第六話 井伊谷騒動




天文十三年(1544) 十二月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




年の暮れが迫ってきている中、雪斎の教示を受けていると、父上から雪斎とともに評定の間に来るよう呼び出された。最近、父上は少しずつ俺を政事に加わらせようとしている。軍議や評定はまだ参加したことないが、ちょっとした来客や相談は共に受けることがある。少し早い気もするが、周囲も当主の嫡男ということで許容しているようだ。


元服はどうするかという話にもなったことがある。ただ、まだ早いと父上も雪斎も思っていたようだ。俺もそう思う。元服すると嫁はどうするんだとか、社交だとか言われて下向している公家の相手をさせられるだろう。


大体今ですら、冷泉権大納言の厳しい指導が三日おきにあるのだ。将来のためだと割り切って集中しているが、公家の作法というのはほんと難しいよ。前世で茶道をやっていなければ投げ出していたかもしれないな。なぜ、茶を飲むのにこんな動作がたくさん必要なんだとか考えたら、茶道なんて出来ないからな。


それから今川では京から下向してきた公家が多いためか、毎月定期的に歌会が開催されている。参加者が題目に合わせて歌を綴る連歌の歌会を開催されることが多い。あれは参加したくないな。公家衆が高い質で続けているのに、えらくピントのずれた歌を詠んだ家中がいて、冷めた目で見られていた。


もっとも、本人は心臓に毛が生えているのか気づいてなかった。かくいう俺も歌は苦手だ。好きな歌はあるものの、一から考えるのは難しい。ましてや即興なんて夢物語だ。だから元服を避けて歌会ものらりくらり避けていこう。まだ元服前の自由な時間を使って色々やりたいしな。


評定の間につくと、一門衆の鵜殿長門守や重臣の庵原美作守、朝比奈備中守と井伊修理亮等がいた。重臣全員がいるわけではない。それに修理亮がこうした場にいるのは珍しいな。この面子ということは内密の話でもするのか?

父上の目線に従って、下段ではあるがもっとも義元に近い位置に座った。目の前に雪斎が座る。嫡男とはいえ元服前の子供を座らせていいのか?御祖母様は上段で義元から少し離れた横だ。


「井伊谷の井伊家で家老として仕えている小野道高から文が来た。文には彦次郎直満とその弟である平次郎直義が余に対して謀反を企んでいるとあった」

“なんと!”“まさか!!”と声が上がる。皆驚いているようだ。特に修理亮は困った顔をしている。雪斎だけは動じていない。そうか、こいつ知っていたな?知っていたならここに来る途中に教えてくれれば良いものを…。


これは大◯ドラマでやっていた謀反イベント発生ということだな。さてどうするか。とりあえず驚いたふりをしておくか。いや、今さらだな。聞かれたら荒鷲のお陰でそれとなく知っていたとでも言おう。荒鷲、便利だよな。

義元にも使われることを懸念したが、義元は自分のパイプで引き続きやっていくらしい。ただ、もう伊賀の件は頼んでくれるなとだけいわれた。伊賀からしたら、義元はいいけど俺はダメよってことか?


「文を受けて彦次郎と平次郎に館へ参上するように命じた。まもなく館に参るだろう。その方たちも同席せよ」

“謀反とはけしからん!”

“今川の恩義を蔑ろにしおって!”

皆が散々に言っている。いやいや、まだ謀反か分からないだろ。

結局史実では讒言だったと思われているのだし。ま、これは言えないがな。


座にいる皆で侃々諤々していると、小姓が来て“井伊彦次郎様、井伊平次郎様が見えました”と告げた。しばらくして小柄ではあるが、がっちりとした体格の男二人が入ってきた。


「井伊家当主、次郎直盛の弟で、彦次郎直満にございます。御屋形様の召喚により、まかりこしましてござります」

「同じく次郎および彦次郎の弟で平次郎直義にござります」

二人がかしこまって頭を下げた。


「来てもらったのは他でもない。早速ではあるが、その方らに謀反の嫌疑が掛けられている。無用に軍備を整えていると訴えがあってな」

“まさか!”

“そのようなこと!”と言いながら二人が驚いている。

“謀反などとありえませぬ!”彦次郎が大きな声で訴え、平次郎が大きく頷いた。義元はギロリと疑っているような目で見ている。


「では軍備を整えたというのは事実無根か」

「…かつて、数年ほど前に武田が我が領への圧迫を繰り返して参りました。その際に、武田への対抗のため武具を増強しておりまする。その武田も、奥方様が武田より御屋形様へ輿入れされた後は徐々に大人しくなりました。武具は手入れをせねば痛みまする。今は手入れを行っているだけでして、決して御屋形様に弓引くためではございませぬ」


「織田と組んだのではないか!?なぜ今になって道高が訴えをしてきているのだ」

備中守が咎めた。確かにそうだ。武田とは友好関係になって久しい。二人が申していることは事実だとしても、道高の文がある以上分が悪いと言わざるを得ぬ……。

“…それは、分かりませぬ…”

“道高の策謀に違いありませぬ…!”

二人が必死になって弁明している。


「修理亮は何か申すことがあるか」

父上が修理亮に向かって弁解するよう促した。

「……恐れながら申し上げまする。井伊は某の長男が戦死して以来、孫の次郎直盛が家督を継いでおりまする。次郎には女子はおりますが、男児がおりませぬ。そこで彦次郎の嫡男である亀之丞を養子として井伊家の家督を継がせたいと思うておりまする。道高は親族とはいえ、他所から当主を迎えることに反発しておりました。彦次郎や平次郎との折り合いも常より悪く、それが原因やもしれませぬ」


「どうにも腑に落ちんな。余としてはここに家老職を務める者からの文がある以上、厳しく対応をせねばならぬと思っておる」

井伊家の者たちの顔に緊張が走った。今の今川は西に織田、東に北条と東西に戦線を抱えて厳しい実情にある。義元としては厳しく処断し、家中の引き締めを行いたいのかもしれない。義元以外の他の者たちも同調するような面持ちだ。御祖母様も冷ややかに見ている。


……しかし。井伊の一門か。俺の家臣に欲しいな。だが父上が処断する気持ちに傾いているだろう中で、安易に助けに行くと、俺と父上の間に溝を作りかねないな。だがなぁ、彦次郎直満と言えば赤備えで有名な直政の祖父だぞ?それに冤罪かも知れない状況で処断をする事が家中の引き締めにつながるのか疑問もある。将来の今川のためにリスクを取る価値はあるか…。よし!


「父上、一つ申し上げてもよろしいでしょうか」

義元の眉がわずかに上がった。少し試すような顔をしているように感じた。義元がゆっくりと俺に目を合わせたままうなずいた。

「某は、峰之澤で開発をしているため井伊谷とは近く、何か動きがあれば影から報告がございまする。されど特に報告は来ておりませぬ。これは彦次郎と平次郎の言い分が正しいからでありましょう。一方、父上には道高から二人の謀反を指摘する文が届いている。これは修理亮の言い分が正しいからでは無かろうかと。であれば、次郎直盛の次は次郎直盛の子である女子を当主とすれば道高が不満を挙げる理由はなくなりまする」


「ほう、女子を当主とするか。ふむ」

義元が面白そうに反応した。感触は悪くない。

「それで?どう処断するつもりか申してみよ」

先を促された。このまま押してみよう。

「はっ。彦次郎と平次郎の言い分もわかりまするが、井伊家の家老から文が来ているのです。これは重く受け止めねばなりませぬ。彦次郎と平次郎には所領没収の上、一族諸共井伊谷から追放とし、道高については井伊家当主に任せればよろしいかと。今川としては、道高は謀反の芽を報告してくれた者にあたりまする。処断しては次のこうした声を失いまする」


「命は取らぬがそこの二人は本拠を追放か、十分に厳しい内容だな。だが路頭に迷って、こ奴らが本当に反旗を翻すことになるのではないか」

「その可能性は否定できませぬ。ゆえに追放された暁には、父上のお許しをいただけるのならば、そこの二人を某の家臣として召し抱えたいと思うておりまする。この方らにも汚名を雪ぐ場は必要でしょう。無論、禄は某が出しまする」


言い切ってから父上に頭を下げた。なかなか声が掛からない…。重い空気が流れている。最後の冗談がウケてないのかもしれん。


「……良かろう。井伊家の当主次郎直盛の次期当主は次郎の嫡子とせよ。彦次郎と平次郎の一族は所領没収の上井伊谷を追放とする。没収した土地は井伊家当主が差配せよ。彦次郎と平次郎はどこへ参ろうと余の関心にあらず。これで良いな、修理亮」

「ははっ、ご温情いただき、ありがたき幸せにございまする」

「礼は余ではなく、龍王丸に申せ。此度の裁定はほとんど龍王丸が決めたのだからな」

“ハハハ“と義元が笑いながら俺のほうを向いてきた。本当に良い案と思ったのか、次期当主となるだろう俺の意見を無下にするのは、威信に関わると思ったのか本心は分からない。


ただ、武芸に秀でた臣下を手に入れることができたのは事実だ。俺にとってはラッキーイベントだ。

二人には兵学校の子供たちをパウル・ハウサーばりにビシバシ鍛えてもらおう。……いかぬ。すでに臣下としたつもりでいるが、まだスカウトしなければならなかったな。久しぶりに営業マインド全開でいくか!




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