第二話 麻機村




天文十一年(1542) 九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




当主への謁見に使われている広間に呼び出された。目の前には当主であり父親の義元と寿桂尼、軍師・太原雪斎がいる。

「母上から聞いた。土地が欲しいとか。土地を得て何をする?」

「見聞を広めてみたいのです。民草が何をしているのか、何を思っているのか、何を欲しているのか。それは将来父上の跡を引き継いだ時に大きな糧となるでしょう。やってみたいこともございます」

「ほう?何をするのだ」

「色々ございますが、まずは水田の整地を行ってみたいと思っております。某の見立てでは乱雑に稲を植えるよりも整然と土地を整え、稲を植えたほうが収穫は多いかと思っております」


「そのようなことどこで覚えた。なぜそうだと言える」

「ただの思いつきでございます。父上のおっしゃるように疑われるのは致し方ありませぬ。他の者も同じように思うでしょう。だからこそ己の自由が利く土地で、自由にやってみたいのです。大きくなくても良いのです。民の暮らしを某が学ぶことは将来の今川のためになります。土地の改良が思い通りいけば加えて今川の利となります。また、うまくいかなくとも、その失敗は次の教訓、経験となります」

 父上が首をかしげている。それはそうだろう。四歳の子供からこのような願い事をされているのだ。普通であれば子供の戯言で終わってしまうであろう。


「治部大輔殿、龍王丸は狭い土地で良いと申しておるのです。適当な土地をおやりになればよろしいのではないですか」

絶妙なタイミングで御祖母様がフォローに入った。女戦国大名と呼ばれた御祖母様も孫には甘いらしい。

「それはそうですが…。龍王丸はまだ四歳ですぞ。雪斎はどう思う?」

「龍王丸様の願いは理にかなっております。おっしゃるように、結果がどのようになろうとも今川のためになろうかと。大きすぎる土地では民が反発したときに危ういですが、狭き土地でよろしければ、万が一の状態になろうとも痛手は少ないでしょう」


二人の賛意を受け、父上が考え込んでいる。しかしまだ慣れんな。目の前にあの今川義元がいるというのが不思議で仕方ない。大○ドラマの撮影かと思ってしまうわ。笑いをこらえるのに結構苦労するのだ。

「そうか、相分かった。まだその方が差配するのは早すぎると思うが、二人がそう言うのならばその方の要望に応えるとしよう」

義元が俺の顔を見てそう言った。鋭い眼光だ。某ゲームの軟弱なキャラクターなどでは全くない。


「ありがたき幸せに存じます」

「子の成長はうれしいものだが、ここまで早いと驚きだな。背伸びはしすぎるなよ」

「お言葉、肝に銘じます」

「うむ。その方にはこの館からやや北にある麻機村を与える。当家の直轄地だから好きにすればよい。三千石ほどあるはずだ。それにあそこには式部大輔がいる。どうだ雪斎」

「よろしいかと存じます。彼なら龍王丸様のよき師となりましょう」

 麻機村か。小さいがいい場所だ。この今川館から少し歩くだけで行ける。だが式部大輔とは誰だ?そんな家臣がいただろうか。考えていると義元が察して教えてくれた。


「式部大輔は麻機村にいる名主でな。古くは高辻家に連なる公家だ。南北朝の争いの折に後醍醐帝についてな。御家人を集めに駿河に下向してきたようだ。この地の豪族であった狩野氏を頼って戦っておったがどちらも我が今川が下した。今は麻機村で代々地頭のようなことをやっているだけで、式部大輔も自称にすぎぬ」

 南北朝の争いか。ということは二百年ほど前の話だな。…ん?今川が下したと言ったか?おいおい大丈夫か?そんな物騒な者が地頭をしている場所なんて…。

「案ずるな。当家が下したと言っても早百年以上経っている。臣下にできるようならしてみたらよい。元が公家なだけあって色々と知見はもっておるはずぞ。禄は自分の知行地から出すようにな」

 父上が笑いながら仰せになった。


「御屋形様、館の外へお出になるのならば、龍王丸様に供回りをお付けになりませんと」

「そうだな。ちょうど頃合いの者たちを見繕って従えさせよう。追って伝える」

「供回りの禄は某が払うのでしょうか」

「ハハハ、中々細かいことを気にするではないか。余が受け持つゆえ気にするな」

「父上、ありがとうございまする」


 父上に深々と頭を下げて部屋を下がった。ほぼ満額回答だな。少しばかり領地が小さいが、供回りはタダで付くわけだし良しとしよう。実績も無いのだ。これは致し方ない。供回りが具体的に決まり次第さっそく村へ行ってみよう。楽しみだな!





天文十一年(1542) 十月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




 やっと麻機村に行く日になった。供回りはすぐに決まったが、その多くは重臣の子たちで今川館にいなかったので呼び寄せることに時間がかかったのだ。当主嫡男の供回りということで断る重臣はいなかった。むしろ名誉なことと捉える家が多かった。


 供回りには、目付として松井左衛門尉の子で五郎と、久能遠江守の弟で余五郎、供として朝比奈備中守の子で又太郎、鵜殿長門守の子で藤太郎、松井左衛門佐の子で八郎が選ばれた。供は少しだけ年上の者が多く、目付は十歳ほど年長なものが選ばれた。若年とはいえそれなりに武芸も積んでいるだろう。護衛として期待したい。




天文十一年(1542) 十月上旬 駿河国安倍郡麻機村 龍王丸




 村の入り口が見えてくると、二人の男が立って我々を出迎えてくれた。

「ようこそおいでくださいました。お初にお目にかかります。麻機村で代官をしております草ヶ谷式部大輔嘉長と申します。こちらは某の息子で之長、元服したばかりでございますが大学頭を名乗っております」

「うむ。今川龍王丸だ。これからよろしく頼む。こちらは供回りの者たちだ」

 三十代後半だろうか。子の大学頭はまだ十代半ばに見える。式部大輔に供回りを紹介すると村を案内してくれた。


「麻機村には約千名の農民が住んでおり、三千石ほどの米を生産しております。農閑期には竹細工など副業を営む者もおりますがそれほど収入になっているわけではありませぬ。」

「一人当たりの生産性は三石というわけか。これをいかに上げていくということが重要であるな。みたところ水田は整地がされていない。手始めに碁盤の目のようにこれをそろえていくことから始めよう。なに、ちょうど農閑期だ。来年に向けて準備していくとしよう」


「…整地する必要性は?」

式部大輔が疑い深い目で俺を見ている。

「整地をし、整然と稲を植えることで同じ面積でも収穫が増えるのだ。だからやる必要がある」

「ほう、龍王丸様はどこでそれをお知りになったのですか」

「ちょっとな。かならず結果を出すゆえ従ってほしい。式部大輔には麻機村の整地を主導するようこれを命じる。よいな」

「承知つかまつりました」

 この辺は封建主義万歳ってところだな。そもそも俺は農業の専門家ではない。説明を求められても困るのだ。

少しばかり物思いにふけっていると、大学頭が筆を動かしていた。こいつ立ちながら紙に筆で書いているぞ。


「大学頭は何をしている?」

「龍王丸様が仰せになったことを失念しないよう記録してございます」

 メモ魔ってやつだな。前世でもメモをよくしたものだ。少し親近感が沸いてメモを覗いてみると、なかなか要点を簡潔に記録していた。算術もできるようだしこいつは使えるかもしれない。

「大学頭、整地をすると二割石高が増すと俺は考えている。その場合、軍役を百石あたり三名とした場合、整地後に求められる軍役の数は何名だ」

「石高が三千と六百に増しますので、求められる軍役の要員は百と八名になろうかと存じます」

 いいな。石田三成のような内政家として使えそうだ。どれもう一つ。


「大海の磯もとどろに寄する波…」

 大学頭の顔を見て返歌を求めてみた。訝しながらも応えてきた。

「割れて砕けて裂けて散るかも…でよろしいでしょうか。龍王丸様」

「さすがだな。大学頭」

「なぜ急に実朝公を?」

 “戯れただけだ。許せ”と大学頭に言ってから思案した。槍働きは今の供回りに期待すればいい。今は内政家が欲しい。麻機村は知行地だ。ここから禄を出すなら問題ないだろう。禄はどうするか…。はてさて因縁の今川に仕えてくれるかも問題だが…。




天文十二年(1543) 九月上旬 駿河国安倍郡 麻機村 龍王丸




 麻機村を拝領して初めての収穫期がやってきた。草ヶ谷大学頭は直臣になってくれた。今では傍に仕えて雑務をこなしてくれている。まだ十代半ばなので厳しく鍛えていきたいと思っている。村人は訝しがりながらも整地をこなしてくれた。入り組んでいた水田が碁盤の目のように美しく作り直され、田植えは等間隔で育つように植えられた。村人たちは稲を刈る前から稲穂の実り具合をみて明らかに量が増えていると驚いていた。整地のほかには清酒を作った。麻機村のすぐ北に賎機山があるので椎茸の栽培もやってみた。これは前世の記憶をたどって試行錯誤だったが、最近形になってきている。清酒も椎茸もかなり高値で取引をされている。


 結果的に収穫は四千石だった。元が三千石だったから千石も増えたわけだ。この増産分は酒造りに使わせてもらおう。村人にも還元していかねばならんな。村には空地がまだたくさんある。この実績をもって新たに開墾させ、どんどん増産もしていこう。



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