第四百三十九話 高橋悠里は校長先生に問いかけられて本音を話し、要と一緒に校長室を出る



「よくある話だな。新型コロナで面倒くさいことになってるのに、恋だのなんだの、ぶっちゃけ面倒くさいことで煩わせないでもらいたいぜ」


「矢上先生。気持ちはわかりますが、落ち着いてください」


校長先生がぶっちゃけた発言をした矢上先生を諫め、言葉を続ける。


「では録音を開始しますね」


校長先生はボイスレコーダーで録音を開始して、悠里に視線を向けた。


「それで、高橋さんはどうしたいですか? 佐々木さんとの和解を望みますか?」


校長先生の言葉を聞いた悠里は少し考えて、首を横に振った。


「いいえ。私は佐々木先輩と和解したいと思わないです。無理だと思うし……。正直、佐々木先輩の顔を見るのも声を聞くのも怖いです。だから関わりたくないです」


「高橋ちゃん……」


萌花は痛ましそうに悠里を見つめ、要は悠里との距離を詰めて、膝の上でぎゅっと握っている悠里の手に自分の手を重ねた。

要は悠里の手を優しく二度叩いて、そっと離れる。

悠里は微笑んで、要に小さく肯いた。

要と悠里の様子を見た兵頭さんが口を開く。


「藤ヶ谷くんと高橋さんは付き合っているという認識で合ってますか?」


「はい。俺と悠里ちゃんは付き合ってます」


要の言葉を聞きながら、悠里は何度も首を縦に振る。


「藤ヶ谷くんと高橋さんが付き合っているということを佐々木さんは知っていますか?」


兵頭さんの問いかけに、要と悠里は萌花に視線を向けた。

萌花は悠里に意地悪をしている佐々木美羽と仲が良い。

美羽のことは萌花が一番よくわかっているだろう。


「美羽先輩……佐々木先輩は、藤ヶ谷くんと高橋ちゃんが付き合っていることをまだ知らないです。あたし、言ってないので。でも、中間テストが終わって部活が始まったら、きっと、藤ヶ谷くんと高橋ちゃんが付き合っているってわかっちゃうので……」


そう言いながら、萌花はボイスレコーダーを気にしている。

美羽が要に片想いをしていることをぼかしながら話し合うのは面倒くさいと悠里は思ったけれど、逆の立場なら、自分がいないところで大人を交えて自分の片想いの話をされた上に録音されてしまうのは地獄だということは間違いない。


「現実的な案としては、高橋さんと佐々木さんがなるべく顔を合わせないようにするということでしょうか」


校長先生が具体的な対処について話し始めた。

要が小さく手を上げ、口を開く。


「俺は、アルトサックスパート……俺と悠里ちゃんの二人でパート練習をしたいと思ってます。あと、合奏の時の席順を佐々木先輩と一年の相原で入れ替われば、佐々木先輩と悠里ちゃんが隣り合って座らなくて済むのでいいと思うんですけど……」


要がそう言った後に萌花が小さく手を上げ、話し始める。


「あたしは、サックスパートのパートリーダーを佐々木先輩からあたしに変更してもらえたらと思ってます。佐々木先輩は高橋ちゃんにキツいことを言う時に『サックスパートのパートリーダーとして一年生を指導している』って言い張ることが多くて、だから、パートリーダーをあたしにしてもらえたら、少しは防波堤になれるかなと思って……」


「パートリーダーは篠崎でいいのか? 藤ヶ谷じゃなくて」


萌花の言葉を聞いて、吹奏楽部顧問の矢上先生は首を傾げた。

萌花は矢上先生を軽く睨みながら口を開く。


「矢上先生。あたしにはパートリーダーがつとまらないって言いたいの?」


「いや、これまでバリトンサックス奏者がパートリーダーになったことが無かった気がしただけだ」


矢上先生がそう言った直後、要が口を開いた。


「矢上先生。俺は、今のサックスパートのパートリーダーは篠崎が適任だと思います。俺は佐々木先輩と話したくないし、関わりたくないので」


「まあ、そうだな。藤ヶ谷がいいなら、サックスパートの次期パートリーダーは篠崎に任せる。中間テストが終わって部活が始まって最初の合奏の時には顔を出すようにするから、その時に『新型コロナで大変な中、受験と部活の両立で大変な三年生の負担を軽減するために、二年生にパートリーダーの役目を引き継ぐように』と伝えるよ。その後で、篠崎が佐々木からサックスパートのパートリーダーを引き継げばいい」


「そうしてもらえると助かります。よろしくお願いします」


要が矢上先生に頭を下げる。

要が頭を下げているのを見た悠里が自分も頭を下げた。

要の真似をして頭を下げる悠里が可愛らしくて萌花は和んだ。


その後、悠里は美羽に何を言われ、何をされたのか聞き取りをされ、淡々と答えた。

要は痛まし気な顔をして悠里を見つめる。

おおよそのことを話し終え、悠里は息を吐く。


「じゃあ、話し合いはこんなところでいいか? 俺も高橋と佐々木のことを気をつけて見ておくようにするから」


矢上先生がそう言うと、校長先生はボイスレコーダーを停止する。

兵頭さんはペンを置き、ノートを閉じた。

話し合いが終わり、空気が弛緩したその時、校長先生が悠里に視線を向けて口を開く。


「それで、高橋さんはどうしたいですか?」


「え……?」


校長先生に問いかけられ、悠里は戸惑って瞬く。


「ボイスレコーダーは停止しました。高橋さんの気持ちを聞かせてください。高橋さんはどうしたいですか? 佐々木さんに、何か望むことはありますか?」


「……私」


悠里は言葉を切って自分の膝の上の両手を見つめる。

どうしたい? 佐々木先輩に謝ってほしい?


「私は……」


校長先生は穏やかに悠里を見つめ、急かすことなく悠里の言葉を待ってくれている。


「私は……佐々木先輩に、もう会いたくないです。顔も見たくない。声も聞きたくない」


零れ落ちた本音が、止まらなくなる。

悠里の目に涙が滲んだ。

サックスパートを希望して、美羽や要、萌花や颯太と初めて顔を合わせて。

その帰りに、お互いの連絡先を交換することになったけれど、その時初めて悠里は美羽に無視されて、連絡先を交換してもらえなかった。


それから、美羽は同じ一年生の颯太には丁寧に教えるのに、悠里には怒鳴ったり馬鹿にしたり、無視したりした。

要と萌花が庇ってくれたけれど、颯太とは仲良く練習できたけれど、それでも悠里は傷ついた。


悠里は、自分が美羽を傷つけたのかもしれないと、ずいぶん悩んで考えた。

でも……美羽が悠里を嫌ったのは『要が悠里に優しくしたから』という理不尽な理由だった。

要と悠里が付き合い始めて悪口を言われるなら、まだわかる。

でも、四月の半ばに吹奏楽部に入部した悠里は、要に憧れの気持ちを抱いていただけだったのに……。


「私……佐々木先輩に、部活を辞めてほしい……」


言ってしまった。

心の奥底に押し込めていた本音を、口にしてしまった。

悠里は膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。


「高橋さん。話してくれてありがとうございます」


校長先生の声は温かく穏やかで、悠里は涙に濡れた目を上げる。

校長先生は目元を和らげ、口を開いた。


「明日、佐々木さんを呼んで彼女の話を聞きます。その際、私から佐々木さんに『部活の引退を検討してほしい』とお願いしてみます」


「そんな……っ。高橋ちゃんと美羽先輩が顔を合わせなければそれでいいですよね!? 去年の夏の吹奏楽コンクールは新型コロナで中止になったから、今年の吹奏楽コンクールが美羽先輩と舞台に立てる最後のチャンスなのに……!!」


校長先生に抗議の声を上げたのは、萌花だ。

悠里は結局、萌花が優先するのはいつも萌花自身と美羽のことなのだと理解して悲しくなった。

泣きたくなるのを我慢して唇を噛む悠里を見つめて要が口を開く。


「校長先生。悠里ちゃんは疲れてしまったみたいなので、俺たちは先に退出させてください。悠里ちゃん。行こう」


「要先輩……」


「佐々木先輩が部活を辞めてくれたらそれでいいし、そうでなければ俺が佐々木先輩から悠里ちゃんを守る。守るだけじゃない。これ以上悠里ちゃんを傷つけようとするなら、俺は佐々木先輩を許さない」


要は悠里をまっすぐに見つめて言った。


「藤ヶ谷。あんまり過激なことはするなよ。明日の佐々木との話し合いは俺も同席するから」


矢上先生がそう言うと、要は肯いた。


「悠里ちゃん。行こう」


要は自分の通学鞄を持って立ち上がり、座っている悠里に手を差し伸べる。

悠里は涙目で要を見返し、それから自分の通学鞄を持って要の手に自分の手を重ねた。


「高橋ちゃん……っ」


萌花はソファーから立ち上がった悠里に、縋るように呼び掛ける。

悠里は萌花に視線を向けて口を開いた。


「篠崎先輩。私、気持ちが落ち着くまで篠崎先輩の電話番号を着信拒否にして、アドレスをブロックしますね。今は佐々木先輩のことも、佐々木先輩を庇う言葉も聞きたくないから」


悠里の言葉を聞いた萌花は声を失う。

要と悠里は先生たちに会釈をして、校長室を後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る