第九話 金山




天文十四年(1545) 四月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 龍王丸




山科内蔵頭殿への書状はこれでよし、と。最近、京の大学頭から内蔵頭殿に世話になっている由の文がよく届く。公家の紹介や宮中への献上等、内蔵頭殿の取り計らいで進んでいるようだ。お陰で赤鳥の茶は高級茶として認知されつつある。公家とのつながりも増えたらしい。付け届け等の出費はかさむが、このつながりで得た公家にいつ世話になるか分からん。この辺は必要経費だと割り切っている。


さてさて、次は太閤の近衛卿とその子の権中納言兼左中将への書状でも書くとするか。二人には少納言への叙爵で世話になった。冷泉権大納言が近衛太閤に話を通して味方にしてから事を運んだ。権大納言は駿河にいるからな。ほとんど動いてくれたのは近衛太閤と権中納言ということだ。その時のやり取りをきっかけに、定期的に文を送りあうようになった。


冷泉権大納言に太閤殿下を紹介された後、結構な金を添えて“かくかくしかじかなので、ぜひ任官の力添えお願いします”と書状を送った。しばらくすると、殿下から“先の依頼の件、従五位下少納言で勅許有らせられたり”と書状が送られてきた。そこまでは普通のやり取りなのだが、文には追伸が付いていて、“ところで貴殿が作られているお茶や椎茸は本当に良いものですね。先日、偶然に口にする機会がありましたが、芳醇な香りやまろやかな味に感銘を受けました。この度の叙任の運びと、このような産物を豊かに生み出す領内のご発展に心よりお喜び申し上げます”とあった。


これってあからさまな頂戴サインだよなぁ。くどくどと書かれるよりはっきりしていて笑えたので、茶、椎茸は無論のこと、歯刷子等の工芸品も添えて送ってやった。


これが効いたのか、それから文通みたいになっている。前世でもあったな。なかなか切り処の無いメールのやり取り。まぁ天下の近衛家だ。仲を良くしておいて損は無いと思っている。


最近では息子の権中納言兼左近衛中将近衛晴嗣からも文が来る。晴嗣と言えば後の前久のはずだ。前世で子供の名前をどうしようという話になったときに、前久(さきひさ)を調べたことがある。芸事に長けているだけでなく、上杉謙信と上洛を目指して下向するなど行動的なところに感銘を受けた。結局、字画が悪いと反対されて没案になったが。


確か息子も優秀なんだよな。信なんとかって名だったと思うが思い出せない。前久が信長と親交が深くなり、一字使っていたような気がするが、さすがにこの辺はうろ覚えだな。


信長と親交が深まるのは信長上洛後のはずだから、早くても1567年以降の話のはずだ。前久が上杉謙信とともに関東遠征をするのは信長上洛の前後のどちらかが分からないが、1560年の桶狭間よりは後のはずだ。そう思うと、前久はまだかなりの子供かと思っていた。


冷泉権大納言に聞くと、晴嗣は天文五年生まれだという。しかも天文九年に元服して晴嗣と名乗るようになったかと思うと、天文十年には従三位になっているとか。従三位だぞ?五歳で公卿補任に名前が載っているなんて、さすが近衛家だよな。仕事はこなせたのだろうかと邪推してしまうわ。


歳が俺の二つ上ということで近いせいか、単純にお届け物が効いたのか分からないが、晴嗣からの文はフレンドリーだ。俺も前久と文のやり取りをしていると思うとテンションが上がる。せっかく歳も近いんだからフレンドリーに返しておこう。“恐れ多い事ですが、あなたと兄弟のような関係になることが出来たらうれしいです”と、リップサービス全開で書いておこう。


近衛家は太閤殿下の妹が将軍の足利義晴に嫁いでいる。足利と距離が近いんだ。今川は足利の一門ということで心理的な距離感が近いのかも知れん。そういう点ではラッキーだよな。

そもそも、室町体制において、俺は既にヒエラルキーのかなり上位にいると言ってもいい。


例えば、甲斐の武田と駿河の今川は同じ河内源氏の流れを組んでいて、かつ上中下で言うところの中国の守護職で外形的には同等だが、今川の方が一門扱いで格上とされる。具体的には、同席の場合には上座を譲られるのは当然の事、文の宛名の書き方なんかも違うんだ。幕府から武田晴信宛に書く場合は武田五郎殿へだが、今川宛に書く場合は今川治部大輔殿なんだ。


今は良いが、このあたりは後々弊害になるかもな。将軍の義輝に“一門が本家に尽くすのは当たり前”とか言われたらどうしよう。面倒だよな。前世でもあったな。葬式とかで。宗家の花は上座に置けとか、同じ分家でもあちらの方が上とか……俺は枝葉の分家だったから辟易してたのを思い出すわ。


書状はこのくらいにしておくか。さてと、どうするか。母上の所に顔を出すか。もっと来なさいとこの前叱られたしな。今日は武田の爺さんはいるのかな。あの狸とのやり取りは疲れるんだよな。

今日は筆をもって疲れているから不在だと助かるが……。




天文十四年(1545) 五月上旬 駿河国安倍郡梅ヶ島村 今川 龍王丸




……いい湯だ。しかしかなり熱いな。今日は梅ヶ島温泉に来ている。来るのは半世紀ぶり位になる。いや、この場合は▲四世紀ぶりになるのか?などとくだらないことを考えていると早くも熱さの限界が来た。


隅で足だけ浸かるようにした。供回りもみな温泉に入っている。それ以外では伊豆介を連れてきた。朝比奈 又太郎と松井 八郎は我慢比べか。熱いだろうに、顔を真っ赤にして肩まで浸っている。八郎の兄の五郎が“のぼせるぞ。無理はするなよ。”と言っている。“無理などしておりませぬ”と二人が頑なに応えた。このくらいの歳は変に意固地になるときがあるよな。


まったり温泉を楽しんでいるが、湯治に来たわけではない。梅ヶ島は温泉とともに金山で有名だ。先日、荒鷲から報告があった。出雲銀山に潜り込ませていた忍が灰吹法の技術を盗む事に成功し、それを持ち帰ったと言う事だった。早速日影沢の開発をするように命じた。


日影沢は梅ヶ島温泉から歩いて行ける距離にある場所だが、江戸時代に金山として採掘された歴史がある。全盛期は数百人が金の採掘にあたったようだ。特に心配はしていなかったが、無事に金が産出されたと報告があったので、視察のついでに温泉につかりに来たというわけだ。


今川は、昔から梅ヶ島を含む南アルプス一帯で金を採っている。祖父にあたる氏親は、採れた金を公家や将軍家へ献上し、守護職を得るなど積極的に活用している。


ただ、その頃は川を流れる砂金を採取する方法が主流だった。地道な作業で労力も時間も掛かる。大規模な設備で灰吹法を導入すれば、格段に効率が上がると思って灰吹法を手に入れに行った。

余談にはなるが、静岡は家康の頃に金を加工する金座が置かれる等、金の一大産地であり加工場でもあったんだ。今でも金座という地名が残っている。銀座も元は静岡にあった。これが江戸に移ってかの有名な銀座になったんだよな。


「伊豆介、灰吹を行うための設備で金が必要なら遠慮なく申せ。その金がまた金を生むのだからな。此度の技術導入、誠に大義であった」

「ありがとうございまする。銀山の炭坑で働いている者で、金に困っている夫婦が見つかりましてな。上手く潜り込ませることができ申した」

ニヤリと伊豆介が笑った。

「それで技術を取れたのは重畳であったが、同じことで我らが取られる可能性もある。気を引き締めなければならぬな。すでに対策はしておると思うが引き続き頼むぞ」

「かしこまってござる。気を付けまする」

「話を変えよう。堺の商いも上手くいっているようだな。大蔵方から報告を受けている」


大蔵方、この春から新設した部署だ。今や俺は新たな所領や生産効率の上昇によって三万石近くを治めている。石高とは別に、清酒や綿花といった特産品の膨大な収入もあってウハウハだ。この収入の管理と次の投資や予算を管理するための財務省を作ったと言うわけだ。信頼できて算盤ができ、投資の感覚もあるとなると人が限られる。もともと、人手不足なのだ。少納言に白羽の矢がたった。少納言は重要な任務を与えられてむしろ嬉しそうだった。“次は蔵人頭でももらうか”と言うと笑っていた。


ただ、収入は全体がはっきりしないよう俺が直接管理している部分もあるし、伊豆介に任せている部分もある。これは裏切りの対策でもあり、義元への対策でもある。控えめに言っても俺の収入は、金だけならもはや大大名級だ。嫡男といっても目障りに感じられる可能性もある。権益を剥がしに来るかもしれん。何事も備えあれば憂い無しだ。引き続き隠していこう。


他では、井伊平次郎と久能余五郎を輜重方しちょうがたに任命した。所謂補給部隊だ。戦に備えて兵糧や軍事品の貯蔵を行う。いざ戦のときに、道が悪くて運べませんでは困るので、街道の整備も業務分掌に入れた。まだ俺の所領や職権が及ぶ範囲での仕事だが、将来に備えて少しずつ組織化していくことが大事だと思っている。


輜重方と言えば、嬉しい誤算があった。輸送用に帝国陸軍の三十九式輜重車に真似た荷駄車を作ったのだが、これを使って訓練していると商人たちが見つけて盛んに欲しがったらしい。今フル生産しているが、月に数十台作るのが精一杯だ。引き合いは数ヶ月先まで来ている。こうした軍製品が大量生産できる軍需工場の建設も将来的に検討しよう。


三十九式は木造の馬車とはいえ鉄をかなり使う。峰之澤で製鉄した鉄をがんがん使って作っている。こういう工業力の底上げになる商品はいいな。伊丹権太夫の水軍がもっと大きくなったら南蛮と交易してカルバリン砲を買おう。そしてそれを複製して大量生産だな。まぁ、これはまだ先の話だ。やりすぎは危険分子として扱われる可能性がある。このあたりはサラリーマン生活で身につけたバランス感覚だ。


話している途中で物思いに耽ってしまったので、次の考え事をする前に呼び戻された。

「若殿、お考えのところ申し訳ありませぬが、下問頂いておった最中かと」

「おぉ、すまなかったな。湯に浸かってのぼせていた様だ。堺の話だったな」

「ハッ、大学頭の協力もあり、堺は順調に商いができるようになり申した。店を構えるまでが大変でござったが、上手く土地が見つかり、店を構えてからは順調でござった。若殿の特産品はどこでも欲しがられまする」

簡単に言ってはいるが、苦労はあっただろう。伊豆介にも褒美を考えておかねばならんな。こいつは官位とかよりも武器の方が喜ぶかもしれないな。装飾した鉄砲でも作らせるか。太刀の方がいいかな。折を見て聞いてみよう。


「大学頭だが、来月一杯で府中へ帰国させるぞ。どうも河東の方がきな臭い。今父上が武田と聖護院の門跡道増に頼んで北条との和議を企図しているが、北条の反応が良くない。いざという事態に備えて呼び戻しておきたい」

「某の方でも報告が上がっておりまする。北条が兵糧を買い足しているようです。刈入れが近いこの時期に買っているということは夏から秋に戦があると睨んでのことでしょう」

「そうか、やはり兵糧を買っているか。父上は関東管領殿ともやり取りをしているようだ。交渉が不調に終われば関東と駿河から挟撃する作戦なのだろう。伊豆介、伊豆方面の人を増やしておいてくれ。軍が通れる場所、行軍に必要な日数、北条の兵力など詳しく調べておいてくれ」

「かしこまってござる。今回は小三太に直接伊豆入りするよう申し付けましょう」

小三太…、伊賀から召し抱えた上忍の一人か。百地氏の出だったな。うまく使いこなしてくれているようだ。

「余五郎、親衛隊に稲刈りができるように調練しておいてくれ。戦を起こすにしても時期が悪い。雑兵たちも稲刈りを気にしてはそぞろになろう。場合によっては親衛隊を刈りに使う時が来るかもしれん。彦次郎にその旨を伝えておいてくれ。俺からも追って説明する」


河東の乱か…。確かこの度の和議はまとまらず、今川は武田や上杉と組んで挟撃に出るんだよな。北条は東に関東管領上杉憲政、西に今川と武田に攻め込まれ窮地に立つのだが、今川は駿東郡や富士郡を取り戻すと早々に北条と和議をして撤退してしまう。東から攻めている上杉は、関東中の兵を集めて八万を号しているが、長引く滞陣に厭戦気分が高まり、北条の奇襲で総崩れするのだ。後の歴史を知っているからこそ言える。この時の北条はまさしく絶体絶命だ。上手くやれば河東だけでなくもっと切り取れる。義元をどう説得するかだな……。




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