第三百十九話 高橋悠里は要にサックスケースをしまってもらい、萌花と颯太は愚痴を言い合う
「要先輩。あの、要先輩から貰ったマスクケースを捨てたくないので、今日は、私が自分で作ったマスクケースを使いますね。要先輩から貰ったマスクケースは家に持って帰って自分の部屋に飾ります……っ」
悠里の言葉を聞いた要は苦笑し、萌花は『二人の世界』を作り出している要と悠里に呆れながら颯太に視線を向けた。
颯太は集中してテナーサックスを吹いている。
颯太が昨日、悠里に失恋したと知っている萌花は、颯太が失恋の痛みを周囲にまき散らすことをせず、淡々とテナーサックスを吹いていることに、ひそかに感動した。
美羽が自分の苛立ちを悠里にぶつけずに颯太のような態度を取ることができたのなら、今でも部活仲間としてそれなり親しく要を名前呼びすることができていたかもしれないのに、と萌花は思う。
三年生でサックスパートのパートリーダーでもある美羽が長期間部活を休むので、仮のパートリーダーとして二年生の萌花がサックスパートをまとめることになった。
悠里たちは萌花の指示で夏の吹奏楽の地区大会の課題曲をパート練習して、その日の部活は終了した。
悠里が音楽準備室で楽器を片づけていると、先に片づけを終えた晴菜が歩み寄ってきた。
「悠里。藤ヶ谷先輩と一緒に帰る約束できた?」
「うん」
「そっか。よかった。じゃあ、あたしは待ち合わせしてるから行くね」
晴菜は悠里に手を振り、軽やかな足取りで音楽準備室を出て行く。
悠里は嬉しそうな晴菜を微笑ましく見送った。
「悠里ちゃんのサックスケースもしまうよ。貸して」
先に自分のアルトサックスのサックスケースを棚にしまった要はそう言って、手を差し伸べる。
悠里は少し迷った後、要の厚意に甘えることにした。
「ありがとうございます。要先輩。よろしくお願いします」
悠里はそう言いながら、自分のサックスケースを要に手渡す。
要は悠里のサックスケースを受け取って棚にしまった。
サックスケースをしまい終えた要は悠里を促して、二人で音楽準備室を出て行った。
後に残された萌花は要と悠里を見送ってため息を吐く。
「か……じゃなくて藤ヶ谷くん。こっちには全然『サックスケースしまうよ』とか言わないんですけど。感じ悪いなあ」
「付き合い始めはあんな感じになるのかなあって思うんですけど。でも目の前で見させられるとキツいっす」
文句を言いながら、自分のサックスケースを棚にしまう萌花に、颯太は苦笑いしながら愚痴を零す。
「今日のことを考えると本当、美羽先輩がしばらく部活を休んでてよかったと思う」
「ですね。でも部活休むとテナーサックスの吹き方忘れそうなんで、俺は明日も部活、やりますよ」
バリトンサックスのサックスケースをしまい終えた萌花に、颯太は笑顔で言う。
「その根性、いいね。じゃあ、先輩が後輩のサックスケースをしまってあげよう」
「あざっすっ」
颯太はおどけて一礼し、萌花に自分のテナーサックスケースを手渡す。
萌花は颯太からテナーサックスケースを受け取って棚にしまった。
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