第百二十二話 高橋悠里は三年生の先輩に意地悪を言われる



ゴールデンウィーク明けの登校は憂鬱だ。

学校に行く準備をする間にも怠さを感じてため息がこぼれる。

それでも、授業の教科書とノートとハンカチ、吹奏楽部で使う楽譜のコピーが入ったファイルと晴菜と要、そして自分の分のマスクケースを忘れずに鞄に入れた。財布、ポケットティッシュ、楽譜と携帯用のアルコール消毒液は鞄に入れっぱなしになっている。


家を出て学校に向かう通学の時間も気が重い。

幼なじみで仲が良い晴菜と喋りながら学校に行くのは好きだけれど、でも心のどこかに憂鬱さがこびりついている。

今日も休みだったら、思いっきり『アルカディアオンライン』で遊べたのに……。


給食を食べる前に、晴菜にマスクケースを給食で使うものと部活の時に使うものの二枚を渡して喜んでもらえたことは嬉しかった。

でも午後の授業が始まると、また憂鬱さが押し寄せてくる。


憂鬱な気持ちを引きずったまま退屈な授業を終え、悠里は晴菜と吹奏楽部の活動場所である四階の音楽準備室に向かう。

今日、音楽室を使うのは合唱部で、吹奏楽部は各パートに分かれて教室を借りて練習をする予定だ。

いつものごとく、部活の時間は短縮されている。


音楽室の隣にある音楽準備室の扉を開けると、吹奏楽部員が密集していた。

音楽準備室には窓がないので、換気が悪い。悠里は中に入るのを躊躇した。

そんな悠里に気づいて晴菜が口を開く。


「もう少し空くまで、廊下で待ってる?」


晴菜の提案に悠里は肯いた。そして二人は廊下の空いた窓の側に立ち、お喋りを始めた。

マスクをしているし、開けた窓の側だから安心して話せる。


音楽準備室からクラリネットパートの部員たちがぞろぞろと出て来た。

クラリネットパートは吹奏楽部で一番人数が多い。彼女たちが出て行って少し、音楽準備室は空いただろうか。

悠里が首をのばして部屋の様子を確認しようとしたその時、テナーサックスのケースを持ったサックスパートのパートリーダー、佐々木美羽が音楽準備室から出て来た。


「高橋さん。そんなところに突っ立って何してるの?」


美羽が悠里に問いかける。嫌な言い方だと思いながら目を伏せ、悠里は口を開いた。


「音楽準備室に人がいっぱいいたので、空くのを待ってました」


「ふうん。喋って部活をサボってるのかと思った」


美羽はサックスパート唯一の三年生で、そのせいかいつも上から目線で物を言う。

悠里は美羽に目をつけられてしまったようで、事あるごとに意地悪なことを言われていた。


「佐々木先輩こそ、後輩を苛めて部活サボってるんですか? 最悪ですね」


俯く悠里を庇うように立ち、晴菜が美羽を睨みつける。

綺麗な顔立ちの晴菜に睨まれた美羽は、怯みながら、それでも言い返した。


「別に苛めたりとかしてないし。ちょっと注意しただけでしょ。そんなことより、松本さんはフルートパートだったよね。もうフルートの人たち、あなた以外全員行っちゃったから、早く準備した方がいいんじゃない?」


「お気遣いどうも。音楽準備室、空いてきたので楽器を出してきます。行こう。悠里」


晴菜は悠里の手を引いて音楽準備室に入る。美羽はサックスケースを持って教室へと向かった。


「はるちゃん。庇ってくれてありがとう。でも、はるちゃんまで佐々木先輩に目をつけられちゃうかも……」


音楽準備室に入った悠里は美羽の耳に届かないように小さな声で晴菜に言った。


「あたしは佐々木先輩のこと怖くないから。別パートだし、関わりないし。アイツ、なんで悠里にばっかり嫌なこと言うんだろう。最悪」


「私、気づかないうちになにか佐々木先輩に嫌な思いをさせちゃってたのかも。だから意地悪なことを言われちゃうのかも……」


悠里はしゅんとして俯く。


「ああいう人って『なんか気に入らない』程度で難癖つけてくるから、本当、気にしない方がいいよ。早く準備しよう」


「うん」


悠里と晴菜がそれぞれに楽器を出していると音楽準備室に長身で体格のいい男子生徒が入って来た。

サックスパートの一年生、相原颯太だ。サックス希望の一年生として顔を合わせて仲良くなった。サッカー部かバスケ部も合いそうだと悠里が言ったら、小学生の時はミニバスをやっていたと笑った。


サックスパートの一年生は悠里と颯太の二人だけで、まだパートは固定していない。今はとりあえず悠里がアルトサックスで颯太がテナーサックスを吹いているが、来週には楽器を交代する予定だ。


「悠里。私、先に行くねっ」


右手に手早くフルートケースを持ち、左手に学生鞄を持った晴菜は足早に音楽準備室を出て行く。

美羽にフルートパートの部員たちが晴菜以外全員行ってしまったと言われたことを気にしているのだ。

部員が密集していても怖がらずに、音楽準備室に入ればよかった。

悠里の口からため息がこぼれる。


「高橋。なんかあった?」


悠里のため息に気づいて颯太が尋ねる。悠里は首を横に振り、なんとか笑顔を作った。


「休み明けで憂鬱だなあって思って」


「それわかる」


颯太は軽く笑って左手でテナーサックスケースを持ち、右手で学生鞄を持った。

悠里はため息の理由をうまくごまかせたことにほっとしながら右手にアルトサックスのサックスケースを持ち左手で学生鞄を持つ。

そして悠里と颯太は連れ立って音楽準備室を出た。

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