第七百五話 高橋悠里は大股で歩く佳奈を小走りで追いかけ、一階一段目の階段に並んで座って佳奈の話を聞く
佳奈は大股で廊下を歩き、悠里は小走りで佳奈の後を追う。
「佳奈ちゃん、待って……!!」
悠里が呼びかけても、佳奈の足は止まらない。
佳奈は登校してきた生徒の波に逆らって進み、悠里は佳奈の後を追う。
佳奈は階段を駆け下りて行く。
悠里は息を切らしながら、小走りで佳奈の後を追う。
不織布マスクをしているせいか、息苦しい。
「佳奈ちゃん、足速い……っ」
佳奈はバレエ教室をやめたとはいえ、長年バレエに打ち込んできたので、細身でも体力と筋力があるようだ。
それに引き換え、悠里はコロナ禍で引きこもり、最近の休日はずっとファンタジーVRMMO『アルカディアオンライン』をプレイするためにベッドにずっと横たわっているので体力も筋力も落ちているのかもしれない。
階段を駆け下りる佳奈の姿が見えなくなり、足音も遠くなる。
それでも悠里は頑張って佳奈の後を追った。
悠里が知っている佳奈は、髪を可愛く編み込みしていて、いつも楽しそうにバレエの話をしていた。
あんな風に友達を怒鳴りつけるなんて、全然佳奈らしくない。
階下に行くにつれて、すれ違う生徒の数が減り、ついにいなくなった。
朝のホームルーム開始のチャイムが聞こえる。
今日は遅刻決定だ……と思いながら、悠里はため息を吐いた。
階段を下りきった一階の一段目に、佳奈が座り込んでいた。
丸まった背中が悲しい。
悠里は息を切らしながら、佳奈の隣に座った。
コロナ禍で、人との距離を取らなければいけないから、一応、拳二個分くらい離れている。
一メートル以上離れたら、階段の端と端に座ることになり、聞ける話も聞けない。
「悠里ちゃん、遅刻になっちゃったね。ごめんね。今からでも教室に戻って」
小さな声で佳奈が言う。
その頼りない声音に、悠里はなんだか悲しくなってしまった。
悲しい気持ちをごまかすように、悠里は佳奈に微笑む。
「いいよ。遅刻しても。私、佳奈ちゃんと久しぶりに話せたら嬉しいなあって思うし」
「……本当、話すの久しぶりだね。悠里ちゃんはいつも、松本さんと一緒だったからなんとなく話しかけられなかった」
「はるちゃん、話しやすいよ。優しいし。美人だから謎の迫力があるかもだけど」
悠里の言葉に佳奈が笑った。
「なんか、悠里ちゃんと話すとほっとする。久しぶりに笑った気がする。……話、聞いてくれる?」
「うん。今、佳奈ちゃんから聞いたことは誰にも言わない。守秘義務は守るよっ」
「ありがとう。……知ってると思うけど、わたし、バレエ教室をやめたの。親にやめさせられたの」
「えっ? なんで? 昔、私がバレエの発表会に行った時は佳奈ちゃんのお父さんもお母さんも来てたよね? 佳奈ちゃんがバレエを頑張ることを応援してたよね?」
「うん。全部、新型コロナのせいなの。うちのお父さん、居酒屋チェーン店の店長で、新型コロナのせいでお給料が下がっちゃったんだって。それでお兄ちゃんの大学の学費を払うのがキツくなって、でもお兄ちゃんはもう運送会社に内定が決まってて、四年生だから無理してでも学費を払わなくちゃいけなくて」
「お兄さんはアルバイトしてないの?」
「正社員で雇ってもらう予定の運送会社でアルバイトしてる。でも、それでもキツいんだって。だから月に1万円も、バレエ教室に払えないって。わたし、だったらお年玉を貯めてたお金からバレエ教室の月謝を払うって言ったの。そうしたら……」
佳奈の声が、涙交じりになる。
「そうしたらお母さんが、わたしが貯めてたお金、全部引き出して使っちゃったって。通帳も見せられた。残金0円だった」
「そんなのひどい。お年玉は佳奈ちゃんのお金なのに……っ」
佳奈の話を聞いた悠里は憤って言った。
「そうだよね。わたしもそう思った。だからお母さんに抗議したの。そうしたら、わたしがお年玉を貰えたのはお母さんたちがお年玉を払ったからだって言われて。お兄ちゃんが大学を卒業できなくなってもいいのかって怒られた」
「佳奈ちゃんがバレエ教室やめるのだってひどいことなのに、なんで佳奈ちゃんだけがバレエ教室をやめさせられて、貯めてたお年玉まで取られちゃうの……?」
「バレエは趣味で、新型コロナのせいで発表会もできないんだからやめてもいいんだって。バレエはわたしの夢なのに。いつかキエフのバレエ学校に留学したいって思って頑張ってたのに……っ」
そう言って、佳奈は自分の膝に顔を埋めて泣いた。
悠里は泣いている佳奈の背中を優しく撫でた。
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