第十九話 甲斐出兵




天文十八年(1549)七月中旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 龍王丸




「雪斎、長らくの出陣大儀であったな」

「大した事ではありませぬ。それよりも面目ござりませぬ。安祥城攻め、思ったよりも手こずり申した」

雪斎が父上に向かって頭を下げた。岡崎城で戦線の再構築をしていた雪斎が府中に帰国した。雪斎は三月の出陣から不在にしていたため、父上、御祖母様、雪斎と俺とで集まるこの会議も久しぶりになる。


「織田三郎五郎か。雪斎を退けるとは中々の武将だな」

笑いながら父上が話している。余裕の表情だ。今回は敗退したとは言え、渥美半島方面は俺が抑えた。それも残党を尽く駆逐して、完全に今川の物と言える状態でな。安祥方面も痛手を負ったのは松平勢であり、今川勢はほとんど無傷だ。考え方によっては、松平は弱体化して今川への依存度を高めたと言える。

今川自体は痛みを受けていないのだ。


「秋に再度出兵し、安祥城を落とす所存でござる。此度は松平を使わず、今川のみにて攻めようかと」

次は全て今川でやるか。転んでもタダで起きないな。黒衣の宰相殿は。父上も不敵に笑っている。


次の出兵を今川のみで行うという事は、安祥付近を今川が支配できる。端から見れば松平を都合よく使って力を落とし、今川が良いところを取ったとも見えるだろう。今回の撤兵は敗退では無く戦略的撤退だという見せ方がな。

なるほどな。勉強になるわ。


父上の目線が俺に向いてきた。

何かと最近は妙に意見を求められる。俺を育てようとしているのか?ちょっと圧を感じるぞ。…やれやれだな。


「御師匠、その策だと松平の家臣どもが騒ぐのでは無かろうか」

俺が思っている事を申すと、父上が頷いて雪斎を見た。父上も懸念だと考えているようだ。


「御懸念はごもっともでござる。その点については、松平は慰無のため動かさないと伝えましょう。我らの本音が違う所にあろうというのは分かったとしても、そのように言われては動けませぬ。それに加えて拙僧に策がありまする」

ニヤリとして雪斎が父上を見ている。

「申してみよ」

「はっ。次の安祥城攻めにおいて織田三郎五郎を生け捕りして見せまする。庶子とは言え、三郎五郎は織田弾正忠の大事な長男。交渉材料として使えまする」

「そうか、分かったぞ。竹千代との交換に使うのだな」

「左様。御賢察恐れ入りまする」

父上が楽しそうに問答している。俺は知っていた事ではあるが、とりあえず雪斎の策に驚いている振りをしておこう。御祖母様は素直に驚かれているな。


「竹千代が府中におれば松平の家臣も下手は出来ない。表向きは慰無で労い、裏では竹千代を手に入れて三河の今川支配を固める。雪斎、そういう事だな」

「仰せの通りでござりまする」

父上の問に雪斎が淀みなく答えている。僧侶という羊の皮を被った狼だな、雪斎は。次から次へと策を出してくる。戦国屈指の名軍師と言うのも頷ける。

「あい分かった。安祥方面は雪斎に任せる。抜かり無く準備せよ」

"はっ"と雪斎が畏まった。


今日の会議は終わりかと思って、俺も畏まろうとしていると、父上が胸元から文を取り出した。

「ところでこのような文が甲斐の山猿から届いてな」

父が文を俺に渡してきた。中をあらためようとしていると"援軍要請だ"と父上が仰せになった。

「信濃出兵の後詰め要請だ。兵力を厚くしたいらしい」

後詰めか。余程の事がなければ戦う機会は無いな。

「河東での武田勢は三千程でしたゆえ、当家も三千程お出しになればよろしいでしょう」

雪斎が申し出ると、御祖母様も異論ないとばかりに頷いた。


「…まぁそうだろうな。その程度なら駿河衆だけで捻出できる兵力であるしな。問題は誰に大将をさせるかじゃ。短期だとは思うが、いつ終わるとも分からぬ。安祥方面の再出兵がある中で雪斎は出せぬ。かといって余が自ら出るのもな。気が乗らぬ」

三千程度の後詰めだからな。河東の戦いと違って決戦でもない。当主自ら行くのは大げさだろうな。


「某でよろしければ行って参りましょう」

「龍王丸殿、後詰めとは言え信濃は国人と武田の争いが激しい地域。元服前の嫡子が軽々と行くものではありませぬよ」

俺が申し出ると、例によって御祖母様が反対してきた。父上と雪斎は動じていない。

「母上、ご心配はごもっともですが、まずは龍王丸の存念を聞きましょう」

父上が御祖母様を宥め、試すような目で俺を見てくる。

「甲斐は府中にとって重要な交易先にございます。だからこそこの目で一度見ておきたい。大手を振って甲府を見るまたとない機会です。なに、本当に危のうなれば上手く退いてきまする」

「当主の嫡男が元服の前に飄々と出歩くものではありませぬ。妾は反対ですよ」

「御祖母様、お言葉ですが元服前だから軽々と動けるのです。後詰め以外の事は知らぬ存ぜぬ。父上に相談します。で、持ち帰りまする」


"フ、ハハハ"

俺と御祖母様のやり取りを見ていた父上が突如笑いだした。

「相変わらずそなたは口が達者だな。母上、龍王丸は役目を分かっておりまする。良いではありませぬか。しかと戦目付をつけまするゆえ」


「拙僧も龍王丸さまが向かわれるのは良いと思いまする。甲斐との盟約を重んじて龍王丸さまが向かわれたことにすればよろしいかと。軍歴が無いなら問題なれど、龍王丸さまはお持ちでございまする。それならば武田様もご納得されましょう。それに同盟国の嫡子を最前線には送りますまい。貴重な我が兵を失う事もありませぬ」

雪斎の説得を受けて、御祖母様が渋々承知された。父上は妙案だと思われているようだ。

「父上、武田はいつまでに甲府入りを希望で?」

「八月中旬までに願いたしとある」

「急ぎ準備してすぐに出国致しまする」

「三千程だ。すぐに支度できよう。それほど急ぐ必要もあるまいて」

「甲斐入国後はゆるりと進んで武田の治世を見てみたく存じます」

俺が思うところを述べると、感心するような、面白い奴を見るような顔で父上が頷いた。

「物好きな者よ。山向こうの片田舎等、見ても仕方ないと思うが好きにせよ。朝比奈備中守と庵原安房守、それに三浦左衛門尉も連れていけ。皆への話は余がしておく。頼んだぞ」

"御意にござりまする" と父上に頭を下げた。


話を終えたので、父上に晴信からの手紙を返そうとすると、興味が無さそうに立ち上がった。"山猿からの手紙等捨てて構わん"という意のようだ。勿体ない。これはツいている。晴信からの手紙ゲットだ。大事に取っておこう。表装もしちゃおうかな。後世では重要文化財かも知れないからな!!




天文十八年(1549)七月中旬 駿河国安倍郡府中 柚木 今川 龍王丸




「ここが拝殿、この向こうが本殿となる場所でありまする。絵図面ですと…こちらと、こちらになりまする」

「なるほどな。見事ではないか。この見取りで良い。孫大夫、しかと頼んだぞ」

中井孫大夫正吉が"ははっ"と頭を下げた。大名の嫡子から直に頼まれて緊張しているようだが、萎縮しているわけではない。先ほど迄の説明は分かりやすかった。頭も切れるのだろう。やる気も漲っているように見える。

"期待している。持ち場に戻ってよいぞ"と言うと、少しだけ笑みを見せ、もう一度頭を下げて去っていった。


今日は新しく建立する神社の縄張りを確認しに来ている。縄張りを俺が確認しないと作業が滞るため、出陣の前に見ておきたかった。


「伊豆介、番匠の事は詳しく分からぬが、孫大夫は良き人材に思うぞ」

「若殿にそう仰せ頂くと嬉しく思いますぞ。遠くまで探しに行かせたかいがあり申した。某も孫大夫には期待しており申す」

孫大夫は、法隆寺の番匠を務めているところを荒鷲が引き抜いて来た。孫大夫はまだ十代後半の若者だが、早くに父を無くし、童の頃から法隆寺の修繕に出入りしていたらしい。戦乱で大きな仕事が中々得られず燻っていたところを荒鷲がスカウトしたと言う訳だ。


"法隆寺や東大寺に優秀な番匠がいるのではないか?"と俺が伊豆介に言うと、愚直に探して来てくれた。法隆寺側も多少の寄進を条件にすると快く送り出してくれた。孫大夫の有望性は認めるものの、まだ若いだけに、容易に替えが効くと思ったようだ。


伊豆介も荒鷲の頭領として忙しい。孫大夫に力があれば大工仕事は任せていくとするか。

「少納言も悪いな。色々頼んでいる中でこの件にも携わらせて」

「お気遣い無用でおじゃる。こうした務めは楽しくありまするゆえ」

少納言には建立する神社の社殿や鳥居の位置、方角等に関する助言をしてもらっている。大蔵方に火薬作りにこの件と、結構頼っているが快く引き受けてくれる。意外とブラック耐性Sなんだよな。助かるわ。


「うむ。お陰で心置きなく甲斐に行ける。礼を申すぞ」

少納言に礼を言うと、"ご武運を"と返された。

「で、あるな。少納言には後で近習に用意して欲しい品目を届けさせる。武田への手土産だ。蔵からの用意で事足りるが三日後の出陣までに準備してくれ。伊豆介は甲斐及び信濃の動向を報告せよ。それと此度の出陣には帯同するように」

俺の命を受けて、伊豆介が"実は"と切り出して"信濃國""甲斐國"と書かれた和本を差し出して来た。パラパラとめくると、至近の動きが書かれている。なになに、準備がいいじゃないの。

茶でも飲みながら見ることにするか。




天文十八年(1549)八月上旬 甲斐国巨摩郡身延村 久遠寺 今川 龍王丸




「さすがは日蓮宗の大本山だな」

「大きいですなぁ」

「いくつ伽藍があるのか」

率直な感想を俺が呟くと、供の者たちも頷いた。皆感嘆しているようだ。


ようやく待ち合わせ予定の久遠寺についた。府中を進発して一週間もかけてしまったわ。荒鷲の測量部隊に道を詳しく調べさせながらやって来た。三千の軍だが、かなり多めの兵糧も持ってきている。大軍で攻め入る事を想定した荷駄運搬の実地訓練だ。ま、兵達にはそんな邪な思いは見せないし伝えていない。単純に兵糧が多い方が心配なかろうと言っている。


武田晴信…。俺は油断してはいけない人物と見ている。史実で今川はこいつに滅ぼされているんだ。こうした情報は取ることが出来るうちに取っておくべきだな。


さて、久遠寺で武田の先導役と合流する手筈となっている。今は山門で待ち受けていた僧侶が本堂まで案内してくれている。寺の境内だ。大挙して行くのも不味い。父上から預かった家臣と最低限の護衛を引き連れて本堂まで向かう事にした。


久遠寺は前世でも行く機会が無かった。かなり大きいのだな。歩き疲れそうだ。

事前に晴信と行った文によるやり取りによれば、久遠寺で迎えの使いと合流して欲しいとの事だ。この後は迎えの先導で甲府入りして晴信と会うことになっている。晴信は深志城、近世で言う松本城の辺りの最前線で信濃守護小笠原長時と戦っている。甲府入りは晴信の方が後になるかもしれない。


小笠原長時と晴信の戦いは、昨年の春まで晴信が押され気味だった。春先に北信濃の大名である村上義清に武田勢が大敗した。重臣の板垣信方や甘利虎泰が戦死し、晴信まで傷を負う散々なものだったらしい。


その勢いに乗じて、信濃守護の小笠原長時が兵を動かし、武田を信濃から追い出そうとした。最初は順当に攻め押していたが、連戦連勝に油断したらしい。七月に晴信から朝駆けの奇襲を受けて大敗した。晴信は寸でのところで踏みとどまった。


武田も大戦の後だ。小笠原を滅ぼす所までは行けなかったらしい。睨みあって今年を迎えた訳だが、ここは晴信の駒の使い方が上手い。今川の後詰めを呼ぶことで、武田の兵力を総動員してもさらに後詰めが出せるという事を見せしめている。


これは北信濃で風見鶏をしている土豪には効果的かも知れぬ。只でさえ武田が押しつつあるのだ。ここで今川の援軍は大きい。ま、そういう状況からも、今回の援軍は今川勢が甲府入りした時点で役目を果たしているのだろうな。


今川を前線に出して、下手に手柄をあげられると恩賞がややこしくなるからな。こちらも無闇に兵を失う気はない。準備はしておくが、出番が無いならゆっくり甲府見学でもさせてもらうつもりだ。茶を立てる時間はあるかな。あ、それに信玄餅もだな。あれはこの時代からあるのだろうか。




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