第三百十七話 5月12日/高橋悠里は部活に行き、大好きな先輩と一緒に帰る約束をする



悠里は母親に『アルカディアオンライン』のゲーム機器を母親に没収されているとは知らず、午前中の授業を受けて給食を食べ、午後の授業を終えて帰りのホームルームの担任教師の話をぼんやりと聞いていた。

相変わらず担任教師は生徒たちの顔を見ずに喋っている。……授業の時はたまに目が合うこともあるけれど。


帰りのホームルームが終わり、悠里と晴菜は通学鞄を持って四階の音楽準備室に向かう。

今日は、合唱部が音楽室を使う日なので吹奏楽部は各教室に分かれてのパート練習になる。


「今日は佐々木先輩、来るのかなあ……」


階段を上がりながらため息交じりに悠里は呟く。

悠里に意地悪を言うサックスパートのパートリーダー、佐々木美羽と顔を合わせるかもしれないと思うと、気が重い。

佐々木先輩が生理中で体調が悪ければ、部活には来ないかもしれない。

……来ないといいなあと思ってしまうのはダメだとわかってはいるのだけれど。

俯く悠里に視線を向けて晴菜は口を開いた。


「佐々木先輩の意地悪は、たぶん篠崎先輩が押さえてくれると思うよ。そうじゃなかったらあたしが顧問の先生に佐々木先輩と篠崎先輩が一年生にパワハラしてるって訴える」


「篠崎先輩が押さえてくれるってどういうこと? 篠崎先輩は私が佐々木先輩に意地悪を言われたら、いつも空気を変えてくれるよ」


「それがダメなの。悠里が意地悪を言われないようにちゃんとしてもらわないと。今日、篠崎先輩が役に立たなかったらあたしにメッセージをちょうだい。あと、ちゃんと藤ヶ谷先輩に『今日、一緒に帰りたい』って言うのよ」


「はるちゃんは氷川くんと一緒に帰る約束できたの?」


首を傾げて問いかける悠里に晴菜は肯く。


「二時間目が終わった休み時間、悠里がトイレに行ってる間に氷川くんに『今日一緒に帰れる?』ってメッセージを送っておいたの。三時間目が終わった休み時間に返事が来て『一緒に帰れる』って。昇降口で待ち合わせをしてるの」


「氷川くんも何か部活をやってるの?」


四階に到着したその時、悠里は晴菜に尋ねた。

晴菜は悠里に肯き、口を開く。


「氷川くんは生徒会に入ってるの。今は中間テストが終わった後に開催する球技祭の準備で忙しいみたい。忙しいっていっても、部活と同じで生徒会も短縮時間での活動なんだって」


晴菜のカレシの氷川拓海は悠里と晴菜の同学年で、悠里たちが小学校6年生の時に児童会長をしていた。

中学で生徒会に入ったのは納得できる。


悠里と晴菜が音楽準備室に到着したその時、音楽準備室からアルトサックスのサックスケースと通学鞄を持った要が現れた。

グレーの不織布マスクをした要は悠里と晴菜に視線を向けて目元を和らげる。


「お疲れさま。悠里ちゃん。松本さん」


「お疲れさまですっ。要先輩」


「お疲れさまです。藤ヶ谷先輩。悠里、あたし先に楽器の準備をしてるから」


晴菜はそう言って一人で音楽準備室に入っていく。

要は何か言いたそうな顔をして自分の前に立つ悠里を見つめた。


「あのっ。要先輩、私今日、要先輩と一緒に帰ってもいいですか……?」


「うん。俺は嬉しいけど、でも松本さんはいいの?」


悠里は『美人の晴菜を一人で帰らせるわけにはいかない』と強く主張していたはずだ。

要の問いかけに、悠里は少し迷った後に口を開く。


「えっと、はるちゃんは昨日カレシができたので、今日はカレシと帰るそうです……」


「そうなんだ。じゃあ、一緒に帰ろう」


「はいっ。あっ。楽器、重いのに引き留めてしまってごめんなさい」


「気にしないで。悠里ちゃんと一緒に帰る約束ができて嬉しいから」


「要先輩……」


「要。高橋ちゃん。邪魔なんだけど」


音楽準備室の扉の前で見つめ合う悠里と要にトロンボーンパートの二年生、土井明が呆れ顔で突っ込んだ。



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