第二十三話 聯合艦隊
天文十八年(1549)十二月下旬 伊勢国度会郡大湊 今川 龍王丸
「うのぉぉかぁじぃぃいっっぱい!」
伊丹権太夫の野太い大声が聞こえたかと思うと、副官が大声で復唱し始め、信号役が後続の船に手旗信号を始めた。後続の船が更に後ろの船に同じように信号を送る。淀み無い動きだ。三隻の関船と後続の小早二隻が一糸乱れぬ艦隊運動で大湊へ入っていく。
俺が座乗しているのは富士、後続は関船が天龍と藁科、小早が島風と朝霧だ。普段は富士と天龍は用宗の第一艦隊、他は下田の第二艦隊に属している。権太夫は今川の武威を示すべく、完成して間もない安宅級も出そうと言ったのだが、大型船は足が遅い上に北畠を刺激してはまずい。その代わり精鋭の兵と船を出すように伝えたら一時的に聯合艦隊を編成することになった。
"聯合艦隊"
いいよなこの響き。こうなると戦艦が無いのが残念だが致し方ない。本格的に戦へと出撃するときは壮観な陣容にしてやろう。
「素晴らしい練度ですな。このように乱れの無い動きは見たことござらぬ」
塚原卜伝が感心するように呟いた。卜伝師匠は、俺の上洛で伊勢入りするのが決まると、伊勢まで供について来ることになった。俺の帰国が何時になるか分からない為、これを機に駿河を旅立つことに決めたらしい。
卜伝師匠は俺と共に北畠家に立ち寄って、門下の具教に会った後、聯合艦隊が熱海まで送る手筈となっている。そこからは徒で関東方面に進むようだ。根拠地の鹿島まで帰るのだろう。
「権太夫が張り切ってくれておりましてな。兵達もよくついていってくれておりまする」
俺が応えると、卜伝師匠は俺の方をみて頷いた後、再び艦隊運動を眺めはじめた。
岸壁が近づくと、北畠の家紋が入った旗を揺らめかせた小早が近寄って来た。権太夫と大きな声でやり取りをしている。一人こちらの船に乗り込むようだ。船を寄せる場所の最終調整だな。あらかじめ陣容は北畠に連絡してある。滞りなく終わるだろう。俺に出来ることもない。湊の様子でも眺めているとするか。
天文十八年(1549)十二月下旬 伊勢国度会郡大湊 鳥屋尾 満栄
御所様の命で、今川の嫡子殿をお迎えに上がる事となった。同盟国でも無ければ友好の使者でもない。上洛する途上に当家を通過するだけの客人を出迎える。某が向かう必要がある程の事かと一抹の不満もあったが、今川とは最近勢いのある織田や一向宗を相手に協同できる可能性がある。
ここで貸しを作るのも悪くない。御所様のそういったご判断かもしれぬ。もっとも、御所様は家柄を大事にされる。足利一門に連なる今川だから、重臣の儂がお迎えを命じられただけかも知れぬが……。
茶を飲んで海を眺めていると、赤鳥の大きな紋が描かれた帆の船が連なって港に入ってきた。
「ほぉう……」
一糸乱れぬ動きだ。先頭の船の軌道をなぞるように後続の船が続く。相当な錬度だな。水軍の者も連れてきて見せれば良かったと思うた。
今川家嫡男の龍王丸殿は商いに熱心と聞く。商人どもからその名を聞くことも多い。儂が迎えの任を勤めたと知られたら羨ましがるだろうな。もっとも、耳の聡い奴等の事だ。今頃赤鳥の紋が入った船を見て、丁稚たちが主人のもとへ走っておるかも知れぬ。
今川の船が湾の奥まで入ってきたので、迎えに家臣を出向かわせた。
さてと、そろそろ儂も岸で迎える準備をせねばならんな。
岸辺に幅寄せた今川の船から整然と、素早く兵が降りてくる。不気味な程整然としている。瞬く間に岸辺に兵が並んだ。黒いが…あの陣笠は鉄製か?当世具足も黒塗りにされている。兵達は皆、右の腕に赤鳥の紋が入った腕章をしている。変わった軍装だな…。漆黒の兵が二百程だろうか。整然と並んでいる。最後に狩衣姿の若武者が降りてきた。あれが龍王丸殿だな。十一、二歳と聞いておったが、見た目は青年のように見えた。佇まいも威風堂々としている。後ろには塚原卜伝師と儂の家臣である林五郎が続いてきた。
儂が龍王丸殿に近づいて行くと、"鳥屋尾石見守殿にぃぃー、捧げぇー
二百の兵が全く同じ動きをして、同じ形でとまった姿は壮観だった。
「今川龍王丸でござる。石見守殿、出迎え忝ない」
「あ、いや、その、大したことではござらぬ。ようこそ伊勢にお越し下さいました」
龍王丸殿が颯爽と話しかけてきた。いかぬ。儂としたことがまごついてしまった。
異質だ。異様だと言ってもいい。龍王丸殿もその兵たちも。
無意識の内に、敵として会わずに良かったと思っていた。
天文十八年(1549)十二月下旬 伊勢国一志郡霧山城 今川 龍王丸
案内された謁見の間に座っていると、初老手前の男と若々しい青年が入ってきた。どちらも狩衣姿だ。俺も狩衣だ。京での活動を考えて狩衣を多めに持ってきたので今日も着ている。結構動きやすいんだよな。つかみは良さそうだ。結果オーライだな。
「面を上げられよ。余が北畠左中将じゃ。そこに控えるは息子の侍従具教である」
上段に座った左中将が貫禄ある話しぶりで具教を紹介した。名を呼ばれて具教がこちらを向き、目があった。頭を軽く下げつつ自己紹介をする。
「今川参議義元が嫡男、龍王丸でございます。この度は上洛の途上、格別なるご高配を賜るばかりか、左中将殿と侍従殿にお目通りの機会を賜り恐悦至極に存じます」
「ハハハっ。そうかしこまることもあるまい。余も海道の守護、今川殿の嫡男に会えて嬉しいぞ。塚原殿もしばらく振りじゃな」
好々爺の面持ちで左近衛中将晴具が言うと、卜伝が軽く頭を下げた。具教が嬉しそうにしている。師弟関係は良好の様だ。
「此度の領内通過について、お礼の品を持参致しました。ご笑納頂ければ幸いです」
供として連れてきた上野介たちが貢物を持って下座から上がってくる。北畠家臣の許可を得て御前まで運んだ。
「当家の産品である茶、椎茸、石鹸、竹と漆細工、……最後に太刀と小太刀を二対。一対は侍従殿に献上したく存じます」
侍従具教の顔を覗くと、まんざらでも無さそうな顔をしている。
「おぉ、おぉ忝ないな。龍王丸殿。このように多くの品を頂戴して、心配り嬉しく思うぞ。だが侍従への刀はどういう意味じゃ?」
お?何かいらぬ心配を与えてしまったか?それとも勘繰り深い性分なのかな。
「特に深い意味はござりませぬ。塚原卜伝師より、侍従殿は剣術を嗜まれると聞き及んでおります。我が領の産品に刀があったので持参したまでにございます」
「今川領の刀は某も頂戴し申した。中々に良い代物ですぞ」
手前みそで自領の品を誉めるのを憚っていると、卜伝師匠が合いの手を入れてくれた。さすが御師匠。いい仕事をしてくれる。
「父上、私はありがたく頂戴したく存じます。龍王丸殿、ここで拝見しても?」
「お受けいただけるのであれば、そちらは侍従殿の物です。どうぞご見分下さい」
具教が刀を鞘から出して波紋を眺める。いくつか動作をした後に俺と目があった。
「良さそうな刀じゃ。龍王丸殿、ありがたく頂戴しますぞ」
にっこりと笑みを浮かべて俺の方を見てきた。なんだ、中々の好青年ではないか。史実では織田信長に暗殺された故に評価は決して高くない。信長に降伏したのにちょこまかと暗躍するから殺されたはずだ。自尊心の強い困ったチャンかと思ったが、ちゃんと意思疎通は取れそうだ。
その後はお互いの家臣を交えて宴会となった。俺は酒が飲めないからと断ったのだが、それでも良いというので参加した。連れてきた平次郎や伊豆介が座を盛り上げている。少納言も連れてきたかったのだが、彼には残っている文官の取り纏めを頼んだ。親衛隊は井伊彦次郎に任せ、その弟で輜重方の平次郎は共に連れてきた。
酒豪の平次郎は人一倍酒を飲んでいる。濁り酒なのが残念だろうな。あやつはよく清酒を飲んでいる。濁りは濁りの旨さがあるのだが、清酒になれると清酒が欲しくなると言っていた。
しばらくすると、具教が"一興を"と「陵王」を舞い出した。北畠の家中が大いに盛り上がっている。家中でよくやっているのかもしれない。具教を北畠大将軍の北畠顕家と重ねているのだろう。
陵王は、南北朝の争いの初期に、南朝方の武将として大活躍した北畠顕家が好んで舞ったとされる雅楽だ。北畠顕家と言えば、獅子奮迅の戦いぶりで足利尊氏を破る等、北朝方を幾度となく苦しめている。そういう意味では陵王を足利一門である今川の者に対して舞うのは、配慮が欠けると言わざるを得ない。取りようによっては礼を逸していると言える。晴具はこれに気づいているのか、ヒヤリとした顔をしている。具教は酒の勢いでやってしまったのかもしれない。
どれ、ここは寛容なところを見せておこう。“気になどしていませんよ”と晴具に目配せしておく。お、礼を申すといった仕草が返ってきた。
俺にとって目下最大の悩みは、陵王が終わるまで睡魔に耐えなければならない事だ。能とか歌舞伎は得意じゃない。前世でもこの類いで楽しめたのは狂言位だったな。眠くなっちゃうんだよ……。
史実の氏真なら楽しんだのかもしれないな。
やっと舞が終わったかと思えば、具教が俺にもどうぞという目を向けてくる。気遣いだろうが、それは余計なおせっかいと言うんだぞ。勝手に盛り上がる周りの視線が辛い……。
結局、悩んだ末に敦盛をやって許してもらった。
場を盛り下げるかと気にしたが、かといって俺ができる演目は数少ない。転生に気づいてから常に思っている、この身のふわふわとした儚さを内に秘めながら舞った。
意外と喜んでもらえたな。
いや、あれは舞うために取り出した俺の扇子に感動していたのかも知れぬ。色の異なる竹を骨に組み合わせて、雄大な赤富士が美保の松原とあわせて緻密に描かれた物だ。
具教にくれてやると大層喜んでいた。そうか。まだ何本かあったな。よし、晴具にも進呈しよう。
フフフ、伊勢でも我が領の名産が売れるようになると良いな。
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