第百八話 高橋悠里はコンビニスイーツを食べて、ワイドショーのコメンテーターに憤る



悠里が目を開けると、母親の顔が目の前にあった。

また、強制ログアウトをしたのかもしれない。そういえばさっき、サポートAIが『強制ログアウト』と言った声が聞こえた気がする。


「悠里。お祖父ちゃんが散歩のついでにコンビニでスイーツを買ってきてくれたから食べましょう」


「……」


なんだかぼうっとしてしまって、母親の誘いの言葉に反応できない。

ゲームの中のマリーの感情を引きずっている。


「早く来ないと、お母さんとお祖母ちゃんが食べたいスイーツを先に選んじゃうわよ」


母親はそう言って、悠里の部屋を出て行った。

ゲームは終わり。ここはリアル。

心の中でそう呟くと、なんだか頭がすっきりしてきた。


「家に帰りつく前に強制ログアウトしちゃったから、ゲームのお母さんは困っただろうなあ……」


マリーと真珠が同時に眠ってしまったのだ。女の身では途方に暮れるだろう。


「でもゲームだし、なんとかなるはず。きっと大丈夫」


悠里は気持ちを切り替えて横たわっていたベッドから起き上がり、ヘッドギアを外して電源を切る。

それからゲーム機の電源を切った。

スイーツを食べた後、すぐにゲームをプレイしたいのでヘッドギアとゲームをつなぐコードはそのままにしておく。


「早く行かなくちゃ」


祖父は一つずつバラバラのスイーツを買う癖がある。

早く選ばないと、自分好みのスイーツを他の家族に取られてしまうかもしれない。

悠里は急いで自室を出た。


階段を下りて、一階のリビングに向かう。


リビングには母親と祖母がいた。父親と祖父の姿はない。

テレビにはワイドショーが流れている。コメンテーターの一人が『コロナ禍であっても絶対にオリンピックを開催すべきだ』と力説しているのを聞き流しながら、悠里はテーブルの上に並んだスイーツを確認した。


テーブルの上には杏仁豆腐とプリン、そしてミルクレープとプラスチックのスプーンが二本、プラスチックのフォークが一本置いてある。

親切なコンビニの店員が、きちんとスイーツの数だけ対応するスプーンとフォークをつけてくれたのだろう。たまに、何も言わないと何もくれない店員もいる。それはそれで、コンビニの経費節減と環境保護に役立つのかもしれないけれど……。


「お祖母ちゃんが悠里が来るまで選ぶのは待とうって言うから待っていたのよ」


母親の言葉を聞いた悠里は、祖母に視線を向けて微笑む。


「ありがとう。お祖母ちゃん」


「いいのよ。私は残った物でいいから、悠里とお母さんが先に選んで。そうだわ。紅茶を淹れて来ましょうね」


「私は杏仁豆腐が食べたい」


「あら。気が合うわね。お母さんも杏仁豆腐を食べたいと思っていたのよ」


悠里と母親の間に火花が散る。こういう時はじゃんけん勝負!!


「最初はグー!!」


「じゃんけん……っ」


ぽん、と言った後に悠里はチョキを出し、母親はパーを出した。


「勝ったーっ!!」


「負けた……っ」


以前、新型コロナが蔓延する前に旅行に連れて行ってもらった時に、宿泊したホテルでじゃんけん大会があった。

大勢の宿泊客対ホテルの従業員一人がじゃんけんをして、ホテルの従業員に勝ったら次のじゃんけん勝負に進めるというエコで楽しいイベントだ。

悠里はその時父親に『チョキを出せば勝てる』と教わった。

父親は『じゃんけんは、何も考えていないと拳を握ってグーを出してしまうことが多い。そのことを知っている人は最初にパーを出す。そこでチョキだ。最初にチョキを出す人は滅多にいない。家族の中で悠里だけに教えるじゃんけん必勝法だ』と言った。

そのじゃんけん大会で父親と悠里は四回勝ち抜いて、親子で決戦じゃんけんをした。

その時は『チョキを出せば勝てる』と教えた父親が卑怯にもグーを出して悠里に勝ち、ホテルから、ホテルの売店で使える5000円の商品券をゲットした。

父親は商品券で会社の同僚へのお土産を買っていた。

その時からなんとなく、悠里はじゃんけんで最初にチョキを出すようにしている。

母親は高確率で最初にパーを出すので勝てることが多い。


「じゃあ、杏仁豆腐をもらうねっ」


悠里は喜々として杏仁豆腐とプラスチックのスプーンを取る。


「残念。じゃあ、私はミルクレープにするわ」


母親はミルクレープとプラスチックのフォークを取った。


「お父さんとお祖父ちゃんは何を取ったの?」


「お祖父ちゃんは一番最初に豆大福を選んだわ。スイーツを買ってきてくれた人だし、最初に選ぶ権利があるものね。お祖父ちゃんがすすめたから、その次にお父さんがみかん入りの牛乳寒天を選んだの。それから二人でスイーツを持って畳の部屋に行ったわよ。たぶん将棋をさしているんじゃない?」


未成年の天才棋士が現れてから、祖父と父親の将棋熱が高まっている。

将棋は将棋盤と駒、そしてさす相手がいれば遊べるエコなゲームだと悠里は思う。

自分で将棋をさしてみようとは全く思わないけれど、きっと将棋は100年先にも存在するゲームの一つだ。

悠里と母親がソファーに並んで座り、それぞれのスイーツを食べていると、人数分の紅茶を淹れた祖母が戻って来た。


「紅茶を淹れたわ」


「ありがとう。お祖母ちゃん」


「ありがとう」


祖母は悠里と母親の前に紅茶のカップを置き、そして自分の前にも紅茶のカップを置いた。

そして最後に残ったプリンを手に取り、少し迷ってからプラスチックのスプーンを取る。

きっと、祖母はプラスチックのスプーンを使うか、家にある銀のスプーンを使うか迷ったのだろうと悠里は思った。


テレビに映るワイドショーのコメンテーターはまだ『オリンピックは特別で神聖な大会だから、新型コロナが蔓延しても、何があっても開催しなければならない』と言い続けている。

悠里はこのコメンテーターの言葉に眉をひそめた。


「オリンピックは豪華な運動会みたいなものでしょ? オリンピックを開催するようにって、しつこくうるさく言うのに、全国の小学校とか中学校とか高校の運動会とか体育祭を『ぜったい開催するように』と言わないのってなんでだろうね? 見ているだけのオリンピックより自分が参加できる運動会とか体育祭の方が絶対に大事だよ」


「確かに悠里の言う通りだと思うわ。それに、オリンピックは勇気と感動を与えると言っているけど、世界中の人が日本に集まってしまうってことは世界のコロナウィルスが日本にやってくるっていうことだから怖いわね」


悠里の言葉を聞いて、祖母が言う。


「日本で怖い変異株が生まれてしまったら、オリンピックが与えるのは『勇気と感動』じゃなくて『恐怖と絶望』ね」


「お母さんっ。怖いことを言わないで……っ」


「オリンピック期間中も外出しないで、テレビでオリンピック観戦をしていればきっと感染が拡大したりはしないわよ」


祖母は怯える悠里を慰めて、紅茶を口に運ぶ。


「オリンピック信者のコメンテーターの話とかこれ以上聞きたくないから、私は部屋で食べるね」


自分の分の紅茶と杏仁豆腐を持ち、悠里はソファーから立ち上がる。


「ゲームはほどほどにしなさいよ」


「わかった」


母親の言葉に悠里は肯く。ほどほどに楽しく長く、好きなだけ遊ぶことにしよう。

悠里はリビングを出て、二階の自室に向かった。



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