第八話 鉄砲と火薬




天文十四年(1545) 三月下旬 駿河国安倍郡麻機村 草ヶ谷 嘉長




龍王丸さまがおみえになるとの先触れがあった。間もなくか。屋敷の入り口に向かった。屋敷の前は広い街道に整備された。今駿河では主要な街道を整備している。四間道と言って四間の幅が確保されている。荷駄が対向しても譲る必要なく通るのに十分な幅だ。街道の整備によって街道沿いに住居や宿が作られ、賑わいを増している。このあたりでも発展を感じるのだ。時折府中の中心に出向くと、行く度に発展していると驚かされる。


麻機村は龍王丸さまの重要な拠点ということで、府中の中心に向けてほとんど直線で街道が整備されている。小さく、こちらに向かってくる一行が見えた。先頭に騎馬武者が二人、馬車が二台だろうか。重なって見えぬが後ろにも騎馬武者がいるのだろう。馬車は最近、龍王丸さまが好んでお乗りになる乗り物だ。京の公家が使っていた牛車を参考に、馬で引く車をお作りになった。確かに牛よりもかなり早い。もっとも、公家の牛車はそろりそろりと時間を掛けて進むことに威厳があるとされていたらしいが。御屋形様も龍王丸さまから献上されてお乗りになっている。御屋形様のご機嫌極めて麗しく、街道整備が許可された地域が増えたとか。


龍王丸さまがお見えになると、当家にあるもっとも広い客間にお連れする。息子の主君にあたり、麿も無官の身なれば、龍王丸さまを上座に御案内差し上げた。

「お待ち申し上げておりました。ご健勝のご様子、祝着至極におじゃります」

「うむ。久しいな。兵学校や水軍の調練に行っておったら中々こちらに行く間が無くてな。茶は順調か」

「はい。民も慣れて来て畑がまた広がりました。覆下栽培も滞りなく」

「そうか。京の大学頭から賎機茶の人気が早くも出ているから増産を願う文が来ていた。応える事ができそうで何よりだ」


今息子は荒鷲が運営している京の店に出向している。丁稚や人手は友野屋や荒鷲が出しているが、人を動かす番頭が不足している。現地の体制が整うまで息子に白羽の矢がたった。些か若輩が過ぎると思うたが、龍王丸さまは息子を評価してくださっている。息子は賎機茶の中でも特に選別を重ねた高級茶を扱う店“赤鳥堂”を任されている。赤鳥堂の運営と公家衆との外交を今川からの指示”表の仕事”として装い、裏で荒鷲が運営している商店“享禄屋きょうろくや”を差配している。享禄屋は最近では堺にも出店して、今川の特産品を幅広く売っている。売上は右肩上がりのようだ。


屋号は龍王丸さまがお決めになられた。享禄といえば天文の前の元号だ。なぜそのような屋号にしたのか伺ったことがある。“この看板ならば、歴史が無くてもあるように見えぬか?外から京に来たばかりの者には、昨日今日できた店には見えまい”と仰った。なるほど、そのような考え方もあるのかと思うた。


「息子は不足なくやっておじゃりますか」

「ハハハ、式部大輔も子の心配はするのだな。案ずるな。大学頭はよくやっている。京の商人の中では新参者だが茶をよく売り捌いている。公家にも顔がきくようになってきているようだ。狩野伊豆介に触発を受けたのか面白いこともしておる」

面白いこと?何事か伺おうとすると、笑みを浮かべて龍王丸さまが”内密の話ぞ…もそっと近うよれ ”と仰せになった。あまり近づいては供回りの松井 五郎殿の目線が厳しい。そこそこにしていると“今少しだ”とじれったそうにおっしゃったので一間ほどの距離まで近づいた。


「人よ。客間の横、厠の横、あらゆる所に客の声を聞き取らんと耳をたてておる。客は大学頭から特産品の茶や菓子に続いて清酒まで進められ、供回りと厠に行ったときについ秘を漏らす客もおるようだ。どこの商家がどの大名と懇意にしているか、どの大名が何を欲しているか報告をしてくる。十二分の活躍よ」

息子からはよく文が届くがそのようなことは書いてなかった。龍王丸さまが笑われている。お役に立てているなら何よりだ。


「ところで式部大輔、今日来たのは他でもない。その方に頼みがある」

おもむろに龍王丸さまが姿勢を正された。何事かとこちらも姿勢を正す。

“余五郎、あれを”と龍王丸さまが仰せになると、部屋の隅に控えていた久能 余五郎殿が木刀のようなものを持って側に近づかれた。あれはもしや……。


「これは鉄砲というものだ。大分金を使うたが、何とか二丁手に入れる事ができた。もう一丁は峰之澤の刀鍛冶に同じものをいくつも複製せよと預けてある」

これが鉄砲か。息子からの文に南蛮から渡来した最新の兵器だと挿し絵入りで書かれていたことがあった。

“暫し待て。撃って見せよう。俺が直接やりたいところだが重くてな。五郎にさせる”と仰ったあと、松井 五郎殿が小袋から道具をいくつか取り出されて作業された。


「そろそろだな。式部大輔、耳を塞げ。こうだ。よいぞ、五郎」

「ははッ」

五郎殿が引き金を引いた。パァーンと大きな音と同時に火花と煙が出た。あまりの音に言葉を失っていると

「見えなかったかもしれぬが玉が出ていてな。近い距離で当たれば命は無いだろう」

目にも見えぬ早さで弾が飛んで来るのは……。恐ろしい武器だと思った。


「強力な武器だと言うことは分かりましたが、麿に何かおじゃりましょうや」

「鉄砲を撃つには火薬と呼ばれる粉が必要でな。そして火薬は南蛮等海の外から買うしかないが、あまりに高い。そこで、だ。火薬を極秘で作って欲しい。火薬は木炭と硫黄、それから硝石で出来るが硝石が曲者だ。作るのに手間が掛かる」

龍王丸様が書物を差し出してきた。中を見ると絵と漢文が書かれている。


「遥か昔、元が日本を攻めてきた時、火薬が使われた。唐で火薬は発明されたのだ。何とか作り方を手に入れた。極秘で作って欲しい」

龍王丸さまが切望されるような代物だ。余程貴重なものなのだろう。

「まだ鉄砲自体の流通が少ない。だがすでに近江の国友で作り出されている。鉄砲が増えるに連れて火薬、特に原料となる硝石は引く手あまたになろう」

「また新たな特産品としてお売りになるのでおじゃりますか」

「いや、危険だ。硝石を自前で作っていると知れれば、窃盗の類いが押し寄せるやもしれぬ。いずれにせよ完成まで数年が必要になるだろう。それまでは新たな肥やしでも作っているとしてくれ。生産が順調にできる頃には親衛隊もそれなりの組織にするつもりだ。一部を麻機村の警備に当てることも考えている」

それほどまでに貴重なものか。これは極一部の者を使って作るしかないな。我らの親族のみでやるか……。


「かしこまりました。ご期待にお応えできるようやってみまする」

“うむ”と龍王丸さまが満足そうに頷いたあと、また隅に控えていた鵜殿藤太郎殿に目配せをされた。藤太郎殿が少し部屋の後ろに下がったかと思うと、長三宝を恭しく持って戻られた。


「火薬の件、頼むぞ。くれぐれも内密にな。それから、これは今までの礼だ。思えば、大学頭は家臣ゆえ禄で応えていたが、その方には何も報いてやれて無かった。感謝している」

これは…。長三宝にあった書状を受け取って読み進めた。……まさか、これは…!!


「父上に許可をとってな、下向されている冷泉権大納言殿に取次を頼んだ。朝廷から正式に頂戴したものだぞ。従五位下少納言殿」

涙が出て言葉を発することができなかった。龍王丸さまのお顔を見るのが精一杯だった。言葉を失っていると、龍王丸さまが申し訳なさそうに話された。

「式部大輔は高辻の当主が叙されておってな、相当の位階も高い。今回は従五位下少納言が一杯だった。許せ」

「かようなこと!うれしゅう、ほんにうれしゅうおじゃります」

「で、あるか。表の馬車も一輌与える。梅鉢の家紋も入れてあるゆえ好きに使うがよい。次に来たときは少納言殿に上座を譲らねばならんな」

ハハハと笑いながら仰った。


「あなた様は息子のご主君です。それに元服されれば、すぐに高位につかれましょう。その必要はおじゃりませぬ」

龍王丸さまが中庭に目線を移された。遠くを眺めるような表情をされている。


「富国と強兵で今川は大きくなる。大きくなれば堂上家を一家増やす位はできるやも知れぬ。草ヶ谷が興せると良いな」

その言葉に応えることはできなかった。流れる涙を見せまいと頭を下げて応じた。公家の世界は先例や世襲が重視される。まだ麿が一代だけ不意に叙爵されただけで、家が名家でも半家になったわけでも無かろう。我が家の隆盛は今や今川の隆盛にかかっている。一蓮托生なのだ。だが不思議とこのお方とならばそれも良いと、むしろ共に歩みたいと思うた。




天文十四年(1545) 四月中旬 遠江国豊田郡龍川村峰之澤 今川 龍王丸




カーン、カーンと大きな音ではあるが、小気味良い音が響いている。刀鍛冶の男たちが刀を打っている音だ。前世で、書籍やテレビで見たことはあるが、こうして刀鍛冶が実際に刀剣を作る作業を見るのは初めてだ。


権太夫が率いる水軍の調練に乗じて、峰之澤地域へ視察に出かけることにした。用宗を出港して浜名湊で下船した。船が出来てまだそれほど経っていないが、中々の練度だった。水軍衆の士気が高い。権太夫がよく統率していた。


帰りは陸路で菅ヶ谷村付近を見てまわる予定のため、権太夫とは浜名で別れた。峰之澤にもっていくつもりだった清酒の一部を労いとして分けてやったらえらく喜んでいたな。やはり酒はこの時代の少ない楽しみの一つなんだろうな。いや、貴重な清酒がうれしかったのかもしれん。


先ほど、刀工所に来る前に見てきた製鉄所は順調だった。隣接する鉱山で採った磁鉄鉱を製鉄所に運んで製鉄する。燃料は菅ヶ谷村で採れた石油を主に使っている。石油を採って良かったと痛感した。多分木材を主な燃料としていたら、瞬く間にこの辺り一帯の山が“はげ山”になっていただろう。とはいえ、全く木材を使用しないわけではない。しっかり植林も行うよう代官に下知しておいた。


父である義元に頼んで、京から呼び寄せた職人の中に刀鍛冶もいた。刀鍛冶には、田舎で申し訳ないと思ったが、峰之澤で刀工所を開いてもらった。ここで刀剣の制作と生産量を増やすための刀鍛冶育成に励んでもらっている。

京は治安が悪く不安な毎日だったようだ。ここは安心して仕事に打ち込める環境が提供できていることで、刀鍛冶たちは喜んでくれている。最も、田舎ということを考慮して給金をはずみ、定期的に休みを与えるようにしている。休みは濱松等に出て羽を伸ばすものもいるようだ。ただし、本人たちは気づいていないだろうが荒鷲の監視が付いている。


京から来てもらった刀鍛冶が作った刀剣を手に持った。刃文が美しい。やはり弟子が作ったのとは出来が違う。ここではすでに鉄砲の生産が少しずつ始められている。今後、益々鉄砲の増産が進むだろうが、この刀鍛冶にはずっと刀剣を作らせよう。刀剣はどうやってブランド化しようか。まぁ、まずは職人招聘の礼を兼ねて父上に献上だな。そのあとは要人にプレゼントがいいか?でも誰に?

あ、将軍の義輝が剣豪だったよな。某ゲームで政治力は低いが戦闘力は高かった気がする。



“パァーン”と遠くから音がした。刀を打つ大きな音の中でも聞こえるほどだ。これは多分、完成した鉄砲の試し撃ちだな。検品は大事だよな。火薬がまだ仕入れ頼みで、バカ高いから迷ったが、しっかりと試し撃ちして納品するように指示をした。いざという時に使えないのは最悪だからな。ちゃんとやっているようだ。よしよし。




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