第十七話 恩師との別れ




天文十八年(1549)三月中旬 三河国渥美郡堀切村 和名砦 庵原 忠胤




龍王丸さまの指示により、今回の戦いで無くなった者の供養がされている。龍王丸さまが"亡骸に敵も味方も無い"と仰せになり、味方だけでなく戸田庄右衛門とその一族朗党の供養もされている。


砦には五百の兵が立て籠っていたが、戸田庄右衛門に付き従って打って出て来たのは二百に届かない程度だった。打って出た将兵は尽く討ち取られ、残った兵はまもなく降伏し、庄右衛門の縁者で無いことが確認でき次第解放された。


龍王丸さまの戸田一族に対する仕置きは幾分苛烈かと思うが、戸田弾正少弼が仕出かした事を鑑みれば、致し方無い事とも思う。


戸田孫六郎宣光が悲痛な面持ちで参列している。孫六郎は弾正少弼康光の次男で、弾正少弼が織田に寝返った時も今川方に残っている。今回孫六郎は安祥方面ではなく渥美半島方面軍に動員されている。


「戸田孫六郎」

龍王丸さまがお呼びになられた。

「ははっ」

孫六郎が前に出て膝を着いた。

「今後、その方を戸田宗家と認める。今日は取り急ぎの供養となるが、希望とあらば改めて法要を行う事を認める。ただし、その方の所領は転封させる。今の所領は渥美に近いゆえな。騒がしくなってはかなわぬ。御屋形様と相談の上で追って沙汰する」

"御意にござりまする。法要の御許可、有難き幸せにござりまする"

孫六郎がかしこまった。

「実の父が織田に寝返ってもその方は今川に残ってくれた。悪いようにはならぬようにするつもりだ」

孫六郎が沈痛な面持ちで頭を下げた。

"辛かったであろう。下がってよいぞ"

龍王丸さまに促されて孫六郎が下がった。

感服するな。龍王丸さまは外見こそ少年であるものの、すでに立派な差配をされている。ご心配不要と御屋形様に報告するとしよう。


近くの寺から呼ばれた僧による供養が行われた。その後、富之神社の神主が前に出て神式の葬儀が行われた。富之神社は戸田勢が立て籠った事によって建物に幾らかの被害が生じたようだ。


龍王丸さまが神式葬を依頼し、謝礼として金を寄進された。急な戦で被害を受け、不安そうな顔をしていた神主だったが、今は安堵の顔を浮かべている。むしろ喜色を浮かべているように見えるのは気のせいだろうか。まぁこの辺りの差配も見事だな。ただ寄進するのではなく、葬儀を担った謝礼として寄進をしている。神主としても快く受け取れるだろう。




天文十八年(1549)三月下旬 三河国渥美郡伊良湖村 今川勢渥美半島方面軍本陣 今川 龍王丸




美しい景色が続いている。

これが伊良湖岬か。心が洗われる美しい景色だ。堀切村から伊良湖村は一刻もかからない。戦没者の法要と神事の後、海を眺めようと岬にやって来た。


今回の軍事行動は完全に自分で起こした事と言える。

自分でやらなければいつかは父の義元がやっただろう。


ただ、俺の命によって一つの家が滅び、また幾人かの味方も命を落とした。責の重さを改めて感じている。

……今は乱世だ。そして幸か不幸か俺は今川に生まれた。殺らねば殺られる。立ち止まることはできない。死した者の死が無駄にならぬよう俺は進む。そのためなら阿修羅にでも魔王にでもなろう。

今回の事に後悔は無い。だが心は悼む。味方の死は特に感じる。今川のために散っていったものを供養する寺社仏閣があってもいいな。これは俺が満足するための偽善になるかもしれぬ。それでも良い。それに遺族たちの気持ちも少しは安らぐだろう。


…臨済寺でやるのは偏りが過ぎるな。仏教勢力が今川の庇護を受けすぎる事になる。かといって浅間神社も神道での一強が過ぎる。すでに今川家の庇護をそれなりに受けている。ここは新たに作ってみるか。


伊良湖岬の景色を眺めながら考え事をしていると、赤鳥の紋を掲げた小早が見えた。蒲郡から来た荒鷲の連絡船だ。さてさて対岸の戦いはどうなっているかな。



岸に乗り付けた小早から降りてきた忍びが足早にやってきた。動きがかろやかだな。さすがは忍びだ。

「申し上げまする。安祥城攻略に向かった御味方が苦戦中。松平勢が総崩れにございます」

「どういうことだ」

「はっ。松平勢が城攻めの先方となり、広忠公の仇討と勢いよく攻め込みましたが深入りし、先陣の本多平八郎殿が流れ矢にあたってお討ち死。それを見るや織田勢が城から打って出て来たため松平勢が総崩れとなってござります」

「今川勢は、雪斎はどうしている」

「打って出て来た織田勢を何とか城に押し返したものの、戦の勢いを失ったと仰せになり、撤兵の準備をされておりまする。某は今川勢が立て直しを行っている最中にこちらへ出向いてございまする」

「で、あるか。ご苦労であったな。戻って雪斎に伝えよ。こちらは当初の予定を完了。これより帰国するとな。その方らは着いたばかりだ。一息ついてから出ればよいぞ」

俺が伝言を頼むと、忍びは“はっ”と言って頭を下げて去っていった。ここから蒲郡なら海上で行けば十里も無い。少し休憩したとしても二刻とかからぬうちに戻るだろう。


まさか敗退するとはな。本多平八郎が戦死と言ったか。何となく思い出したぞ。確か本多忠勝の父親で、一連の安祥合戦で戦死するはずだ。まだ生きていたのか。この辺りは細かすぎてうろ覚えだからな。今回で城が落ちないということは、また城攻めがあるということか。


今川方は安祥城を落とした折に織田信広を生け捕りし、それを質草に竹千代と人質交換するはずだ。今のところ史実通りなのか?それとも既に歴史が変わっているのか?いずれにしても今から俺ができる事は無いな。抑えの兵を置いて帰国の途に着くとしよう。




天文十八年(1549)四月中旬 駿河国安倍郡府中 今川 龍王丸




ビュッと大きな風が吹いて馬車が揺れた。窓の外を眺めると、どこかの屋敷から飛んで来たのか桜が舞っている。今川堤の構築に伴って新たに作られた屋敷街は、京の中心を模して造られている。その屋敷街に桜が舞う景色は、美しいがどこか儚げだ。


「洛中の景色を思い出す。それも禁裏の近くをな」

俺とは反対側の車窓を眺めていた父上が呟いた。

「洛中に長くお見えになった父上にそう仰って頂けると感慨深く思いまする」

この屋敷街は冷泉権大納言をはじめ、駿河に下向している公家から意見を聞いたり、京から大工を呼び寄せたりして造成した。

「これだけの物を造るのは苦労があっただろう。特に公逹は好き好きに申したであろうな」

その通りだ。公家達はここぞとばかりに意見と言う名の希望を言ってきた。まぁ大抵は参考になるものばかりだった。色々と勉強をさせてもらいながら造っていった。


京から来た大工の一部は、引き続き府中に残ってくれている。給金はよく、戦火の心配がない府中はいい働き場のようだ。


友野屋や荒鷲からの情報によれば、この屋敷街は早くも洛中で評判らしい。確かに、屋敷街が出来てから駿河下向を希望する公家が一層増えた。だが、こちらも慈善事業でやっている訳ではない。今川の為になりそうな者は受け入れ、ならぬ者はのらりくらりと逃れていくつもりだ。


「これから向かう冷泉邸は立派であったな。年明けに招かれて行った時には驚いたぞ」

「はい。冷泉権大納言邸は特に力を入れました。権大納言は当家の恩人であれば、なるべく希望は叶えて差し上げたく」

「うむ。それで良い。大儀であったな。権大納言も満足されていた。此度は大事なければ良いが…」

そうなのだ。今日は冷泉権大納言邸に向かっている。というのも権大納言が先月から体調を崩している。芸事の講義も体調が優れない事を理由に長いこと休みが続いている。卿は既に六十を過ぎた。大事ないと良いのだが……。


また風が吹いた。かなり風が強い。俺が軽いからか馬車が結構揺れる。御者も大変だろうな。雪斎でも乗っていれば別なのだが、黒衣の僧侶殿は岡崎城で戦後処理の最中だ。安祥城攻めで松平にかなりの損害が出た。今川から金銭的な支援をいくらかするようだ。名目は金銭支援のための岡崎駐屯だが、今川勢がしばらく岡崎に駐屯することで松平の寝返りを防いでいる。


織田も今川・松平連合軍を撃退したとはいえ相当の被害を被ったようだ。安祥城は落城寸前だったらしい。戦いの最中に所々で火の手が上がった事もあって、今の安祥城は煤だらけのようだ。


安祥方面は再び膠着状態になったが、俺としては念願の渥美半島を受け取った。しばらくは内政に専念して所領の充実を図ろうと思っている。




冷泉邸に到着すると、息子の権中納言冷泉 為益殿の出迎えを受けた。隣には最近見舞いの為に駿河へと下向してきた権中納言中御門 宣綱殿も見える。中御門家は御祖母様の実家だ。その縁もあって、何かと駿河にお越しになる。

「参議殿に龍王丸殿、わざわざのお越し痛み入りますぞ」

「権大納言殿は当家の恩人にござれば当然でござる。権大納言殿のご様子はいかがであろうか」

「しばらく伏せっておったのでおじゃるが、ここ数日は良いようでな。今日も朝から起きて庭を眺めておじゃる」


冷泉権中納言の案内で邸宅の奥へ向かう。案内された部屋に着くと権大納言がお見えになった。父と俺を見て脇息から手を離されて居住まいを正そうとされた。

「お楽にお楽に。気遣い無用にございまするぞ」

「すまぬの。身体が無理も効かぬのでな、甘えさせてもらうでおじゃる」

父の言葉を受けて、権大納言が脇息に持たれて寛がれた。思ったよりはお元気そうだ。


「御師匠、お元気そうで安堵致しました」

「ここ数日は何とか起きる事ができておじゃる。その方がくれた布団とやらは良いの。重宝しておるぞよ」

権大納言が笑みを浮かべた。権大納言には新築祝いで布団を送った。喜んで貰えたようで何よりだ。

「だがの、もうこの身は長く無いと感じるわ」

権大納言が急に弱気な事を吐かれた。

“左様なことは…”

“その様な弱気を…”

父と言葉が被った。


「麿のことは麿が一番よく分かっておじゃる。良いのじゃ。麿はよく生きた。この乱世に置いて平穏に、ひもじい思いもせず生きる事ができた。参議殿のお陰におじゃる。礼を申しますぞ」

「当家こそ礼を申さねばなりませぬ。権大納言殿には大変世話になってございまする。斯様な弱気を仰せにならず、これからもお頼み申しますぞ」

父の言葉に権大納言が力無く首を振った。

「ここにおる息子が代わりを務めるでおじゃろう。次に会えるかも分からぬ身じゃ。参議殿、重ねて礼を申しておきますぞ。お陰で悔いの無い人生でおじゃった。あるとすれば…」

権大納言が俺の方を見てきた。

ん?何だ?


「あるとすれば、何でござろう」

父の義元が続きを促している。

「いや、なに、龍王丸殿にの、色々と芸事を教えておったが中々真剣になってもらえなんだ。少々悔いが残るでおじゃる」

おっと、そう来たか。

「どうも芸事は苦手の様で…面目ござりませぬ」

「そうでは無い。得手不得手は誰にでもあるでおじゃる。だが龍王丸殿には真剣に取り組む姿勢が欠けておじゃった。和歌に心から取り組まれたか?苦手なら真似でも良いのでおじゃる。大切な事は真剣に取り組もうとする姿勢でおじゃる」


……心に響くものがあった。確かに、芸事の時間は手を抜きがちだったかもしれない。

反省をしていると、権大納言がいたずらを考える童のような顔を浮かべた。俺の顔を不敵に見ている。

「龍王丸殿。冥途に旅立つ者に一首詠んではくれまいか」

「!」

部屋にいる皆の視線が俺に集まる。

これは痛い。完全な不意打ちを喰らった!

うーむ。歌が苦手なのは確かだからな。だが最後の願いと言われては応えて差し上げたい。困ったな。


真似でもいいと言っていたな。致し方ない。作った本人はまだ生まれていないかも知れぬ。拝借をさせてもらおう。


覚悟を決めて目を瞑った。

静かに、だが声を張って気持ちを込めた。



“限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風”



……どうだ?

反応が無い……。

ゆっくりと目を開くと、頬に涙を流す権大納言がいた。二人の権中納言も頷いている。及第点は採れたようだ。


これが芸事の師たる権大納言冷泉 為和卿との今生の別れとなった。




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