第二百九十一話 高橋悠里と要は1年5組の教室を出て音楽室に向かい、颯太は失恋の痛みを抱えながら『アルカディアオンライン』を始めようと決意する



悠里と要が教室を出ようとしていることに気づいた颯太はその場から離れた。

咄嗟に、自分のクラスの1-3の教室に逃げ込む。

悠里と要は颯太に気づくことなく、教室を出たようだ。

二人の話し声と足音が遠ざかっていくのを聞きながら、颯太は廊下側の一番後ろの自分の席に座って、机に突っ伏した。


「あー。フラれた……」


颯太の呟きは誰もいない教室に漂い、消えた。

完膚なきまでの失恋だ。挽回の余地すら無い。

救いなのは悠里が『颯太が悠里に告白した』と認識していないことだろうか。

……音楽室にいた悠里以外の全員が、『颯太が悠里に告白した』と知っているだろうけれど。


頬に机の冷たさを感じながら、颯太は悠里に好意を持ち、恋をしたことを思い返す。

最初は、ただの吹奏楽部の同期で、偶然同じサックスパートを希望した一年生同士だった。

悠里と話すのは楽しくて、悠里の笑顔を可愛いと思った。


最初は、アルトサックスを吹きたかったけれど悠里が楽しそうに、嬉しそうにアルトサックスを吹くから颯太はテナーサックスでいいと思うようになった。


悠里に冷たい態度を取る、サックスパートのパートリーダーの美羽がテナーサックスの担当だったから、悠里にテナーサックスを吹かせるわけにはいかないと思ったし、今では中低音が響くテナーサックスが高音のアルトサックスより好きになったけれど。


颯太は悠里に好意を持ち、好意は次第に恋に変わった。

でも、この恋は実らない。

今さらながら、要に恋をしている美羽が悠里に敵意をぶつけまくった気持ちがわかる。


「ヤバい。このままじゃまずい……」


颯太は吹奏楽部を続けたい。テナーサックスを吹いていたい。

部活を続けるのなら、サックスパートに居続けるなら、付き合い始めた悠里と要を見続けるしかない。二人が別れるか、要が部活を引退するまで、ずっと。


「好きな子が他の男と付き合ってるのをずっと見続けなきゃいけないとか、マジか……」


告白したいと思い、好きだと口にした悠里への恋心をいきなりゼロにするなんて無理だ。

でも、悠里への恋心をいきなりゼロにすることはできなくても新しい恋をすれば、失恋の痛みを和らげることはできる気がする。


「高橋の他に、好きになれる子を見つけないと……」


でもそんな女子がどこにいる?

クラスメイトには特に心惹かれる子はいない。吹奏楽部の中にも、悠里以外に『いいな』と思う子はいない。

……吹奏楽部の女子たちは颯太が悠里に告白して爆死したことを知っているからそもそも颯太を恋愛対象として見ないだろう。


「あー。出会いとか無ければ新しい恋とか無理じゃん……」


だが、新しい恋を探すことを諦めるわけにはいかない。

颯太は美羽のように自分の痛みを誰かにぶつけてしまうのは嫌だった。

好きになれそうな女子を誰かに紹介してもらうとか?

……でも、誰に?

今、颯太が仲良くしている男友達に、カノジョがいる奴は誰一人としていない……。

そう考えてため息を吐いた颯太の脳裏にふと『アルカディアオンライン』というゲームの名前が浮かぶ。


颯太の弟、敦也がハマっているゲーム。

膨大な数のプレイヤーがモンスター討伐をしたり、生産活動をしているという。

そういえば悠里もハマっていると言っていた。


リアルの家族、友達、知り合いの誰にも声をかけずにひっそりと『アルカディアオンライン』をプレイし始めたら、新しい人間関係を作ることができるのではないだろうか。

悠里への恋心から目を逸らすことができるなら、ゲームキャラと疑似恋愛するのも有りだ。

あとで、スマホで『アルカディアオンライン』をプレイする方法を検索しようと思いながら、颯太は机に突っ伏していた顔を上げ、のろのろと立ち上がる。

そして、重い足を引きずるようにして教室を出てテナーサックスを置きっぱなしにしている音楽室へと向かった。



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