第七十六話 高橋悠里は支度を終えて家を出る
自室に戻った悠里はスマホを手に取り、自分の写真を撮る。
その写真を添付して『藤ヶ谷先輩と午後二時に駅前で待ち合わせしてるんだけど、髪型どうしたらいいと思う?』と晴菜にメッセージを送った。
「はるちゃん。メッセージ見てくれるかな。直電した方がいいかな……」
悠里は手の中のスマホを見つめて、悩む。
するとスマホが鳴った。晴菜からの直電だ。
「はるちゃん? メッセージ見てくれた?」
「見たから直電したのよ!! 藤ヶ谷先輩と待ち合わせってどういうこと!? いつの間にそんな話になってたの……っ!?」
「えっと、今朝、散歩してたら偶然、藤ヶ谷先輩に会ってね。それでその時に、楽器店に誘ってもらったの」
「なにそれ!! デートじゃない!!」
「デートじゃないよっ。二人きりかどうかもわかんないし」
「とにかくそっちに行くから。あたしが髪、可愛く編み込んであげる」
「はるちゃんに来てもらうのは悪いから、私が行くよ」
「うちに来ておしゃれした恰好をお兄ちゃんに見られたら、ドヤ顔で男心の解説されるかもだけどいいの?」
「嫌です」
「じゃあ、用意できたらすぐに行くから待ってて」
「うん。ありがとう。はるちゃん」
通話を終えた悠里はスマホを机の上に置き、脱ぎ散らかした服を持って一階に向かう。
服を洗濯カゴに入れた後、キッチンに向かった。
キッチンでは母親が洗い物をしていた。
「お母さん。今からはるちゃん来るから、何かお菓子とかない?」
「ピーナッツチョコの大袋とコンソメ味のポテトチップスがあるわよ。お菓子の箱に入ってるから」
母親は悠里を見ずに作業しながら答える。
高橋家では、頂きものの可愛いお菓子の箱を再利用して、家で食べるお菓子を詰め込んでいる。
気がつくと箱は空になっていることが多い。
悠里がお菓子の箱を開けると封が開いたピーナッツチョコの大袋と未開封のコンソメ味のポテトチップスが入っていた。
両方を手に持ち、悠里は自室に向かった。
自室の机の上にお菓子を置き、玄関に向かう。
晴菜をすぐに迎えられるように玄関で待つのだ。
玄関にやってきた悠里はシューズボックスにしまいこんだクリーム色のパンプスを磨きながら晴菜を待つ。
……チャイムが鳴った。
悠里がドアを開けるとトートバッグを下げた晴菜が立っていた。
ラフなTシャツにジーンズを履いている。部屋着のまま、急いで来てくれたようだ。
晴菜は美人でスタイルもいいので、ラフな恰好でもだらしなく見えなくて羨ましい。
「時間ないから、すぐに悠里の部屋に行くよ」
「えっ? まだ時間あるよ。だって待ち合わせは午後二時だもの」
「好きな人との待ち合わせだったら、15分前には待ち合わせ場所にいないとダメ。オンタイム推奨なのはビジネス関係だけだから。お邪魔しますっ」
晴菜は悠里の手を引いて、悠里の部屋に向かう。
悠里の自室に入り、晴菜は悠里を椅子に座らせた。
そして机の上にピンと櫛とゴムを出し、手早く髪を櫛で梳かした後に櫛の柄を使って悠里の髪を器用に編み込んでいく。
両脇を編み込んでゴムで止め、髪の毛をくるりと巻き込んでゴムを隠す。
晴菜は悠里の後ろ頭をスマホで撮影して、写真を見せた。
「こんな感じに仕上がった。可愛くない?」
「すごく可愛い!! はるちゃん。ありがとう……っ」
「どういたしまして」
「今、ジュース持ってくるね。お菓子食べて待ってて」
「そういうのいいから。悠里はデートに集中しなよ」
「デートじゃないもん……」
かっこよくて優しくて、とても美しい音色でアルトサックスを吹く要とデートなんておこがましい。
「バッグはなに持っていくの?」
「あ。えっと、ピンクのハンドバックにしようかなって」
「ああ。あれね。薄いピンク色だから服とも合うね。靴はさっき玄関に出ていたクリーム色のパンプス?」
「うん」
「いいと思う。バッグに持ち物ちゃんと入れた? ハンカチとポケットティッシュ、ポーチとスマホ、それからお財布」
「はるちゃん。うちのお祖母ちゃんみたい……」
悠里は晴菜の勢いに押されながら、バッグにハンカチやポケットティッシュを入れていく。
「あ。そうだ。腕時計をして行こう」
悠里は引き出しにしまいっぱなしになっていた祖父母から贈られた腕時計を箱から出して左腕につける。
晴菜は悠里の頭のてっぺんからつま先までを眺めて、肯いた。
「うん。可愛い。……あ。忘れてた」
晴菜はトートバッグからリップを取り出して悠里に渡す。
「リップをあげる。ドラッグストアに行った時に買ったの。悠里に似合いそうな色だと思って」
「はるちゃん。ありがとう……っ」
「マスク外すことがあるかもしれないでしょ。じゃあ、あたし帰るね。健闘を祈る」
晴菜は手早く片づけてトートバッグを持った。
「はるちゃん。ポテトチップス持っていって。今度なにか奢るからね」
晴菜はコンソメ味のポテトチップスをトートバッグにしまって笑う。
「期待してる。じゃあね」
「そこまで送る」
「いいから。トイレに行って、リップをつけて、マスクをつけてさっさと出かけること。遅刻とか最悪だからね」
晴菜は手を振って、部屋を出て行った。
悠里は晴菜を見送って、手の中のリップを見つめる。
「……つけてこよう」
一回もマスクを外さないかもしれないけれど。
そう思いながら、悠里は洗面所に向かった。
洗面所の鏡を見ながら日焼け止めクリームを塗り、晴菜にもらったリップをつける。
唇がほのかなピンク色に色づく。
はじめてリップをつけて、なんだか少し大人になったような気がする。
悠里はリップを手に持って、リビングに向かった。
サイドボードの上にある不織布マスクの箱から、マスクを一枚取ってつけなければいけない。
リビングでは祖父と祖母が仲良くテレビを見ていた。
「あら。悠里。可愛いわね」
「そう? ありがとう。お祖母ちゃん」
悠里は祖母に礼を言いながら不織布マスクをつけた。
「俺はいつもの悠里の恰好の方が好きだな」
それは着古した服が似合うということだろうか。
祖父に突っ込みたい気持ちを抑えて、悠里は左腕の腕時計を見せた。
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに買ってもらった腕時計をつけていくね」
「使ってくれてありがとう」
笑顔で言う祖母に、今までしまい込んでいてごめんなさいと心の中で謝る。
「暗くなる前に帰ってくるんだぞ」
「うん」
悠里は祖父に肯いてリビングを出た。
トイレに行ってから自室に戻り、バッグの中身を確かめてから肩に掛ける。
今の時間は13:30。ゆっくり歩いても13:45には待ち合わせ場所の駅前に着く。
「もう出よう」
悠里は緊張しながら玄関でパンプスを履く。
そして息を一つ吐き、家を出た。
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