第七話 親衛隊




天文十四年(1545) 二月中旬 駿河国安倍郡安東村 練兵場 井伊 直満




"井伊彦次郎様並びに平次郎様に対しー、捧げェーー槍ッ!!"


隊列から一歩前に出て、刀を掲げた若い男が大きな声で叫んだ。よく通る声だ。続けて、九百の兵が一斉に槍を捧げた。槍といっても、ほとんど桐の木で作った調練用の軽い槍だ。軽槍と呼ばれている。


九百の内、過半がやっと十歳になろうかという者たちだ。龍王丸さまが、身体ができる前に重たい武具を振り回すのは良くないと仰せになったので、軽槍を持っていると聞いた。調練用の、ほとんど棒状の槍とはいえ、九百の兵が一斉に捧げる構えを採っているのは壮観だ。


弟の平次郎とともに、左手を腹の辺りにおき、右手を真っ直ぐに伸ばして受け礼をした。南蛮で古代に栄えた巨大帝国の軍式らしい。今回は閲兵の場であるため手だけで済むが、使番などとの少人数でのやり取りにおいては、“はいるまいんふゅうらあ”という口頭のやり取りも行う。


こちらは、先ほどの巨大帝国の流れを組み、今も南蛮にある帝国の言葉で“指導者万歳”という意味らしい。商人や書籍等から得た知識だと龍王丸様は仰せになっていた。兵学校の生徒、最近では“親衛隊”と呼ばれている彼らたちは、座学でこれら南蛮の歴史とともに指導者たる龍王丸さまへの忠節と、軍規を徹底的に叩き込まれるのだ。


儂はこの敬礼が苦手だ。舌がまわらなくて上手くいえない。弟も似たようなものだ。弟に負けぬよう練習せねばならんな。

敬礼をしながら、弟と共に、兵たちの前を歩いて閲兵する。兵たちは儂に顔を向けてくるが、儂が動くにあわせて顔を動かす。いよいよ向ききれなくなると、正面に向かって戻す。こうした細かな所作も、忠誠心の醸成に必要な事らしい。そう聞くと疎かにはできぬ。


儂が中央壇上の指揮官台に立つと、九百の兵たちが百名ずつ九隊に分かれ、隊列を維持したまま行進をはじめた。儂と平次郎は行進に乱れがないか確認をする。行進は見事だ。儂と弟が連れて来た百名と、元よりいた隊員の少しを除けば乱れが一切ない。見事としか言えない光景だ。儂と弟の部下は残って特訓だな。まだ乱れがかなり多い。

何周か行進をした後は、槍衾や槍を木刀に持ち変えて突撃の訓練だ。



御屋形様から召喚され、謀反の嫌疑が掛けられた儂と平次郎は、龍王丸さまに拾って頂いた。御屋形様は恐らく我ら二人を処断するおつもりであっただろう。切腹も認められず、斬首だった可能性もある。汚名を着せられ、雪ぐ機会も無く死を迎えるかもしれなかったなど、思い出すだけでおぞましい。道高には富士の頂きにも劣らぬ怒りを覚えるが、龍王丸さまから“泣き言はやめよ。お主らは道高ごとき小物への恨みで一生を終える者では無い。俺の兵を鍛えて来る大戦に備えよ”と言葉をかけていただいた。


父上から龍王丸さまの変わり様はお聞きしていたが、立派な方だと感じている。弟は早くも龍王丸さまに心酔している。儂も主君と仰ぐに不足無い方とお会いできたと思うた。


年が明けるとすぐに井伊谷に別れを告げ、弟とともに一族朗党を引き連れて府中に入った。龍王丸さまは儂らが朗党を養える分の禄を下さった。儂と弟は兵学校で顧問として兵法を教えている。彼らが戦場に立つまでは十年以上時が掛かるかも知れぬ。だがその時に龍王丸さまは、儂らもお連れくださると仰せになった。軍功を上げる機会を下さると!


親衛隊の兵は期待ができる。彼等は龍王丸さまのために命を投げ出すことに恐れがない。戦場に何度も立った身だから分かる。こやつらは敵にすると最も嫌な者たちだ。常に死兵のような者と言えばよいじゃろうか。弟も彼らの練度と忠誠心に驚いておった。足りぬのは身体付きと経験だけだとも……。


ふと練兵場の入口を見ると、何人か入ってくるのが見えた。あのお姿は龍王丸さまだな。やれやれ、慣れぬ敬礼をまたせねばならんな……。




天文十四年(1545) 三月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 井伊 亀之丞




「後手、東軍、騎馬隊を二十ノ十六へ移動。西軍の伏兵と遭遇」

司会で音読役の久能余五郎様が声を発せられた。続けて見敵の状況が述べられる。

「東軍騎馬隊の戦力は三百、攻撃力は伏兵との遭遇により七割減になり三、三百掛けることの三で九百、西軍伏兵の歩兵戦力は五百に対し、攻撃力二が伏兵成功により倍の四、兵力五百掛けることの四で二千。九百と二千で、二倍以上の差になります。亀之丞殿は二倍差以上の損害判定を行う双六をお振りに……」

そんなところに伏兵が……。お互いの盤が見えぬように、部屋の離れたところにいる父上を見ると、父上もこちらを見ていた。ニヤリとしている。


今は龍王丸様が考えられた、戦術演習の双六を行っている。龍王丸様から“そろそろ亀之丞もやってみるといいだろう。彦次郎、相手をしてやれ”とのご指示があり、初めて指揮官をやらせてもらうことができた。今まで何度も父上や叔父上、五郎様がやっているのを見て来ていたので自信があった。だが出鼻を挫かれた感じだ。


戦術演習は、地形が描かれた図盤の上で駒を差配し、敵を撃滅するか砦を落とすまで戦術を進める。歩兵、騎兵、弓兵等、兵科によって一度に進める升目や能力が異なる。部隊がいる地形によっても能力の変動がある。さらに、部隊の兵数が考慮される複雑なものだ。


はじめに忍が仕入れたという体で、大まかな敵軍の情報が与えられる他は何もない。敵の位置も見敵するまで分からない。


龍王丸さまが“亀之丞の兵力は五千にしよう。騎馬が五百、弓兵が千、歩兵が三千五百でいいな。彦次郎はいかほど必要か”と問われ、父上が“騎馬三百、弓兵七百、歩兵二千で構いませぬ”と述べた。これが今まであった情報の全てだ。後は地形を見て父上の出方を予想した。だがたった今、想定を超えた手を打たれた。いかぬ。この程度で動揺するな!まだ兵力はこちらが勝っている。次をどうするか考えねば…!






結局、初めての演習は散々な結果に終わった。兵力を活かして砦の攻略を目指したが、気付いたときには戦力を分散され個別撃破された。

父上の、戦場における狡猾さをみた気分だ。次の機会はもっとよい結果を残せるよう精進しよう。


父上や叔父上は、龍王丸さまがこの演習を作られてから虜になっている。時間があれば誰かを掴まえて取り組んでいる。気持ちがよく分かる。見ているだけでも楽しく学べるが、指揮官席に座って手を考えると、見ているだけでは得られない経験がある。面白い。


某は、父上や叔父上が井伊谷を追放された折りに、共に故郷を出て駿河の府中に居を移した。生まれ故郷を離れる辛さはあったが、父上や叔父上の処断が龍王丸さまのお陰で避けられたとお聞きし、お礼を申し上げなければならぬという気持ちの方が強かった。

龍王丸さまにお目通しがかなうと、供回りとしてお仕えすることになった。今は龍王丸さまの供回りとして同行し、日々精進している。


府中に来て痛感するのは、井伊谷はもとより、遠江の濱松でさえ田舎だと気付かされることだ。府中の人の多さと活気には驚かされる。それに人が多いだけではない。京から下向されている公家や、戦禍を逃れてきた職人等、文化においても隆盛にあると言えるだろう。


京や堺の上方を拠点としている行商と、府中の東屋あずまやで話す機会があった。上方では、“西の山口、東の府中、北には一乗みな都かな”という歌が流れているらしい。中でも最近は駿河府中の発展著しく、堺と駿河の用宗や焼津を結ぶ船便は増便が相次いでいるとか。


行商が申すには、新たな物があふれていること、関が少ないのが府中に来る大きな理由らしいが、治安がいいのも理由の一つだと言っていた。最近は親衛隊が調練の一貫として、市中でも分列行進をするようになった。子供とはいえ身体を鍛えている。物盗を見付ければ直ちに成敗にかかって取り押さえている。


町民は、親衛隊が着用している黒揃えの鎧が珍しいのか、分列行進の時は祭りでも見るように寄って来る者がいる。いや、あれは太鼓や笛に寄って来るのかも知れぬ。


龍王丸さまが、“やはり行進には音楽が欲しいな。軍楽隊を作らねばならぬ”と仰せになり、雅楽の奏者が集められた。軍楽隊と呼ばれているが、行進に合わせて音を奏でる。確かに、あれは何もないより気持ちが高ぶる。足を上げたくなる!


今はもう井伊谷に未練は無い。父上を救って下さった龍王丸さまに尽くすだけだ。さて、戦術演習の反省を一手目からするとするか。




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