第六百九十話 高橋悠里は久しぶりの部活に心躍り、颯太と話しながら音楽準備室に足を踏み入れる
返ってきた中間テストの答案は、全教科平均点以上で悠里はほっとした。
要に言われて単語カードに英単語を書いて覚えた英語は90点を超えていて、とても嬉しい。
放課後、晴菜は雫と真琴を連れて生徒会室に行ったので、悠里は吹奏楽部の部活動をするために、ひとりで四階の音楽室に向かっている。
マスクをしたまま階段を上ると、息が苦しい。
でも中間テストが終わり、久しぶりに部活ができると思うと、悠里の心と足取りは軽かった。
悠里が軽やかに階段を上がっていると、長身で体格のいい男子生徒が背中を丸め、重い足取りで階段を上がっているのに気がついた。
悠里と同じ一年生で、同じ吹奏楽部のサックスパートの一年生、相原颯太だ。
悠里は元気が無さそうな颯太が気になって、少し迷った後に小走りで階段を駆け上がり、颯太に並んだ。
「お疲れ、相原くん。本当に疲れてる感じだけど、大丈夫?」
「高橋。……なんか久しぶりだな」
「そうだよねえ。中間テストが終わるまでずっと部活も無かったし」
「俺、本当、最近ツイてなくてさぁ。中間テストの結果もあんまり良くなかったし」
「そうなの? 補習になっちゃいそう?」
「いや、全教科、平均点はギリギリ超えた」
「平均点を超えたなら、全然点数悪くないと思う」
「そう?」
颯太の視線を受けて、悠里は二度肯く。
颯太は通学鞄を持っていない方の手で悠里の頭を優しくポンと叩いた。
颯太の手を頭の上に置かれた悠里は、子ども扱いされているようで不満だったけれど、颯太の雰囲気が明るくなったので、文句を言うのはやめておいた。
藤ヶ谷要は音楽準備室で自分のアルトサックスのサックスケースを楽器棚から出し、ストラップを首に掛けて、マウスピースにリードをセットしている。
中間テスト明けの音楽準備室は、吹奏楽部員の賑やかな声と楽器の音で溢れていた。
今日は、吹奏楽部が音楽室を使う日で、合唱部は各教室で練習をしている。
コロナ禍での短縮時間の部活であることは中間テスト前と変わらないけれど、でも憂鬱な中間テストを乗り越えた部員たちの雰囲気は……マスクで顔は隠れているけれど……明るかった。
要がアルトサックスを組み立て終えてストラップに掛けた時、彼のカノジョで後輩の高橋悠里が音楽準備室に現れた。
……同じ吹奏楽部のサックスパートの一年生の颯太と楽しそうに話をしている。
颯太が悠里を見つめる視線は、熱が籠っているような気がして要は眉をひそめた。
不快な感情を胸の底に押し込めて自分のサックスケースを楽器棚にしまい、悠里が使っているアルトサックスのサックスケースを楽器棚から取り出す。
「要先輩っ」
嬉しそうな悠里の声がして、軽やかな足取りが要に近づく。
要と同じグレーの不織布をした悠里が真っ直ぐに要を見つめている。
「悠里ちゃん。サックスケース、出しておいたよ」
「ありがとうございますっ。要先輩、私、チョコチップクッキーを焼いてラッピングしてきたので、後で渡しますね」
悠里は要が好きなチョコチップクッキーを手作りで焼いてくれるという約束を守ってくれたようだ。
要は嬉しくて目元を和らげて悠里を見つめる。
「チョコチップクッキー、楽しみにしてるね。ありがとう、悠里ちゃん」
要が悠里にそう言うと、悠里は肯き、持っていた通学鞄を床に置く。
そして自分のアルトサックスのサックスケースからストラップを取り出して首に掛けた。
要が悠里と颯太をその場に残して音楽室に行くのをためらっていると、音楽準備室にバリトンサックス担当の二年生、篠崎萌花が現れた。
笑顔を浮かべて悠里と颯太に話しかける萌花を見て、要は音楽室への移動を始める。
楽譜立てと椅子の用意をして、楽譜立てに楽譜を置き、合奏ができるようにしなければならない。
大好きなアルトサックスを吹き、合奏をして、部活が終われば可愛いカノジョが自分のために焼いてくれたチョコチップクッキーを受け取る。……何も不満などない、幸せな時間だ。
要は楽しいことや嬉しいことを心の中で数え、悠里にフラれ、彼女と距離を置いていた颯太が悠里に向ける熱のこもった眼差しのことを考えないようにした……。
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