第一話 自我の芽生え




天文十一年(1542) 九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




自我が芽生えた頃、記憶にものすごい量の情報が入ってきた。映像やら文字やら何なのかと戸惑った。

前世の記憶だと気づくのに数分掛かった。急に自分が大人になってしまった気がする。すでに自分を客観的に見ている。身体まわりは四歳といったところか。


今は大きな寺のような屋敷にいるようだ。

布切れのような上で寝ていた。布団の上でなかったからか、身体がカチカチする。それに自分は着物を着ている。法事か?七五三か?何かのイベントなのだろうか。いや、何かおかしい。

部屋の作りが古くさい。時計もなければ、カレンダーもない。うろうろとしていると着物を着た女性がやって来た


「お目覚めのようですね。龍王丸さま」

…何の反応もできずにぽかんとしていると

「寝ぼけ眼ですね。よほど気持ちよかったのでしょう。もうすぐ尼御台さまがお見えになりますからね。いいときに起きてくださいました」

「御台さま、私がおしめをお世話いたします」

「そうね。静、お願いできるかしら」


龍王丸…尼御台……。今川か!それも今川氏真だ。生前に転生の小説はいくつか読んだが、本当にあるのだな。しかし、未来の世に記憶をもって生まれるならまだしも、過去に、それも戦国真っ只中に生まれ変わるとはな。


昭和に生まれてすぐ平成になり、令和になって久しい頃に死んだ。

大企業に就職してそれなりに出世し、大勢を従えて色々やったが所詮はサラリーマンだ。平々凡々な人生に鬱屈していた気がする。


息子が二人いたが、しがない私立大出の自分に比べて彼らは優秀だった。軽々と最難関の国立大をパスし、医学部と投資コンサル会社に進んで忙しくしているようだったから、俺がいなくなって悲しむことはあってくれても路頭に迷うこともないだろう。これは妻も同じだ。俺と同じ会社で女性登用の名のもとに部長職にまでなっていたから全く困らんだろう。


しかし死因が分からんな。株主総会に向けた役員争いの最中だったことまでは記憶しているので、誰かに刺客を送られたかな。…無いな。平和ボケしていた日本で、サラリーマン社長のポストを求めるためだけに人を殺すとも思えん。いつもの妄想癖が出たな。社長になって経団連の会長となり、腐った日本を変えようと思っていたが夢半ばで倒れたようだ。


転生か…。考えようによってはこれは僥倖と言える。戦国ということは言うまでもなく封建社会だ。支配されるものではなく支配する側となればやりやすい。そしてその支配する側に生まれ変わったのだ。せっかくだからやれるだけやってみよう。


会社役員というのは結構本を読む。それも歴史の本が結構多い。役員の仕事は他社との懇親会が多くを占めるといってもいいくらいだが、その席では生まれはどこですか、ここの名産はなにがしで、その由来はといった感じで歴史の話になっていくことが意外と多い。そしてロマンがある戦国時代は往々にして人気だ。だから戦国に関してはそれなりに調べた。取り分け俺は静岡出身でもあったので今川にはそれなりに詳しい。学者やマニア程ではないがな。


さてさて、打ち首や戦死が少なくない戦国で七十代後半まで生きた今川氏真に転生か。史実どおりにのらりくらりと生きるのもある意味で勝ち組だ。…ま、まだ四歳なのにはっきりとした自我をもってしまったようだから、桶狭間のような歴史の大きな分岐点まで時間はたっぷりある。状況を確認していきつつ今後を考えていくこととするか。




天文十一年(1542) 九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 定恵院




「お邪魔しますよ」

「いらせられませ」

尼御台さまがお見えになられました。尼御台さまは名家にあたる中御門家のご出身であられるせいか気品がおありです。今川の政務にも深く関わっていらっしゃるので、気品とともに威厳を兼ね揃えていらっしゃいます。

「政務が落ち着いたので龍王丸の顔を見に来させてもらいました。しばらく見ないあいだにしっかりした顔つきになりましたね」

「ありがとうございます」

尼御台さまに言われて改めて龍王丸を見ると、確かに面持ちが変わっているような気がしました。先ほどまではいつもと変わらなかったはずなのですが…。

「龍王丸、つつがなく過ごしていますか」

「はい。母上や静のお陰で不自由なく暮らしております」

尼御台さまが驚いていらっしゃる。それは私も同じです。健やかに育ってくれていると思ってはいましたが、年相応の育ちをしていたと思っていたのに、今龍王丸ははっきりと尼御台さまをみてお応えしています。




天文十一年(1542) 九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸




御祖母様が目を見張っている。母上にいたっては驚いているようだ。少し前まで子供らしかったのが、急にしっかりとしたから驚いているのだろう。ま、これから一々子供らしく振る舞うのも面倒だ。多少気味悪く思われるかもしれないが、なめられるよりも良いだろう。

「そうですか。龍王丸は何をしていたのですか」

「考え事をしておりました」

「はて?何のことを考えておりましたか」

「領内のことです。どうすれば民草の暮らしは向上するのか、何を成すべきかを考えておりました」

「領内?そうですか。何か思い付きましたか」

「色々と取り組んでみたいことがございます。御祖母様にお力添えいただけるとありがたく存じます」

「私に?フフフ…困りましたね。何を望まれるかわかりませんが、孫にねだられてしまうと断れませぬ。さて何がお望みですか?」

 今川の最高権力者は目の前にいる。尼御台、寿桂尼で間違いない。義元は当主ではあるがまだ若いし、寿桂尼の後見を受けていると言ってもいい。彼女から口添えしてもらって色々と進めていく事にしよう…。



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