第七百六十七話 相原颯太は寝ている悠里の髪に触れ、諦めようとしていた恋心を自覚する
聞こえていたアルトサックスの音色が止んだ。
颯太は扉が開けっ放しになっている1年3組の教室に足を踏み入れる。
……教室には悠里ひとりだけがいた。
悠里のアルトサックスは彼女が座っている席の後ろの机に置いてある。
悠里が机の上にハンカチを敷いて寝ているのを見て、颯太は苦笑した。
「高橋、ガチ寝じゃん」
悠里は、颯太が教室に入ってきたことにも気づかない様子で眠り続けている。
颯太は手に持っていた通学鞄を机の上に置き、テナーサックスのサックスケースを床の上に置いた。
そして、悠里の隣の席に横座りし、眠る悠里を見つめる。
もしもあの時。
音楽室で、告白した時。
自分の気持ちが伝わっていたら、そうしたら……。
颯太は眠る悠里に手を伸ばし、彼女の髪に指先で触れた。
悠里は、まだ眠っている。
颯太が好きになった悠里が二年生の先輩の要と付き合い始めて、だから想いを断ち切ろうと思った。
新しい恋をしたくてファンタジーVRMMO『アルカディアオンライン』のNPC女子キャラに近づいてみたけれど、でも、フラれてしまって。
『アルカディアオンライン』で配布されたNPCとの友好度を上げるアイテムを使えば、フラれたNPC女子キャラと恋人同士になれるかもしれないけれど、でも、今はどうでもよくなっている。
やっぱり、颯太は悠里のことが好きなのだ。
廊下側から話し声と足音が聞こえて、颯太は悠里の髪に触れていた手を引いた。
「球技大会、サックスを吹いて応援するのよくない? 楽しいじゃん」
バリトンサックスのサックスケースと通学鞄を持った二年生の篠崎萌花がアルトサックスのサックスケースと通学鞄を持った要と話しながら1年3組の教室に入ってきた。
「相原くん、おつかれー。あれ? 高橋ちゃん寝てるの?」
萌花は机に突っ伏して寝ている悠里に視線を向けて言う。
要は持っていたアルトサックスのサックスケースを床に置き、通学鞄を空いている机の上に置いて、寝ている悠里に歩み寄り、彼女の肩を優しく叩いた。
「悠里ちゃん、起きて」
「んー」
「高橋ちゃん、ガチ寝だね」
要に肩を叩かれても起きない悠里を見て苦笑しながら、萌花は手に持っていた通学鞄を空いている机の上に置き、バリトンサックスのケースの蓋を開けた。
「サックスの音がしたら、それなりにうるさいから、高橋、起きるんじゃないですか」
颯太は床に置いていたテナーサックスのケースの蓋を開けながら言う。
「でも高橋ちゃんのこと起こすの可哀想だから、相原くんは静かにしてたんじゃないの?」
「そろそろ練習、始めようかと思ってましたよ。高橋だってずっと寝てるわけにはいかないですよね」
萌花と颯太が話していると、机に突っ伏していた悠里が起きた。
いつの間にかサックスパートのメンバーが全員教室に揃っていて、悠里はびっくりしている。
その後、サックスパートの全員で夏の吹奏楽コンクールの課題曲のパート練習をして、その日の部活を終えた。
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