第十三話 今川堤




文十六年(1547) 六月上旬 伊豆国加茂郡下田港 下田陣屋敷 今川 龍王丸




「撃ち方…始め!!」

ダダーン!

井伊彦次郎の号令を受けて、二百の鉄砲が一斉に火を吹いた。

「第二陣前へ!構えーっ!」

撃ち終わった第一陣が最後列に下がる。変わって最前列に出た第二陣が射撃体制に入る。

「撃ち方…始め!!」

ダダーン!

「第三陣前へ!構えーっ!」

ダダーン!

この繰り返しが続いている。一年を超える訓練で、三列編成で毎分三発は確実に射撃出来るようになった。

「抜刀っ!!」

今撃ち終わったのは……第二陣だな。今回は第二陣が抜刀を命じられた。

敵はどのタイミングで詰めよってくるか分からない。だからランダムで白兵戦の訓練もするように命じている。


抜刀命令を受けた第二陣の兵たちは、撃ち終わった鉄砲を地面に置き、腰に持っている日本刀を構えて突撃の構えをする。今日は鉄砲の訓練だが、剣術もやらせている。皆それなりの腕前になってきている。雑兵等には遅れをとらないだろう。

「突撃っ!」

「「今川万歳っっ!!」」

彦次郎の指示で第二陣の二百人がうなり声を上げて突撃し、一町先にある藁人形を切りつける。残った第一と第三陣は鉄砲の回収作業だ。


「大分形になってきたな。下田で募集した者も府中から来た者によくついていっている」

実際、下田の若者は府中者よりも年齢が少し上なだけあって体力がある。府中者もなるべく年長の者を選抜して下田に連れてきたが、まだ十五歳弱が大半だ。軽量化に努めている今川銃とはいえ三貫弱の重さがある。少年兵には重たいだろう。


「ありがとうございまする。なれど、まだ乱れがございまする。引き続き練度を上げて参りますぞ」

“頼むぞ”と応えると彦次郎が嬉しそうに頷いて訓練に戻っていった。今彦次郎は下田に常駐して千の兵を調練している。弟の平次郎は輜重方として府中にいるため離れ離れになるが、船を使えばすぐに会える距離だ。俺も月に何度か来るようにしている。


彦次郎は、これだけの兵を扱うのは大変ではあるがやりがいがあると言っていた。あいつは基本的にブラック耐性Sだからどんどん任せていこう。


河東の乱の後、俺は勲功第一で伊豆の加茂郡に所領をもらった。所領には下田が入っている。黒船来航のハリスで有名な下田だ。義元は駿河でも遠江でもどこでも良いと言ったが、俺は下田港が欲しかった。北条領との交易の拠点にできるし、駿河から遠いから何かと隠れ蓑にするにはちょうど良い場所だ。実際、峰之澤で作っている鉄砲の多くは下田に運んでいる。まだ全員分に及ばない。しばらくはこの流れで良いな。


伊豆での所領は、南加茂郡、今でいう下田市や南伊豆町を中心に二万石をもらったが、開発の成果もあって今は三万石を超えている。


とはいえ、伊豆は土地が限られている。米はこのくらいが限界だな。今後は椎茸、わさび、自然薯といった丘陵でも育つ作物の開墾に力を入れていくつもりだ。今は毎年の生産量の報告を聞くのが楽しい。力を入れた分だけリターンがある。天候不順による計画減は一部の村落であるものの、概ね我が領は好調な成長をしている。やればやるだけ結果が出る。高度経済成長の頃の官僚はこんな気分だったのかもしれない。


伊豆の所領を拝領して間もない頃に、伊豆では五百の兵力を整えると申告してあるが、今や千の兵力がいる。ま、その後の規模なんて聞かれてないしな。“聞かれてませんので報告していませんでした”そういうことにしておこう。


駿河遠江方面には吉良の兵四百と、親衛隊千二百がいる。権太夫に率いらせている水軍三百もある。水軍では大型船も増えてきた。五百まで人を増やせとも言ってある。人が整ったら親衛隊と水軍から人を選抜して陸戦隊を作ろう。上陸と強襲に特化した部隊だ。海兵隊じゃなくて、やはり陸戦隊だな。陸戦隊って響きが良いよな。それだけで作りたくなる…。



天文十五年初冬、北条は今川と和睦した後、全力で関東連合軍との戦いに挑んで行った。北条にとって河東の戦いは史実よりも悪い結果になったが、関東方面は史実よりも良い状況と言って良い。奇襲に次ぐ奇襲で扇谷上杉は滅亡、山内上杉も風前の灯だ。北条勢はもはや失うものはもう無いとばかりに死ぬ気で戦ったようだ。


関東が落ち着きを取り戻して以降、今川と北条は緊張が緩和されつつある。お互い国境付近の兵力は手薄だ。今川方の国境は大して兵を持たない俺に守備が任されてると言ってもいい。弱年兵ばかりの親衛隊に。


義元はと言うと、三河方面への戦に注力している。安城合戦と呼ばれる一連の戦いだ。織田対今川・松平の戦になっている。俺は所領開発と駿・相国境の防衛を理由にほとんど手を出していない。


最近はやや今川優勢といったところか。義元が先日、松平当主三郎五郎に人質として嫡男の竹千代を要求した。

確か家臣の裏切りで織田に行ってしまうんだよな。まぁ竹千代に興味も無いし、無駄に歴史を改変する必要もないのでそのままにしておこう。




天文十六年(1547) 十一月下旬 駿河国安倍郡南賎機村 狩野 直信




“えい、えい、おーっ”

“そいや、そいや、そーれぃ”

石や土塁を積む威勢のいい声が聞こえてくる。

「気張れよ!計画よりも早い組には特別に銭を多く渡すでな!」

儂が作業をしている者たちに声をかけると、皆色めき立って応えた。

「「「おうよ!俺らが褒美はもらうさ」」」

よしよし。これならこの区画も予定より早く終わりそうじゃな。


今儂は安倍川の氾濫に備えるための堤防作りに従事している。恐れ多くも奉行を仰せつかった。

若殿にお仕えする前に土木仕事をしていた経験を買われた。荒鷲の差配に加えての任で慌ただしいが、駿・相は落ち着いている。仕える前の鬱屈した日々に比べれば忙しくも楽しき日々だ。


今回の堤作りは若殿、龍王丸さまのお考えだ。

それにしても若殿はすごい方じゃ。ただ堤を作るのではなく、これを機に安倍川の流域をまとめようと仰せになった。


安倍川の頻繁な氾濫は、川沿いに住む者にとって長年の悩みだ。府中の近郊を流れる安倍川の下流域は、細い川が何本も広範囲にわたって流れている。川幅が極めて太いのだ。この広い安倍川は、平時には水が何本もの川に分散しているおかげで容易に徒歩で渡ることができる川であるが、雨で流量が増えると頻繁に所々で洪水を引き起こす。

大きな被害ではないものの、頻繁な氾濫は川沿いに住むものにとっては気が落ち着かないだろう。


若殿は、流量の少ない冬場のうちに川の中心を堀り、その掘って出た土砂を使って堤防を作って流域を限定し、氾濫を抑えると共に、新たな土地を作ろうとされている。まったく発想が壮大よ。


秋を過ぎると春まで川を流れる水はほとんど限られてくる。その限られた期間に作業を進めなければならぬこともあって、普請には膨大な人員が動員されている。儂に古くから仕えてくれている土木衆は無論、銭で募集された者から親衛隊に至るまで動員されている。もっとも、親衛隊は兵学校の者たちだけで大学校の者たちは動員されていない。


親衛隊は、人数の増加に伴って幹部候補を養成する大学校と、一般兵を教育・調練する兵学校に整理された。従来の兵学校が大学校に改称され、兵学校が新たに府中の練兵場最寄りと下田陣屋敷の横に設置された。府中兵学校の兵たちは今だけ限定的に教育内容が改変され、堤防作業に従事しているというわけだ。


堤防が完成すれば百町程の土地が新たに使えるようになるだろう。米を作れば四千石にはなるな。若殿は半分程を農地にして、残りの半分は下向しているお公家等の屋敷街にされると仰せだったな。また何かお考えなのだろう。まったく傍にいて飽きない御仁よ。


ふと府中の方向を眺めると、馬車の車列が目に入った。あれは若殿の一行だな。こうして現場の進捗をこまめに確認される姿勢も感心するな。若殿に仕えることができて本当に良かったと思う。

京に再び行っておる内蔵助殿に感謝せねばならぬな。


さてさて、儂ももう一踏ん張りするかの。

今宵の酒はうまそうじゃ。




天文十七年(1548) 三月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 義元




「ふん、弾正忠め」

「いかがされたのです」

余が吐いた言葉に母上が反応した。

「なに、北条左京大夫から文が届きましてな。どうやら織田弾正忠が対今川での共闘を北条に申し入れたようです」

「ほぅ……。それで左京大夫様はなんと」

雪斎が続きを促してきた。

「左京大夫はけんもほろろに断ったようだ。治部大輔殿に不信感を与えかねない弾正忠のやり様に迷惑しているとまで書いてある」


「まぁ北条は関東での勢力拡大に忙しいですからな。今川のように大きな相手をせずとも、関東管領殿の連合が崩壊した今、弱小の国人衆を攻める方が賢明でしょう」

「そうだな。駿・相の国境は龍王丸が砦をいくつも作っている最中だ。守りを固めつつある。わざわざこちらには来ぬだろう」

「左様ですな。狐橋の戦の記憶も新しければ、北条は織田の誘いに靡きますまい」

雪斎の言葉に、母上が安堵したように頷いた。


「龍王丸殿ですが、府中でも大きな普請をしておるようですね」

「そうなのです。安倍川の治水工事をしております」

「拙僧が先日見たところ、長きに渡って堤防が出来ておりました。短い期間に作ったとは思えぬ代物でしたぞ」

「うむ。土を掘ったり運ぶための小道具を工夫しておるようじゃ。今回の経験と技術を戦でも使えるようにしたいと申しておったぞ」

「相変わらず結構な軍略家ですな」

雪斎が感心をしたように呟いた。あまり褒めることが少ない雪斎だが、息子の事は認めている。

「うむ。龍王丸にならば、今しばらくの後は駿河伊豆を任せても良いと思うておる」

余の言葉に雪斎の眉が動いた。


「……ほぅ。そこまでお考えでございますか。そうなると元服をどうするか考えなければなりませぬな」

「そうじゃ。だがあやつはまだ元服はしたく無いらしい。面倒だとな。元服前に洛中や堺を見てみたいとも申しておった」

「龍王丸はまだ十一でしょう?今少し自由にさせてもよいではありませんか」

母上が仰った。母上は龍王丸の事を可愛がっておられる。変わった嫡男だとはお思いのようだが実績を出している。優秀だと評価しているからか甘いところがある。


「北条との関係は落ち着いているとは言え、いつ再び戦火を交えるか分かりませぬ。三河をめぐって織田との戦いも熾烈なれば、龍王丸様を外には出せませぬな」

「左様。元服の先伸ばしは構わぬが、上洛は認められぬ。やむを得まい。……雪斎。それはさておき三河だが出陣の準備は滞りないか」


今月のはじめに織田が三河に向け出兵をしてきた。岡崎城の攻略を目指しておるようだ。松平からはすぐに救援の依頼が届いた。雪斎が援軍として出兵するために軍を整えている。

「はい。明後日には出兵できると存じまする」

「頼むぞ。岡崎を落とされては三河の支配が大きくぐらつくことになる」

"委細承知しておりまする"と雪斎が頭を下げた。


余が自ら出兵して織田を叩いてくれたいところだが、先代の法要が予定されている。妙心寺霊雲院の大休禅師をお招きする手前、余は身動きが取れぬ。

それにしても忌々しい織田の成り上がりめ。守護代の家臣に過ぎない分際でこの今川に楯突いてくるとは。尾張守護の斯波も落ちぶれたものよ。東が落ち着いた今、西に注力して三河平定を成し遂げてくれる。その次は尾張だ。




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