第二十二話 上洛願い




天文十八年(1549)十二月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 義元




「父上、先の戦の勝利によって、三河も落ち着きつつありまする。つきましては、兼ねてよりお願いしていた某の上洛、お許し頂きとうございまする」

龍王丸が頭を下げている。また上洛の話か。そろそろ来るかと思うてはいたが…。

「またその話か。洛中とて戦続きじゃ。なぜ上洛に拘る。公家ならば駿河にも多いゆえ交流はできよう。まさか公方に会うわけでもあるまいて」

「日の本の都がどのような状況なのか、堺がどのような所か、この目で確かめとうございまする。それに公方様には会う予定はありませぬが、太閤殿下と近衛内府殿にはお会いしたいと考えておりまする」


太閤殿下と内府か。龍王丸は定期的に文のやり取りをしていたな。この時期に会うとなると……。

「銭の話か」

「はい。太閤殿下や内府殿の他にも朝廷の有力な公卿とお会いしたいと思いまする。世の中は銭が圧倒的に不足する中、当家にはこれを作る力がありまする。傍観するにはもったいのうございます」

「それはそうじゃが、朝廷が認めたとて公方が騒ぐぞ」

「あまり五月蝿いようならば、幾らかくれてやりましょう」

"フッ"

公方を何とも思わない息子を面白いと感じた。今少し存念を聞いて見るか。


「我らは足利一門だ。幕府を支えねばならぬ立場でもある」

「仮名目録は、幕府よりも我が今川を優先する内容、と思うておりまする」

横に控えている雪斎が苦笑している。余も笑いたい気分になった。確かにその通りだ。仮名目録では幕府の威光を傘に、守護不入を訴える者どもを否定している……。

相変わらず弁が立つ者よ。

「御屋形様、先日ご相談した儀で、拙僧も上洛をせねばならぬと考えておりまする。洛中では拙僧が案内する故、御認めになられては?」

朝廷から要請があった大樹寺の件を公卿たちと調整するか。

龍王丸が意外な所からの援軍に驚きつつも、力強く、曇りなき眼を向けてきた。息子の強い眼差しを受けて、説得は無駄だと感じた。説得が無理ならば、ここは一つ条件を付けてみるか。


「よかろう。上洛を認める」

余が認めると、龍王丸が嬉しそうに頭を下げた。

「但し、洛中から帰国した後は元服する事が条件じゃ」

「!」

「それはよい。妾も龍王丸殿はそろそろ元服してよい頃合いだと思っていました」

先ほどから怪訝そうに我々のやり取りの様子をうかがっていた母上が、微笑んで賛意を示した。

「銭の事は委細任せる。必要があれば幕府に献上するように。その他の事は得意の知らぬ存ぜぬで余に相談せよ」

「……ははっ」

龍王丸が口惜しそうにしている。久しぶりに出し抜いてやれたかの。

「不服か?」

「某はいまだ未熟者にございます。此度の上洛も見聞を広める為で有りますれば、帰国後の元服は些か拙速かと」

「その方が元服に十分な素質があると思うからさせるのじゃ。それに元服後は責ある役目を今以上に申し付ける。経験は積めようぞ」

「政はまだしも、歌会や蹴鞠はどうも……」

龍王丸が食い下がる。

「大納言殿の言を忘れたか?毎度参加せよとは申さぬ。されど多少は参加せよ。それに波風を立てずに上手くかわすのも、当主として必要な力であるぞ」

「……御意にございます」

「うむ。道中はくれぐれも気を付けてな」

「フフフ、そなたの元服の儀を準備しながら無事の帰国を待っていますよ」

余と母上の言葉を受けて、龍王丸が頭を下げる。すっかり身体つきも大きくなったな。


龍王丸が下がると、雪斎が余の方を向いて来た。

「雪斎、龍王丸を頼むぞ」

「承知致しました。お任せ下され」

「上洛する以上、その方の人脈を龍王丸にも紹介してやってほしい」

「妾もこの件を中御門に伝えましょう。雪斎殿、くれぐれも頼みましたぞ」

「御意にございます。そうとなれば早速準備致しましょう。先に出でて龍王丸さまを受け入れる準備をしておきまする」

そうだな。雪斎が先に地ならししてくれれば安心よ。そういえば、あやつはどこに逗留するつもりだ?雪斎ならば妙心寺等の寺に逗留するのだろうが……。


「うむ。ところであやつは、龍王丸はどこに逗留するつもりなのやら」

「手習いの時に伺った話では、屋敷を作っておられるとか。そちらに泊まるのやも知れませぬ」

「そのような事をしておったのか」

まったく用意がいいやつだな。我が息子ながら感心するの。もはや龍王丸のする事で驚くことも少なくなってきた。此度の上洛で事を知って、さらに大きゅうなってくれればよいが……。




天文十八年(1549)十二月中旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 龍王丸




「それでは龍王丸さま、京にてお待ちしておりまする」

「うむ。しかしよいのか?京まで徒で」

「まだ歩けぬほど老いぼれてはおりませぬ。途中に顔を出したい寺もありますれば」

「で、あるか。では頼むぞ。また京で会おう」

雪斎が"はっ"と頭を下げ、弟子の僧達とともに上洛していった。


雪斎は三河までは馬、そこから先は徒歩で京まで向かう。俺は明後日に船で京を目指す予定だ。伊勢までは航路で、その後は陸を進む。この方が早くて楽なのだが、雪斎は固辞してきた。徒歩であれば、三河や尾張を見ながら向かうことが出来ると言っていた。尾張の通過は敵国の真っただ中を行くので危険な気もするが、僧の格好であればほとんど滞りなく通過できるらしい。




雪斎を見送った後、自室に戻って文の整理をしていると、近習を務めている三浦内匠助がやって来た。

「龍王丸さま、友野屋が参っております」

「来たか。通してやれ」

“御意にございます”と言って内匠助が下がっていった。内匠助は史実で氏真の信頼が厚く、権力を欲しいままにしたため奸臣と言われることがあるが、今のところその片鱗は無い。むしろ何事にも細やかに気が利く生真面目な印象を受ける。芸事にも明るい。内匠助は譜代名門の出身な事もあって、単純に当主からの信頼が厚く、その信頼に応えようと邁進しただけなのでは無いかと思う。


「失礼いたします」

「うむ。すまぬな。年の瀬の忙しい時期に呼び出して」

「いえいえ。龍王丸さまのお声がけとあらばこの次郎兵衛尉、喜んで参上いたしまする」

「ハハハ、褒めても何も出ぬぞ。商人からの誉め言葉より恐ろしいものはないからな」

「これは手厳しいお言葉。で、如何なる御用に御座いましょうか」

ニコニコと笑みを浮かべていた次郎兵衛尉が真面目な商人の顔に変わった。

「うむ。俺は上洛することになった」

「それはおめでとうございまする。念願の上洛ですな。日取りはいつ頃でございましょうや」

「明後日に出立する。しばらくは洛中に逗留することになるだろう」


「……急な話になりましたな。これから発たれるとなると、堺へ行かれるのは年明け以降ですな。取り急ぎ堺へは文を送り、年明けには手前も堺へ向かいましょう」

「その方まで堺へ行くのか?店は大丈夫か」

「龍王丸さまのおかげで、三河では大きく儲けさせていただきました。しっかりとお礼をせねばなりませぬ。なに、手前がいなくても店はまわりまする」

松平広忠の時のことを言っているのか。そうか、上手く儲けたか。さすがだな。

まぁ海千山千の堺の豪商に会うには次郎兵衛尉がいた方がいいかも知れぬ。次郎兵衛尉は礼と言いつつも新たな利を求めているのだろうが……。


「で、あるか。ならば堺での細かい事は文でやり取りしよう。堺の赤鳥堂に文を届けてくれ。ところで堺の商家はどこにつなぎを得ておる」

「武野因幡守殿、天王寺屋の津田殿と話をしておりまする。龍王丸さまが堺へお越しの際にはお取次ぎできるようにしておきまする」


武野紹鷗と津田宗及か?宗及はもしかしたら父親の代かも知れないな。だがどちらも世に聞こえた茶人ではないか。ちょっと別の方向でテンションが上がってきたぞ。できる事なら天王寺屋会記に俺の名も載せたいな。

「如何されましたか」

次郎兵衛尉が少し心配そうに俺の顔を見ている。心配をかけてしまったな。自分が紹介しようとしている人間の名を出して相手が急に黙り込んだら心配になるよな。

「考え事をしていた。気にするな。その二人の名は俺も聞いたことがある。よくぞつなぎを付けてくれたな」

次郎兵衛尉が安堵したような顔を浮かべて“いえ、お安い御用です”と頭を下げた。

“堺で会うのを楽しみにしている”

堺での再会を約束した後、友野屋が帰っていった。


自然と、足が茶道具をそろえてある棚の場所へ向かった。

今回の旅には茶器を持参した方がいいな。うーむどれにしよう。悩んでしまうな。だが何となく楽しい悩みだ。京も堺も目的があって向かうのだが、ちょっと遠足気分になってきてしまったぞ。


武野紹鷗と言えば、堺の豪商でもあり、今井宗久や千利休に影響を与えた大茶人でもある。一方の天王寺屋も、宗達、宗及、宗凡と宗玩の三代に渡って茶席の様子を記録した天王寺屋会記を残した。この会記は当時を知る貴重な資料となっている。会記には日時や出席者、どのような茶器が出されたのかが書いてある。亭主として津田家を招く機会があれば、俺も書かれることになる。そう思うと胸が高鳴った。




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