第二十四話 淡海の海




天文十八年(1549)十二月下旬 近江国栗太郡草津宿 今川 龍王丸




草津宿で焼き魚を頬張っている。琵琶湖の魚だよな。塩だけの味付けだが結構美味い。琵琶湖というと、それほど綺麗なイメージが無いが、この時代の琵琶湖は綺麗なのかもしれん。淡海の海と言うのだよな。明日しかと眺めて見よう。


しかし懐かしいな。前世では琵琶湖にも何度か行ったな。自転車で大橋を渡った記憶がある。海というのも頷ける。前世ですら大きいと感じたのだから。


余談だが、琵琶湖と我が今川領の浜名湖は兄弟のようなものだ。古代に琵琶湖は近淡海ちかつあふみ、浜名湖は遠淡海とほつあふみと呼ばれ、それぞれ近江と遠江の語源となったらしい。



この宿には供回りと警護の十五名で泊まっている。陸戦隊の二百近い兵たちは、申し訳ないが近くで野営だ。聯合艦隊は既に卜伝師匠を乗せて熱海に向かった。俺が帰国する時期が決まれば、再度出撃する手筈になっている。


帰りも伊勢の北畠領を通過するのは芸が無いな。堺も見たい。堺から乗船して帰国する方法があるな。三好が嫌がるか?むしろ、事前に調整すれば三好長慶に会えるだろうか?


そんな事を考えていると、隣に座った伊豆介が小声で訪ねてきた。

「しかし若殿、まことに六角の管領代殿には会わなくて良かったので?」

伊豆介はすっかり情報部門のトップらしくなっている。壁に耳あり、障子に目ありとはよく言うが、漏洩対策にこの部屋の両隣と上階は押さえてあるらしい。ここは一階で、敵の侵入を許しそうだと思ったが、一階は逃げるのに便利だと言っていた。いざというとき俺は担がれて逃げるらしい。もう体つきはそれなりに大きいのだが大丈夫か?


「六角とは陸路でも海路でも領地が離れておるからな。今お会いしてもお互い益にならぬだろう。向こうもこちらの対応に困るかもしれぬ。それに六角が匿っている近江坂本に御座す公方と面倒になってもかなわん。文と礼の品をお届けすれば十分だ」

「そうですな。陸路では尾張の織田、美濃の斎藤がおりますれば、今川から六角はまだ遠い存在ですな」

松井八郎が間に入る。最近は八郎も積極的に発言をするようになってきた。俺が公方をぞんざいに扱っても驚かなくなってきた。良い傾向だ。


本当の所は六角の将来が不透明だからだ。既に管領代の六角定頼は病がちらしい。先は長くないだろう。となると義賢へ家督が譲られるはずだが、義賢にはあまり印象がない。六角の全盛期は終わったと見ている。


何より公方が邪魔だ。坂本に逃れている義晴と義藤は、対三好のために味方が一人でも欲しい時期だ。会ってしまっては何を頼まれるか分からん。"触らぬ神に祟り無し"よ。


「予定では草津宿の次は山科で泊としておりましたが、洛中の今川邸に直接向かわれますか?予定より早く来ておりますゆえ、山科にはまだ迎えがおらぬやも知れませぬが」

井伊新次郎が訪ねてきた。


そうなのだ。予定より二日も早く草津に来ている。それもこれも、もっと伊勢観光をする予定だったのだが、どこへ行くにも具教が着いてきたからだ。監視というよりは、気に入られたと思っている。"これを見よ!"、"これは知っておるか?"と忙しなかった。悪気の無い良いやつだったが、熱い漢だった。


暑苦しいだけならごめんなのだが、和歌に明るかったり、神宮や神道の歴史に明るかったりとインテリなところがあった。さすが名門北畠の御曹司だ。とりあえず良いやつなのは分かった。大人になるに連れて大人しく付き合いやすくなることを祈ろう。


具教から逃れるように、予定よりはやく伊勢を離れ、近江に向かうことにした。具教は国境まで供を付けてくれた。これは素直にありがたかった。手形を出すよりも遥かに早く、確実に身分を証明できる。国境まで案内をしてくれた鳥屋尾石見守にこれまでの礼を告げると、“某よりも若殿に一言欲しい”と言われた。意外とサラリーマンなやつだなと思った。


つらつらと手紙を書くのも面倒だったので、紀貫之の歌を綴って渡した。“風吹けば 峯にわかるる 白雲の”ってやつだ。相変わらず一から歌を作るのは俺には難しいから拝借させてもらった。


それから、鳥屋尾石見守には脇差を与えてやった。まさかもらえるとは思っていなかったようで、感動していたな。北畠は織田に潰されたこともあって評価が高くないが、具教の代に最大版図を築いているんだ。家臣もそれなりに能力がある、と思っている。鳥屋尾みたいな重臣と誼を通じておくのは悪くない。これも先行投資だな。


「龍王丸さま?」

目付の久能余五郎が問うてきた。

「許せ。考え事をしていた。山科で予定通り内蔵助の使いと合流しよう。洛中に入る前に確認しておくべき事が在るやも知れぬ。洛中に入っては、挨拶や来客で忙しくなる可能性もある」

八郎がなるほどといった顔をしながら"御意"と言った。今少しだな。頑張れよ。次の次を見て考えるのだ。先は長いぞ。


供回りの成長と言えば、朝比奈の又太郎も体つきの成長とともに内面も大きく伸びている。最近は時間さえあれば井伊兄弟に教えを乞うている。軍略の勉学は面白いそうだ。井伊彦次郎や平次郎も又太郎は筋がいいと言っていた。

又太郎は史実では今川が滅びる最後まで氏真に尽くした忠義者だ。俺のためにもしっかり成長して欲しいと切に願っている。




天文十八年(1549)十二月下旬 山城国宇治郡山科荘 今川 龍王丸




翌日、予定していた山科の宿に着くと迎えの者が来ていた。これは……随身というか、いや、水干といったか。十代半ば位の若武者と、同じ年頃の従者がいた。どちらも一目で質が良いと分かる着物を来ている。だが顔にあまり見覚えがなかった。

若武者が膝を着きながら俺に向かって話し出した。


「龍王丸さま。無事のご到着、祝着至極に存じます」

「うむ、出迎えご苦労。予定より大分早く着いてしまったがよくおったな。内蔵助の差配か?」

「はっ。兄の内蔵助から、命を受け、昨日の内に出向いておりました」

「ほぅ、その方は内蔵助の弟だったか」


顔をよく見たが、あまり似ていない。むしろ全然似ていない。それに、見るからに官吏といった内蔵助に対して、この者の外観は武人だ。上背もあれば鍛えた体つきをしている。そういえば芸事にとんと疎い弟がいると言っていたな。ちょっと親近感が出てきたぞ。


「申し遅れました。草ヶ谷内蔵助が弟、知長にござります。今は左近衛将曹を名乗っております」

また偉くマイナーな官職だな。将監ならまだしも将曹とはな。もしや……


「朝廷より任じられたか?」

問いかけると、知長が申し訳無さそうに頭を垂れた。

「はっ。京に来るよう兄に呼ばれて、屋敷の警護をしていたところ、ご来訪されていた山科内蔵頭様から話しかけられ、武芸が好きかと下問されました」

「ふむ。それで?」

「はっ、兄とは異なり、某は昔から兵法に関心があったものですから、"はい"と応えたところ、後日いらせられた内蔵頭様より、従七位下左近衛将曹の官位官職を賜りました。龍王丸さまの許可なくお受けできぬと申し上げたのですが……」

「内蔵頭殿に押しきられたか」

「はっ」

「で、あるか。気にするな。官位を与えたいと思うくらいにその方を気に入ったという事でもあろう。俺も内蔵助の弟に兵法に長けた者がいたと分かっただけで嬉しいぞ」

「好きなだけで長けているか分かりませぬが」


左近衛将曹がにっこりと笑った。意外と愛嬌があるな。後で聞いた話だが、風流や内政のような勉学は、兄にとても叶わぬと思って兵法を学び始めたらしい。世は戦乱で、兵法を学べば名を上げられると思ったとも言っていた。六尺近い背もある。頑張って欲しいものだ。


宿の中に上がると、一風呂浴びて一息つくことにした。草津から山科は四里程度の距離だが、半日歩き続けなければならない。成長途中の体には中々の運動だった。


山科か。懐かしいな。前世では運転免許を取るための講習をこの辺りで受けた。結構交通量が多くて苦労した記憶がある。風呂に入りながら昔を思い出していると、あっという間に逆上せてきた。


風呂を上がって部屋に向かうと、左近衛将曹が茶と上菓子を用意して待っていた。やるな。

「気が利くな」

「兄の指示でござります」

ま、そうだろうな。だが、自然と出来ている。嫌みがない。

「そう謙遜するな。せっかくだ。さっそく所望しよう。旨そうな菓子だな」


左近衛将曹が用意してくれたのは練羊羹だ。練羊羹はしっかりした食感に上品な甘さがあった。羊羹も逸品だが、漆の器が美しい。小さく繊細に侘助の花が描かれている。季節感をしっかり掴んでいる。さて、茶を頂こうか…。


「茶が冷えているな。抹茶茶碗であったから熱いかと思うたぞ」

「この近くで冷えた湧き水が採れるところがございまして、水出し致しました。抹茶茶碗の方がたくさん召し上がって頂けるかと」


ほぅ。それでか。確かに火照った風呂上がりにはありがたい。水出しのせいか、やや茶が薄く感じるが、量を飲みたい今の気分にはちょうどいい。供の者たちもあっという間に飲み干している。


「さて、洛中はどうだ。何か言伝てはあるか」

「はっ、内蔵助より文を預かっておりまする」

左近衛将曹が供回りに渡そうとしたため、"要らぬ。その方が持て"と言った。こういう指示は、最初の頃は家臣から仕事が減ると寂しがられたが、今は皆慣れている。公式の場ならいざ知らず、家内だけの場で仰々しくしては時間の無駄だ。


文は長かった。将軍たる公方は管領の細川右京大夫晴元と共に近江坂本に逃れており、家臣の三好長慶と交戦中、公方は慈照寺の裏に城を築城中とある。


洛中は公方不在なれど、新たな支配者となった三好筑前守長慶が混乱も少なくよく治め、摂津や大和へ勢力拡大中。洛中の公家や市井の人々も三好の治世を受け入れつつあるとあった。


それと文には、山科言継と近衛晴嗣の二人が特に俺に会いたがっているとあった。言継は内蔵助が世話になっているからよく分かるが、晴嗣と言えば後の前久だ。上杉謙信や織田信長等の戦国大名と親交をもった珍妙な公家のはずだ。将来摂関家のトップになる男が俺に何の用だろう?まぁ文通友達だからいつか会いに行く予定だったが、すぐに行く予定に切り替えるか。念のため手土産を多く用意しておこう。


文の最後に極秘と押印された絵図面が入っていた。“仮 清閑寺御所見取り図”と書かれている。つい笑いが出た。


「また大層な名を付けたな。左近衛将曹は今建てておる屋敷についてはどこまで知っておるか」

見取り図を見ながら顔を向けると、左近衛将曹が"はっ"と頷いた。

「恐れながら、縄張りと設計には某も携わっておりまする。府中の中井孫大夫殿と連絡を取って進めております。建てる時もしっかりと図面とあっておるか現場で確認しておりまする」


そうか。内蔵助から図面が送られて来た際に、良くできていると関心したものだ。智積院の横、今でいう京都女子大の辺りには、城と呼ぶ程大きくないが、邸宅と呼ぶには大きく、寺の横にあるにはまるで相応しくない軍事的な施設が作られている。もっとも、外観からは櫓が覗ける程度で、中は見えないはずだ。


一地方大名の駐在拠点としては異質な施設だろう。二町の土地が水堀に囲まれ、所々に物見櫓もある。中には将兵の寝床となる兵舎の他に、小さいものの練兵に使える一ノ丸と二ノ丸がある。門扉から中に攻め寄せると、外観からは分からないが勾配も険しい。土を削ったり盛ったりしてあるのだ。


畑と稲作の場もある。大した量が作れる訳ではないので、これは無くそうとしたのだが、内蔵助から長期籠城があり得る、そうなっても問題ないと将兵に思わせるために必要だと言うので許可した。そのときは感心したものだが、左近衛将曹が考えた事やもしれぬな。



もっとも、まだ半分程が出来たばかりだ。住むには困らないが、所々で工事をしている。

「見取り図だけでなく、実物を見るのが楽しみよ。明日は頼むぞ」

「はっ」

左近衛将曹たちが深々と頭を下げた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る