第9話 あの娘に会いに

 課長のお宅から朝帰りした土曜日、二度寝からお昼に起こされた私は、母親が用意してくれたご飯を食べた。


「みんなはどこ行ったの?」

「お父さんは打ちっ放し、お姉ちゃんは友達と遊びに行ったわよ」


「ふーん、私も散歩に行って来てもいいかな」

「どうぞ、気にしないで」


 食べ終えると、支度をして、会社から持ち帰ったパンフを一部持つと外出した。


 小学校のそばまで来ると、もうすっかり葉桜になっていて、校庭からは元気にスポーツを楽しむ子供達の声が響いている。

 その学校の塀伝いに進むと小泉観賞魚店がある。

のぼり旗が出ているので、今日も営業しているようだ。

 なぜか嬉しくなって早歩きしている自分を、不思議に思い、足を止めたが、あぁ、そうかと思い至り、さっきよりも少しゆっくりと歩き始めた。


 お店の前に着くと、店内には数組のお客様が居て、彼女はそのうちの一組と接客中だった。

 実は今週、テレビでメダカの特集があったので、その影響もあるだろう。

 私は外からでも魚が観える、大きな水槽を眺めながら、お客さん達が減るのを待った。その水槽越しには、店内の様子を見ることも出来る。

 そして残り二組ほどになった時、店内から店主である彼女が出て来た。

 彼女は小泉 陽子さん。私の小学校の同級生。でも当時、話をした事は無かった。

先日、この辺を散歩した際に、偶然、再会した。


「店内へどうぞ」

「気付いてたの?」


「その水槽、中からも外が見えるのよ」

「あー、そうだよね」


 店内に入り、彼女が出してくれた折り畳み椅子に座る。

そして彼女は、レジの中に入った。

 そのうちに店内に居た二組は、それぞれエサを買うと、帰って行った。


「どちらも常連さんなの。店内の魚を何度も観てから、エサを買って帰るのよ」

「へぇー、ホームセンターとかに行った感じかな」


「そうかもね。だからなるべく居心地よく過ごして貰おうと、余計に近付いたり、話しかけたりはしないのよ」

「そうだよねー」


「それにしても今日は、メダカを買うご新規さんが多いわね」

「メダカって随分とカラフルになったんだね」


「そうね、うちにも何種類かいるわよ。余り場所を取らなくて、回転も早いから、扱いが楽なほうかな」

「売りやすいんだ」


「そう、反対に大型になる肉食古代魚とかは高額だけど、うちでは売れないから置かないの」

「土地柄とか?」


「それもあるかも知れないけど、一匹だけ飼うから、たくさんの中から選びたいのよね。だから専門店に行くんだと思う」

「ふーん」


「そういう意味では、うちは錦鯉にこだわってるわね」

「あっ、そうそう。これを取り扱ってる?」


私は持ち帰ったパンフレットを見せた。


「池で鯉を飼育する時の飼育水の循環ポンプね。置いてないわね」


「そっかぁ」


「どうかしたの?」

「うちの会社の商品なの」


「そう、在庫して売れるような商品では無いから取り寄せね。それにホームセンターなら在庫してるしね」


「ホームセンターかぁ」


「うちのお店に売り込みたかったの?」


「そんな事は無いんだけど、何でも揃うホームセンターって凄いなって思ってね」


 それから私達は前回同様に、二階のカフェスペースに移動して、コーヒーを飲みながら今週の出来事を話した。

 もちろん、その間にもお客さんは来るのだが、今はお父さんがレジにいる。


「そうなんだー、知恵は意識改革担当かぁ……」

「そうなんだよ…… それも手法は問わない、失敗してもいいって言われてるんだけどさ」


「そう言われても、考えるほどにビビるよね」

「そう! まさにそれ!」


「うちのお店にも時々、販売研修生なのかなって人が来るよ」

「へぇ、どんな感じ?」


「大体がすごく嬉しそうな顔して帰るよ」

「何か買ってあげるの?」


「そんな事はしないけど、門前払いにしないし、ちゃんと話は聞くよ。だからじゃないかな」


「確かに、会って社長と話が出来て、意見とか聞かせて貰えたら、日報に書けるもんね」


「たぶん、そんな感じかもね。本気で何か売り込もうってほどの熱意も感じないからね」


「やっぱり、みんなが販売経験をするって工夫が必要だね… んっ!」


 私はスマホを取り出すと、今思い付いたアイデアを打ち込んで保存した。


「いいアイデアが浮かんだの?」


「うん、突然、ごめんね。ドアノックの訪問する工程を繰り返す事に、疑問を感じていたんだけど、営業の補佐として、訪問から受注、製造、検査、納品、請求、メンテナンスまで、全工程を体験したら、どうなんだろうって思ったんだ」


「経験と知識、それから、新しい気付きとかが得られて、やる気とかやり甲斐が高まるかもね」


「うん、全員に響くかどうかは分からないけど、前工程と後工程のことを知るのは貴重な機会だと思う」


「良かった。揚水ポンプは買えなかったけど、アイデアが湧いたようで」


「この水の流れるっていうか、動く音が、集中に良いのかもね」


 私は、コーヒーに飲み残しが無いことを確認すると、「ごちそう様でした」とお礼を言い、席を立とうとした。

すると陽子ちゃんが言った。


「ねぇ、知恵ちゃん、さっきのポンプ、見本の貸し出しと、パンフを何部か貰えたら、展示してみるよ」


「えっ、いいの?」


「うん、錦鯉のお客様は大勢いるし、売上にノルマが無いなら構わないよ」


「ありがとう。週明けに営業へ取り次ぐよ」


「知恵ちゃんは来ないの?」

「そうだね、部署が違うからね」


「さっきの営業補佐ってアイデア…」

「あっ! そうだね。私が第一号になれないか、上司に相談してみる」


「うん、楽しみにしてるよ。なんたって、私は知恵ちゃんのチカラに成りたいんだからね」


「うん、ありがとう。嬉しい。感謝する!」


 すっかり頭が冴えてしまったが、早く部屋に戻ってアイデアを具体化したい。はやる気持ちを抑えつつ、家へと急ぐ、知恵だった。


(つづく)

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