臣とは思えん。どこかの大名と言われた方がしっくりくるくらいだ。
「ご挨拶と新年のお祝いの品を持参いたしました。お納め頂きとうございまする」
俺が告げると、雪斎が目録を晴嗣に渡す。今回はかなり奮発したので、目録という形で進呈する品を伝えた。部屋まで運んでは仰々しく迷惑になるだろう。晴嗣が“ほぉう”と呟きながら目録に目を通した。
「うむ。このように多く気を遣ってもらってすまぬの。じゃがお陰で良い新年となりそうじゃ。近江坂本の父に代わって礼を申すぞよ」
そうなんだよな。太閤殿下は前将軍の義晴、現将軍の義輝親子の近江坂本下向に付いて行っていったためここにいない。ま、内蔵頭殿は朝廷における新進気鋭たる晴嗣を味方にする事が肝要と言っていた。俺もそう思う。何たって将来の近衛前久だからな。
世間話をしばらくして打ち解け、そろそろ本題でもと思っていると、煌びやかな着物を召した女子が部屋に入ってきた。侍女を連れている。誰だ?近衛家に連なる方だろうか?
「失礼いたしまする」
あれは…五衣と言ったか。この時代の準正装だ。前世では宮中に関するテレビ放送でしか見ないような衣装だな。さすがは摂関家だ。
だが、遠目には煌びやかに見えた着物も、近づくと心なしか年季が入っているのが分かる。近衛家といえども台所事情は厳しいのかもしれぬ。
「…どうぞ」
五衣を着た女子が手を震わせながら茶を出してきた。大丈夫か?十歳位だろうか。小顔で可愛らしい。前世でも通じる顔立ちだな。誰かに似ている。うーむ、思い出せない…。
「これは忝い。礼を申し上げまする」
とりあえず礼をしておこう。雪斎と内蔵助には侍女、これは三十代くらいのおば…いや、お姉さんが運んでいる。
「妹の聡子じゃ。聡子、こちらは駿州の大名、今川家の御嫡男で龍王丸殿でおじゃる」
内府の妹…。ということは史実の朝倉義景室か!確か絶世の美女と呼ばれたはずだ。まだ幼いせいか、美女というよりは愛らしい感じだが…。確かに将来期待できる顔立ちだな。綺麗よりも可愛いタイプだと思うぞ。うん。
「今川龍王丸にございまする。以後お見知りおきいただければ嬉しゅうございまする。茶、頂戴いたしまするぞ」
「あの…、私が淹れたので…その、上手くできておればよいのですが」
お、この子が自分で入れてくれたのか。何か嬉しいじゃないの。ところで、結構声が低いんだな。女子の低い声って惹かれるな。俺だけかも知れんが…。
「あの…御服加減はいかがでしょう?」
あ、いかぬ。考え事をしてズズーッとただ飲んでいたわ。
「美味しゅうござる。これは赤鳥堂の茶を入れて下さったのでござろう?お気遣い感謝致しますぞ」
「はい。あ…いえ、こちらこそいつもお気遣いありがとうございます」
定期的に近衛家には赤鳥堂の品を献上している。喜んでくれて何よりだ。
「聡子、美代、ご苦労であった。大事な話があるゆえ下がってくれるか」
内府が告げると、妹殿とその侍女が頭を下げてさがっていった。
「さて、用向きを聞くとしようかの。大方のところは山科内蔵頭から聞いておる」
「はっ。こちらの貨幣に関するご相談の儀でございまする」
内蔵助に目配せをすると、天文通寶が載った三方を内府の前に運び、袱紗を外して披露した。
「ほぅ。内蔵頭から聞いたとおりじゃな。永楽銭とほとんど変わらぬ」
「はっ。これの製造と流通に朝廷からお許し頂きたいのです」
「うむ…。難しいであろうの。幕府との関係、貨幣に関する忌避、名家とはいえ、今川という地方勢力からの願い。すぐに解決せねばならぬ問題とはなりにくい」
痛いところを突いてくる。確かにその通りだろうな。朝廷からしてみれば、銭の問題は喫緊の課題にはなりにくい。幕府が裁定すれば良い案件と捉えられる可能性すらある。
どうしたものかと思案していると、内府がニヤリとした顔を浮かべながら話しかけてきた。
「話は変わるがの、二十六日に新年の歌会始が内裏で行われる予定じゃ。龍王丸もそれに参加するように」
「歌会でござりますか」
「雪斎殿と共に参加すればよい。まずはそこで存在感を示すのじゃな。皆にその方の存在を示し、その後に然るべき相談をする方が良かろう」
なるほど。田舎大名の小倅の戯れ言では話は進まんということか。それにしても歌会か……。雪斎と共にというのはありがたいな。だか、そもそも無位無官の俺が参加してもいいのか?まぁ内府が良いと言うのなら良いのかもしれないが…。あ、ちょっと待てよ?この頃の歌会は連歌かもしれん。あれはキツい。即興は俺には無理だ。何とか回避せねばならん。
「歌会ですが、もしや連歌会ではありませぬか?」
「うむ。その通りじゃ。昨年は連歌を皆で楽しんだ。如何いたした」
やはりな。ここはせめてそれぞれが歌を持ち寄る歌会にさせてもらおう。
「事前に主題を決め、持ち込む歌会がよろしゅうございませぬか?天徳の御代に行われた歌会のように」
「ほぅ。天徳の歌合か。面白いの。じゃが仰々しくなる分費用がかさむ」
「今川でお持ち致しますゆえ、そのように手配いただけまするでしょうか。差し出がましいことを申し上げまするが、何卒お願い申し上げまする」
「よいよい。天徳のような歌合は久しくできておらぬ。主上もお悦びになるであろう。となるとあまり日も無いの。すぐにご相談して準備せねばならぬ」
内府が嬉しそうなまなざしを向けてきた。困窮の極みにある朝廷と公卿たちだからな。久々の楽しい行事に心躍るのかもしれん。
「今川邸だが工事で五月蠅いようじゃの。歌合の準備の事もあるゆえ、その方はこの邸宅にしばらく住んではどうじゃ」
ここに?思ってもいなかった提案だな。だが供回りも多いし、人の家は気も使うからな。
「供もそれなりにおりまするゆえ、内府様にご迷惑をおかけするわけには参りませぬ」
「供回りの場所も用意しよう。なに、人がおらぬでな、部屋だけは余っておるのじゃ」
さっきからえらくフレンドリーだな。相手が内府ということもあってか、雪斎も控えめだ。供回りの在所も認めてくれるなら、歌会に向けて何かとご教示いただく方が良いか。何たって近衛前久だからな。お近づきになって損は無い。
「それではお言葉に甘えさせていただきまする」
「うむ。ならば一度屋敷に戻って荷を運ぶが良い。今宵はゆっくりとやろう」
“御意にございまする”と頭を下げると、内府が“そう固くなるな。では、またの”と言って下がっていった。固くなっているつもりは無いのだがな。
「大変な事になったぞ。雪斎」
近衛邸内ということも考えてひっそりと小声で呟いた。
「何がでございましょう」
雪斎が無表情ですました顔をしている。こいつめ。他人事だと思っているな。
「歌会に近衛邸の事だ」
「拙僧はどちらも首尾よくいったものと思いまするぞ。歌合では内府様が仰せになるように龍王丸さまが存在感を示されれば良い事。こちらに世話になるは予想外の事ではありましたが、摂家の近衛家とお近づきになるは悪い事ではありませぬ。それに…」
「ん?なんだ」
「見目麗しい姫君もおられて良いではありませぬか」
生臭坊主がニヤニヤして俺の顔を見ている。うん、まぁそこは否定しないがな。
「家格が違い過ぎる。何も起こらん。あまり邪推するな」
「分かりませぬぞ。わざわざお連れするなど、内府様にお考えがあっての事やも知れませぬ」
「……ふん、帰るぞ」
雪斎に冷やかされるのを避けようと話を切りあげ、刀を持って立ち上がった。
あの姫……、聡子と言ったか。確かに可愛いかったな。誰かに似ている。名前が思い出せなくてもどかしい。あるよなこういう時。脳を思い切り使っている気がする。
!!
思い出したぞ!!
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