第百七話 マリー・エドワーズは家路を辿る



「から揚げを食べ終えたし、後片づけをして帰りましょう」


母親はそう言って、空になった木皿と木のコップをそれぞれ重ねた。


「私、濡れた布巾を借りたい。テーブルを拭きたいの」


「そうね。食器を返す時にダリルさんにお願いしてみるわ」


母親がそう言った時、扉が開いてダリルが現れた。


「もう食べ終わったのか。おかわりはいいのか?」


重ねられた木皿やコップを見てダリルが問いかける。

プレイヤーは食べたいと思えばいくらでも食べられるが、奢ってもらっているのにそんな非道なことはできない。

マリーは笑顔で肯いた。


「たくさん食べたから、もうお腹いっぱいですっ」


「わおんっ」


笑顔で言うマリーの言葉は、嘘だ。お店の財政を圧迫させないために嘘を吐く必要がある。

いつまでも食べ続けてしまったら最悪、出禁になるだろう。

真珠もダリルに気を遣っている。


「久しぶりにお腹いっぱい揚げ物を食べました。本当にごちそうさまでした」


満ち足りた笑顔を浮かべる母親の言葉は本心だろう。

母親だけでもお腹がいっぱいになってよかったとマリーは思う。


「テーブルを拭きたいので濡れた布巾を貸してもらってもいいですか?」


マリーがダリルに頼むと彼は笑って首を横に振った。


「客がそこまで気を遣う必要はねえよ。皿とコップもそのままでいい。あとはこっちでやっておくから」


奢ってもらった上に片づけも任せていいなんて、優しい……!!

マリーたちはそれぞれに、ダリルにお礼の言葉を伝える。


「夜も遅いから気をつけて帰れよ」


ダリルに見送られ、左腕に真珠を抱いた母親は右手でマリーの手を引いて部屋を出た。

そして、賑やかな騒めきと音楽が満ちている店内を出口を目指して歩く。

マリーは個室では人の話し声や音楽がほとんど聞こえなかったことに思い至り、首を傾げた。


「お母さん」


尋ねようと母親に呼びかけたけれど、マリーの声が聞こえないようだ。

店主の客だと認識されたせいか、興味を失ったのか、客の視線を浴びることもなくマリーたちは『歌うたいの竪琴』を出た。


夜の道を、片腕に真珠を抱いた母親に手を引かれてマリーは歩く。

港の近くに来たのに、海も船も見られなかったことを残念に思いながら夜空を見上げると、祖父と見たのと同じ形の黄緑色の光をたたえた月が輝いている。

この世界の月は満ち欠けをしないのかもしれない。

ファンタジーな街並みで、だけどNPCが話す言葉は日本語で。

リアルの日本では簡単に手に入る調味料が高価で、だけど親子の情はリアルと同じように温かい。

不思議な世界だとマリーは思う。たくさん知らないことがあって、知りたいことがある。


上り坂を上り切ると広場に到着した。プレイヤーの姿は相変わらず多い。

だが露店は全て店じまいをしたようだ。クレムも帰ったのだろう。彼は、どこで寝起きしているのだろうか。

今度、フレンド機能のメッセージで尋ねてみようとマリーは思った。


見覚えがある中央通りに入り、マリーはなんだかほっとした。


「マリー。たくさん歩いたから疲れたでしょう? もうすぐ家につくからね」


母親に優しく声を掛けられてマリーが肯いた直後に、サポートAIの声が響く。


「プレイヤーの身体に強い揺れを感知しました。強制ログアウトを実行します」


その言葉を聞いた直後、マリーの意識は暗転した。


***


若葉月9日 真夜中(6時45分)=5月5日 15:45



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