第3話 残業がえりに
残業時間を使いながら、確認出来た事項、未消化事項、そして関係者の相関を図にして頭の中の棚卸しを図った。
「どう?」
「石田さん!?」
背中からの声に驚くと、石田課長が後ろから私のパソコン画面を覗き込んでいた。
「ごめん、近かった? たまに言われるのよね」
「まったく気が付かなかったので、不意に声をかけられて、驚きました」
「そっか、それでどうかな、進捗は?」
「はい、頭の整理と、明日以降の実行案を作成しました」
「そっかそっか、ちょっとマウス借りるね」
そう言って課長は私の資料をスクロールさせた。
「うん、見た目はいいね」
「内容は駄目ですか?」
「まとめ方も書き方も伝わり易いと思うよ。あとは明日、岡田さんと今村さんに見てもらってね」
「はい……」
「さぁ、良ければ撤収、撤収。山場はまだ先だよ」
「はい、片付けてあがります」
石田課長が内容についてコメントしてくれないのが少し不安だったが、片付けを終えると、岡田さんにあいさつして先に帰宅した。
『もう居残り終わりましたか』
電車を待っていると、さつきさんからメッセージが入った。
『いま駅だよ』
『今から遊びに来てもいいですよ』
『今から? ご飯ってこと?』
『オス♂もいますよ』
あの娘は一体何を言ってるんだろうか!?
『そんなのお邪魔虫じゃん』
『知恵さんの相手もいますから』
ヤバい! 本当にどういう状況だ?
『ごめん、私、知らない人とご飯なんて無理だわ』
『コンビニで何か好きな物買って来てください』
駄目だ。会話が成立してない…… これは……
『酔ってる?』
『素面です。あおぞら台に着いたら連絡くださいね』
色んな意味で、顔を出したほうが良さそうだ。靴は脱がずに、さつきさんの安全だけ確認したら、退散しよう。
あとスマホは緊急通報画面を出しておこう。
駅に着いたので、通話で呼んでみた。
「あっ、お疲れ様です。コンビニで私の分もお願いします。好き嫌い特にありません。量も大丈夫です。サラダもお願いします。地図送っときます」
「あ、あぁ、うん」
プッ……
呂律は回ってたし、言いたい事を全部一気に言ってきた。確かに素面のようだ。酔っ払いに部屋へ連れ込まれて、あれやこれやみたいな恐ろしいことはなさそうだ……
依頼に従い、お弁当、サラダ、スープを二つずつ買うと、おおよその方向へ向かって歩き出した。
すると正面に教わったような外観のマンション?が見える。
へっ?
三階の廊下でスマホの明かりが振られている。たぶんさつきさんだ……
やっぱり私よりも若いな。やる事が無邪気で遠慮がない。
仕方なく私も画面を点けると、スマホを振りかえした。
そして、三階まで階段を上がる。
「いらっしゃーい」
「うん、お招きありがとう。でも三階つらい……」
「まぁ、慣れますよ」
なぜ慣れるのかよく分からないが、取りあえず部屋に入れてもらった。
一応、半開きの扉から中をよく覗き込む。
「どうぞって、どうかしました?」
「いや、知らない家には一応警戒しないと」
「えっ、私んちですよ。それよりかアレルギーとか本当に何も無いんですよね?」
「うん、なんで?」
「いえいえ、ならいいです」
さつきさんの部屋の中は、二間でDKとリビング兼寝室で、中がすべて見えた。
酒盛りの様子や人の気配は無いし、男者の靴もない。
少し警戒を解くと、部屋に上がらせてもらった。
「荷物は適当に、上着はそこのハンガー使ってください」
「うん、ありがとう」
言われたとおりにして、洗面所で手を洗うと、テーブルについた。
さつきさんが支度をしてくれているのを待ちながら、リビングを見ていると、見慣れない物に気付いた。
「ねぇ、もしかして、猫飼ってるの?」
「はい、気付きましたね」
「うん、タワーがある」
「そうなんです。お気に入りなんですよね」
「匂いとか気になりますか?」
「ううん、大丈夫だよ」
「帰るときには、コロコロしますからね」
「うん、ありがとう」
「さあ、食べましょう」
温めて貰ったお弁当に箸をつけた。
「そうだ、なんで終わる時間が分かったの?」
「そんなの岡田さんに頼んでおきました」
「だったら私に言えば良かったじゃない」
「それだと約束が気になっちゃうじゃないですか。まあ必要なだけ残業して欲しかったので」
私は意外に思った。さつきさん、案外と気を回す娘なんだ。
「知恵さんの邪魔はしたくないので」
気遣いを嬉しく思いながら、サラダに手を伸ばすと、さつきさんの手が私の手をつかまえた。
「少し惚れちゃいましたか」
握られた手と、セリフで思わずゴクリと唾を飲んでしまった。
さつきさんが、私の目を覗き込んでいる。その熱っぽい視線から目を逸らせずにいると、彼女は笑い出した。
「知恵さん、ドキドキしちゃってますね。さては恋愛経験少なめでしょ」
「ちょっと、そんなこと無いよ」
「本当ですか?」
駄目だ。またあの熱っぽい目付きで覗いてくる。
「えーっと、ゼロじゃないというか……」
「キスは?」
「それも、ゼロじゃないというか」
「てっきり、未経験かと思いました。だって顔、赤いですよ」
「うそっ、どこ?」
「ここです」
さつきさんが立ち上がると、テーブルをまわり、私の脇に立った。そして、手を両方の頬に添えると、顔を近付けてきた。このまま近付いたら唇が……
「ちょっ、待った!」
私は突然立ち上がった。
「どうしました?」
「えっ!?」
「ほっぺたが両方とも赤いですよ」
さつきさんは、手を離すと、自分の場所に戻り、椅子に座った。
「大丈夫ですか? まだ赤いですよ」
「う、うん。大丈夫」
「食べ終わったらどうしますか?」
「えっ! 何するの!?」
「家の猫に会いますか?」
「あっ、そういう事ね」
「可愛いですけど、慣れてないなら、また次回にしましょう」
「うん、飼ったこと無い」
さつきさんに猫の話を色々と聞きながら、食事を食べ終えると、お茶を淹れてくれた。
「私、抱いてきますね」
彼女はそう言うとキャリーバッグを運んできて、扉を開けて、中から猫を抱き上げた。
その猫は茶色っぽくて、額から背中に模様が入っている。
「どうですか? 怖くないですよ」
「触ってみてもいい?」
彼女が頷くので、恐る恐る背中に触った。
私が触ると、猫は目をつむった。
「知恵さん、気に入られたみたいですよ」
「そうなの?」
「はい、緊張してませんから。この子がうちのお兄ちゃんです」
「お兄ちゃん?」
「ええ、弟もいるんです」
お兄ちゃんを戻すと、リビングからもう一つバッグを運んできた。
「次が少しやんちゃで、寂しがりの弟です」
その子は白黒で、額が八の字みたいになっていた。
「さあ、触ってあげてください」
「うん」
手を伸ばすと、その子も手を伸ばして、私の手をちょいちょいとかまって来た。
その仕草が可愛いので、軽く掴んで握手してみた。
「かわいい」
「でしょう。一匹連れて帰りますか?」
「それは無理だよ」
「そうですか。義理の姉妹になれるかと思ったんですけどね」
「さつきさんは一人っ子なの?」
「いいえ、兄がいます。結婚して東京です」
「東京かぁ」
「兄もたいへんみたいですけど、こっちには事業所も無いので、戻りはしないでしょうね」
「そうだね。たいへんだよね」
「でも、私も一人暮らしさせて貰ってますし、大丈夫です。何とかなりますよ、きっと」
少し表情が曇った気がしたけど、すぐに笑顔になっている。
何だか胸がきゅんとして、猫と一緒に抱き締めていた。
「知恵さん…… どうしましたか? 急に……」
「うーん、何か愛おしく感じてね……」
「たぶん毛が付いちゃいましたよ」
「そうだね。そろそろ、お暇しようかな」
「そうですね。そうしましょう」
腕を解くと、テーブルを片付けて、さつきさんにコロコロをしてもらった。
「まだ、人どおりはたくさんある時間帯ですけど、暗い道は避けて、気を付けて帰って下さいね」
「うん、一旦、駅前まで出てから、知ってる道を帰るよ」
「十分ぐらいですか?」
「そうだね。たぶん七、八分」
鞄を持って玄関を出ると、マンションの出入口まで見送りに出てくれた。
「じゃあ、また明日」
「はい、嬉しかったです。お気をつけて」
先ほど伝えたとおり、明るい道を通り、帰宅すると、『ただいま』と『おやすみ』を、さつきさんに送り、お風呂など済ませに下へ降りていった。
(つづく)
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