第12話 知恵と陽子、二度目の……
月曜の夕方、会社を出ると、小泉陽子ちゃんの観賞魚店を仕事のために訪ねた。そして、用事を済ませた今、同僚の今村さつきさんと二人で、駅前のほうへ向かっている。
私達は二人ともこの駅を最寄りにしているので、駅前で別れようと思っている。
でも私は、心ここにあらずといった感じだった。そして、さっき話を切り上げた時の陽子ちゃんの態度を、ぼんやりと考えていた。
あの時、始めはさつきさんが、なぜ協力してくれるのかと陽子ちゃんに理由を聞いた。
「じゃあ、何で今回は協力するんですか?」
「懐かしい友達の話だからよ」
「売上げ狙いでは無いと?」
「そうね、ただ、常連さんへの話題提供になるし、新規のお客さんが声をかけてくれるかもと期待してる」
「ほかには?」
「言わせたいのね?」
「はい」
そんなやり取りをした後、陽子ちゃんは私のほうへ向いた。
「初めてだったんだよ、覚えてなぁぃ?」
「う、うん、ごめん」
その後、少し黙り込むと、なぜか小三の時に体育館を一緒に使ったことを、記憶していないかと聞いてきた。
私が覚えていないと答えると、再び沈黙してから、それならいいやと陽子ちゃんは言った。
そう、あの返事は承諾の意味合いよりも、諦めの雰囲気を帯びていて…… それにそう、あの時の表情だ!
本当はもう少し言いたい事があるのに、飲み込んだ。つまり諦めたというのが口元と頬に表れていた!
その事に気付いたら、自然と駅前へと向かう足が止まった。
「知恵さん、どうかしましたか」
「…… ごめん、聞き忘れした……」
「戻りますか」
「うん、でも一人で行くよ。ごめん、今日はありがとっ」
すぐに踵を返すと陽子ちゃんの店へ再び向かった。
お店に着くと、確かに店内には数人のお客さんがいた。だから静かに扉を開けて中へ入る。
もちろん、こちらを見た陽子ちゃんとはすぐに目があう。その顔には戸惑いと疑問の表情が浮かんでいた。
会釈だけして、素知らぬ顔で店内に入ると、他のお客さんが居ない場所へ行く。
すると陽子ちゃんが追って来た。
「お客さんが居なくなったら、少し話がしたいの。だから待たせて」
陽子ちゃんは頷くとレジのほうへ戻って行った。
何だかんだとひっきりなしに入って来るお客さんが、完全に居なくなったのは夜の九時過ぎだった。
これから徐々に片付けをしながら、十時の閉店を迎えるのだろう。
「十時過ぎるけどいいの?」
「構わないよ、待たせてもらう」
二階にあるカフェスペースからぼんやりと一階を眺める。
そこには、テキパキと働く陽子ちゃんが居て、でもこの姿を見ていても、小学三年の時の姿は思い出せない。
三年生…… つまり九歳の頃……
体育館を一緒に使った記憶かぁ。
外で予定されていた体育の授業が、雨などで出来ない時、体育館の半分を他のクラスに渡して授業することは確かにあった。
でも、そこでの出来事について記憶している事はない。体育に関しては、友達が転んで怪我をしたとか、私は足が速かったとか、そんな程度の記憶……
次に目が覚めた時、私の頭を誰かが撫でている気がした。いつの間にかテーブルに伏せて眠ってしまったらしい。
「起きた?」
陽子ちゃんの声だ。
私の頭を撫でているのも陽子ちゃんなんだろう。
体を起こすと正面に陽子ちゃんが座っていた。
「コーヒー、飲んで」
私はコーヒーを一口飲むと、陽子ちゃんの顔を見た。
その顔は、笑顔を浮かべていて、その中から感情を読み取ることは難しい。
「知恵ちゃん、どんな話?」
「あ、うん… あのさ、一緒に体育館を使ったっていう話なんだけど…」
「何か思い出した?」
「ごめん、なにも…」
「そっか…」
「でもね、その顔、すごく残念そうなその表情。それが気になって、戻って来た」
陽子ちゃんは、残念そうな表情から、驚きと期待が混ざったような少し悪戯っぽい表情に変わった気がする。
そしてテーブルに両手を置いた。
「知恵ちゃん、両方の手をかして」
言われるままにそれぞれの手を陽子ちゃんの手に乗せた。
陽子ちゃんは手をぎゅっと握ると、その手を見ながら話始めた。
「あの日、お互いにドッジボールをして、最後に倉庫へボールを片付けに行ったの」
陽子ちゃんは、ここで話に間を開けたが、残念ながら私に思い当たる事はない。
「先に倉庫に入ったのは私。あとから入って来たのは知恵ちゃん。私達、中でぶつかって…」
再びそこで、話を切り、何かを言い淀んでいるような感じだけど、私にはピンとくる事がない。
陽子ちゃんも私の表情に変化が無いことに諦めたのか、口を動かし始めた。
「ぶつかってさ… 唇が重なったの」
「えっ!? 何それ? 本当に!?」
「まったく覚えてないの?」
「うん… 記憶にない」
「まあ、一瞬だったしなぁ、キスしたって感覚が無いのかな…」
「ごめん…」
「いいよ、でもそこから私は知恵ちゃんを意識し始めたんだよ。だから再会出来て本当に嬉しかった」
握られている手に力が入った気がする。
「それで、仕事も引き受けてくれたの?」
「それだけじゃ無いけど、それも影響してるよ。少しでも長く一緒に居たいって普通でしょ」
「まぁ、私も幼馴染と仕事が出来るのは嬉しいから、負担になっていないなら良かった」
「じゃあ、もう、片付けは終わったから車で送ろうか」
「ありがとう。お願いします」
シャッターを閉めて、鍵をかけると陽子ちゃんの車に乗せて貰った。
「どの辺だっけ?」
「あおぞら台二丁目だから、セブンがあるんだけど」
「信号のところ?」
「そう、そこまでお願いします」
歩いても十五分程度の距離なので、車だと五分ぐらいで着いた。
「遅くまでありがとう」
車を降りるつもりでそう言った後、陽子ちゃんを見ると、すでに陽子ちゃんは私のことを見ていて、その瞳は熱を帯びていた…
「陽子ちゃん!?」
陽子ちゃんの腕が私の首に回ると、陽子ちゃんの顔がゆっくりと近付いて来て、もう鼻同士が触れ合うんじゃないかというところで、陽子ちゃんの目が問い掛けてきた気がする。
私は目蓋を閉じると続きを待った。
それは静かに私の唇に触ると、そっと撫でるように何度も唇に触った。
始めは柔らかい感触だけだったのが、何か湿ったものが唇に触れたような気がしたあとで、私の唇を割り入るように侵入してきて、歯や歯ぐきを撫でまわす。
首に回された腕の力が徐々に強くなり、唇同士が合わさる力も強くなった頃、私も息苦しくなり、かすかに口を開いた。
そこへさらに舌が入って来て、私の口内も舐め回すと、蛇のように舌へ絡みつき、弱く強く吸った。
頭がぼうっとしてきて、私からもぎゅっと体を締め付けた時、陽子ちゃんが囁いた。
「もっと知恵を知りたい…」
私が頷いて答えると、陽子ちゃんは熱い抱擁を解いて、車を発進させた。
その晩、私達は二人で朝まで一緒に過ごした。
(つづく)
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