第五百三十八話 高橋悠里が教室で留守番をしている時に颯太のスマホが鳴り、戻った要と『アルカディアオンライン』のユリエルの固有クエスト『行方不明の娘を探して欲しい』の話をする



颯太は友達に萌花の写真を送信し終えて息を吐く。


「篠崎先輩。篠崎先輩の写真データ全部消しますよ」


「えっ!? せっかく撮ったのに!! 全部あたしのスマホにデータ送って!!」


「はいはい」


萌花の言葉を聞いた颯太はスマホ内の萌花の写真のデータを言われた通りに彼女のスマホに送信して、その直後に写真データを削除した。

悠里は萌花と颯太から静かに離れ、不織布マスクを自分のマスクケースに入れて机の上に置いていたアルトサックスをストラップのフックに掛けた。

そして要と一緒に悠里が持ってきた楽譜に記された曲を演奏していると、教室に吹奏楽部の顧問をしている矢上先生が入ってきた。


「練習は終了だ。楽器を片づけて、音楽準備室に行ってくれ」


「えーっ!? まだ外、明るいのに!! まだ練習したいです!!」


教室に入って来るなりそう言う矢上先生に、バリトンサックスを吹いていた萌花が不満げな顔で言い返す。

要と悠里、颯太は成り行きを見守る。


「俺の今日の仕事が終わったから、帰りたいんだよ。教師の働き方改革には生徒の協力が必要なんだよ。っていうか家に帰って掃除して溜まってる皿とか洗って寝たいんだよ……っ」


矢上先生は萌花を見つめて言った。

矢上先生の赤裸々な物言いに、萌花は黙るしかない。


「じゃあ、一秒でも早く片づけをして、音楽準備室の鍵を閉めて職員室に返しに来いよ。頼むな」


矢上先生はそう言って教室を出て行く。


「矢上先生。一つ一つの教室を回ってくれてるんだね。今日、部活をやっちゃダメだって言えば、そんなことする必要もなくすぐに家に帰れたのに」


矢上先生が去った後、要はそう言ってアルトサックスを片づけ始めた。

悠里と颯太、萌花も要に続いて片づけを始める。

悠里たちは楽器を片づけ、机をきちんと並べて窓を閉め、窓に鍵を掛けた。

要と悠里は不織布マスクをつけて、マスクケースをゴミ箱に捨てる。


「悠里ちゃん。俺、悠里ちゃんの分もサックスケースを片づけるから、少しの間、ここで待っていてくれる?」


要にそう言われて、悠里は戸惑う。

要にだけ、片づけを押し付けるようで申し訳ない……。


「俺たちの鞄とか、見ていてほしいんだ」


目元を和らげて言う要に悠里は肯いた。


「わかりました。しっかり見てますね」


「うん。よろしくね」


要はそう言って、自分と悠里のサックスケースを持って教室を出て行く。


「高橋ちゃん。あたしと相原くんの鞄も見ててねっ」


「高橋、頼んだ」


萌花と颯太も自分たちのサックスケースを手に教室を出て行った。


「……ひとりになっちゃった」


悠里の言葉が誰もいない教室に響く。

なんだか喉が渇いた気がして、要が買ってくれて昼食の時に飲み切れなかったオレンジジュースのペットボトルを鞄から出し、蓋を開けた。

それから悠里はマスクを片耳から外してオレンジジュースを一口飲み、蓋をしてマスクを元通りにした後、オレンジジュースのペットボトルを鞄にしまう。


……まだ、要たちは戻らない。

不意に、教室にスマホの着信音が響いた。

悠里は驚いて肩をびくつかせ、教室内を見回す。


音の源を探して歩くと、スマホの着信音は、窓際の一番後ろの席に置いてある颯太の鞄から聞こえているようだ。

……やがて、着信音が途絶えた。


「……」


悠里が自分の鞄とエコバッグを置いた机に戻った直後、教室に要が戻ってきた。


「悠里ちゃん。待たせてごめんね」


「要先輩っ。サックスケースを片づけてくれてありがとうございます」


「じゃあ、帰ろうか」


「えっと、私、篠崎先輩と相原くんにも鞄を見ててほしいって頼まれたので、二人が戻ってくるのを待っていてもいいですか?」


「わかった」


要はそう言って悠里が座っている前の席の椅子を引き、横座りして悠里を見つめる。


「要先輩。学校に来る時にしてくれた話の続きを聞いてもいいですか?」


「『アルカディアオンライン』のユリエルの固有クエスト『行方不明の娘を探して欲しい』の話の続きを話せばいい?」


「はいっ。聞きたいです」


「港町アヴィラの兵士詰め所に問い合わせをしたところまで話したんだよね」


「はいっ。酔っ払い男のジョセフさんが『娘を探して欲しい』ってまずは兵士詰め所に相談に行ったというから、ユリエル様が事情を聞くために兵士を呼んだって聞きました」


「うん。本当はすぐにヘヴン島に行こうと思ったんだけど、船の準備とかあるし、領主のお父様の許可も取らないといけないから、とりあえずその時間に領主館で出来ることはやっておこうと思ったんだ」


「要先輩、さすがですっ」


悠里はその状況ではきっと、特に何も考えずに港でヘヴン島行きの船を探していただろう。

プレイヤーはどんなに悲惨な状況になったとしても、死に戻って復活すれば大丈夫なので、危険に頭から突っ込んでいける。

でも、だからと言って、避けられる危険は避けた方が良いだろう。

特に、要の主人公のユリエルは港町アヴィラの領主子息という身の上だ。


ユリエルが軽率な行動を取ればNPCの護衛騎士が職務怠慢で罰せられる可能性もある。

要は悠里に微笑み『アルカディアオンライン』でのユリエルの行動を思い出しながら話し始める。


「ジョセフさんの訴えを受けて、兵士詰め所にいる兵士のひとりが娘のアザレアさんの足取りを追ったそうなんだけど、彼女が『歌うたいの竪琴』でお酒を飲んで、そのまま港に向かったというところまではわかったみたい。おそらく、港でヘヴン島行きの船に乗ったんだと思う。行きの船は無料みたいだしね」


「それで帰りはぼったくり料金を請求するんだから怖すぎますよね……」


悠里はそう言いながら、自分の身体をさする。

マリーの祖父は詐欺で『銀のうさぎ亭』の土地と建物の権利書を奪われそうになったし、ゲームとはいえ本当に怖いと思う。


「それから、兵士が今、ヘヴン島では巨大魔方陣に魔力を注いでくれる者を募集しているという話を聞かせてくれた。帰りの船も無料らしいから、この機会に娘さんが戻ってくる可能性があることを話して、酔っ払って泣いていたジョセフさんには家で娘さんを待つように指示した」


「じゃあ、今頃は娘さんと再会してるかもしれないですね」


『アルカディアオンライン』のゲーム内時間はリアルの時間経過と同じだけ進む。


一人用のゲームは自分がセーブしたところからプレイを再開することができるけれど、多人数参加型VRMMOである『アルカディアオンライン』は自分以外のプレイヤーとNPCが多様な行動をし続けて、ゲーム世界に影響を及ぼすのだ。


「再会できていればいいと思うんだけど……」


要がそう言って表情を曇らせたその時、音楽準備室にサックスケースを片づけに行っていた萌花と颯太が教室に戻ってきた。




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