第九十三話 高橋悠里は憧れの先輩と牧高食堂で昼食を買う



悠里は目を開けて、瞬く。目に映るのは自室の天井だ。

悠里は横たわっていたベッドから起き上がり、ヘッドギアを外した。

それからヘッドギアとゲーム機の電源を切る。


「ヘッドギアとゲーム機の充電をしておこう」


悠里は手早くヘッドギアとゲーム機を繋ぐコードを外して充電器で充電をする。

それからスマホで時間を確認した。

今の時間は9:40だ。悠里はスマホを鞄に入れて、慌てて制服に着替えて洗面所に走る。


洗面所で髪を梳かしてポニーテールに高く結い、急いで自室に引き返した。


自室に入り、通学鞄を持ってリビングに向かう。


リビングには悠里以外の家族が全員揃っていた。

何か話しかけて来たけれど、悠里は家族の言葉を無視してサイドボードの上にある不織布マスクの箱からマスクを一枚取って身につける。


「学校に行ってくるね!!」


家族に言い捨て、通学鞄を持って玄関に向かう。

革靴を履いて鞄を持ち、悠里は家を出た。


「よかった。まだ先輩、来ていないみたい」


悠里はほっとして頬を緩める。ゲームで遊んでいて先輩を待たせるなんて言語道断だ。

30秒ほど待った後、悠里は不安になる。


「今日、一緒に学校に行こうって約束したよね。先輩、迎えに来てくれるって言ったよね……?」


鞄に入れたスマホを取り出して時間を確認する。

今の時間は9:47。まだ約束の時間には早い。

でも、昨日は早めに待ち合わせ場所に来てくれたので、姿を見せない要に不安が募る。


「先輩、予定が入って約束キャンセルとか……?」


悠里が要からのメッセージを確認しようとしたその時、ものすごい勢いで赤い車が走って来た。


「怖っ。危ないなあ……」


悠里は眉をひそめて呟いた。圭から借りたレースゲームで見たことがある車のような気がする。

赤い車は急ブレーキで郵便局の前に停車した。運転席にいるのは髪が長い女性のようだ。

助手席から誰か降りて来た。制服を着ているその人を見て、悠里は瞬く。

藤ヶ谷先輩……っ!?


「遅くなってごめん……っ」


要は悠里に駆け寄り、謝罪した。

悠里は勢いよく首を横に振る。


「遅くないです。まだ約束の時間じゃないです」


「でも高橋さんは待っていてくれたんだよね。ごめん。ありがとう。昨日も今日も、待っていてくれて嬉しかった」


要はそう言って、目元をやわらげた。マスクがなければ要の笑顔を見られたのに。

でもマスクがあるから、真っ赤になった自分の顔を隠せる。


「じゃあ、行こうか」


「はいっ」


要が歩き出し、悠里がその後に続く。

ふと、要が降りた赤い車に視線を向けると車の側に白いワンピースを着た女性が立っていた。

悠里と目が合うと、彼女は微笑んで手を振った。遠目からでも美人だとわかる。

悠里は少し迷って、彼女に会釈をする。


「先輩。あの人、先輩のお姉さんですか?」


「……母親。どうしてもここまで送るって言い張って、うっとうしいから送ってもらった」


ため息を吐きながら要が言う。

お母さん!? 先輩のお母さん!?

美人過ぎるお母さん……っ!!


「本当、自分勝手なんだ。あの人」


「先輩のお母さん、すごく美人ですね。遠目からでも綺麗だってわかります」


車の運転が乱暴なのは直した方がいいと思うけれど。


「高橋さんが褒めてくれたことは、絶対に言わない。言うと調子に乗るから」


拗ねた様子の要が可愛らしくて、悠里は特別な彼を見つけたようで嬉しくなる。

勇気を出して要の隣に並んでみる。要は悠里を見つめて、歩く速度を緩めてくれた。


「そうだ。今日の9:00ごろに『アルカディアオンライン』のサポートスタッフから電話が来たよ。声紋登録とか初めてだから緊張した」


「私も緊張しました。『アルカディアオンライン』は声でステータス画面を出現させたり、スキルを発動したりするのと本人しかゲーム機を使えないようにするために声紋登録が必要みたいです」


「そうなんだ。じゃあ、声が出せない状態の人は遊べないのかな?」


要の言葉に悠里は瞬く。そんなこと、考えたこともなかった。


「今度、サポートAIさんに聞いてみます。サポートAIさんはゲームのネタバレとかプレイヤーの個人情報を守ることには厳しいんですけど聞けばだいたいのことは教えてくれるんですよ」


「すごいね。俺も会うのが楽しみだな」


悠里と要は『アルカディアオンライン』の話をしながら牧高食堂に向かう。

ゴールデンウィーク中だが住宅街は静かだ。皆、ステイホームを頑張っているのだと思うと、悠里は外出していることが少し後ろめたくなる。

早く、新型コロナが地球上からいなくなればいいのに。


要とお喋りをしながら歩いていると、牧高食堂に到着した。

牧高食堂は昔ながらの食堂で建物には趣がある。初めて来店した客でも、懐かしいと感じる温かい雰囲気が悠里は好きだ。

レトロな雰囲気の食堂とはいえ、出入り口は自動ドアになっている。

父親が子どもの頃は、自動ドアではなく引き戸だったと言っていた。

悠里と要は牧高食堂の中に入る。入り口には手指を消毒するアルコールが置いてある。

店内に二か所ある窓は、一つが広く、一つが狭く開けてあった。


「いらっしゃい!! あら。悠里ちゃんと要くん。今日は制服着てるんだね。学校に行くの?」


牧高食堂の店主の妻、牧高佳代子が悠里と要を迎えてくれた。彼女もきちんとマスクをしている。

要は昨日、初めて接した客だが佳代子はもう顔と名前を一致させ、覚えたようだ。

マスクで顔が隠れていても、顔と名前を間違えない佳代子は本当にすごいと悠里は思う。


「こんにちは。佳代子さん。今日は先輩と部活に行くんです」


そう言った後、このことは内緒にするんだったと思い出した悠里は慌てて店内を見回す。

店内には中年男性と高齢女性の二人だけしかいない。同じ中学校に通う生徒はいないようで、とりあえずほっとした。


「お昼を買いに来てくれたの?」


「はい」


佳代子の問いかけに要が肯く。佳代子は笑顔で口を開いた。


「テイクアウトメニューはいろいろあるけど何にする?」


「私はキンパおにぎりと出汁巻き玉子をお願いします」


「あいよっ。要くんは?」


迷っている要に助け舟を出すために悠里は口を開いた。


「ここはなんでもおいしいですけど、豚の角煮が入ったチャーハンを卵で包んだオムライスとか、味噌味の肉野菜炒めもおいしいですよ。私が頼んだキンパおにぎりと出汁巻き玉子もおすすめですっ」


「じゃあ、今回は高橋さんと同じメニューにしようかな」


「あいよっ。キンパおにぎりと出汁巻き玉子を一人前ずつね」


「あと、味噌味の肉野菜炒め一人前を、半分ずつに分けて入れてもらうことはできますか?」


要の問いかけに、少し考えてから佳代子は肯く。


「半分ずつアルミホイルで包んでパックに入れてあげるよ。今はコロナ禍だから、一つのおかずを二人でつつくのは良くないもんね」


「ありがとうございます」


「すぐに作るわね。座って待ってて。それとも、その辺を散歩してきてもいいけど」


「先輩、どうしましょう?」


「店内で待ってようか。壁のメニューとか見たい」


「わかりました。佳代子さん。店内を見ながら待ってます」


「あいよっ。鞄は適当にテーブルか椅子に置いていいからね」


「はいっ。ありがとうございます」


佳代子は微笑んで肯き、店の奥に姿を消す。

悠里と要は店内に貼り出されたメニューを一つずつ見て回り、お喋りをする。


「お子様ランチってどんな感じなの?」


「鳥のからあげとフライドポテト、ハンバーグ。それからプリンとゼリーがついているんですよ。パンとライスのどちらか選べて、付け合わせの野菜とスープは季節ごとに変わります」


「それは子どもの夢が詰まってる感じだね」


「そうなんです。最初は小学生以下しか頼めなかったんですけど、今は大人でも誰でも頼めます」


「それでも『お子様ランチ』のままなんだね」


「そうなんです。ハンバーグに世界の国々の国旗が刺さってるんですけど、常連客はその写真を撮ってSNSにアップしたりしてますよ。私は全然見たことない国旗ばっかり当たりました」


「日本の国旗はレアとか?」


「そうですね。日の丸なんて見慣れてるのに、牧高食堂のお子様ランチではレアみたいです」


やがて悠里と要が注文したメニューが完成した。

悠里と要はそれぞれに会計をして、キンパおにぎりと出汁巻き玉子が二人前、味噌味の肉野菜炒め一人前が入った紙袋を要が受け取る。


「味噌味の肉野菜炒めはちゃんと半分ずつに分けておいたからね。割り箸も二膳入れておいたから」


悠里と要はそれぞれに、佳代子に礼を言う。礼儀正しい二人に佳代子は明るい笑顔を浮かべて口を開いた。


「こちらこそ、毎度ありがとうございます。また来てね」


笑顔の佳代子に見送られて、悠里と要は店を出た。

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