第六十五話 マリー・エドワーズのテイムモンスターは恐怖に震える
ウェインに水を汲んでもらった後、マリーたちは作業室に戻った。
作業台の下の戸棚からまな板と包丁、木のボウルを出して作業台に並べる。
マリーは丸椅子を作業台の前に運び、その上に立った。
そして採取袋からヒール草を取り出して木のボウルに入れる。
「まずはヒール草を軽く洗った方がいいかな?」
「別に洗わなくていいんじゃね? 俺、森に生えてるヒール草とかマナ草をそのままむしって食べるし」
「私と真珠も洗ってないヒール草を食べた……」
「きゅうん……」
「ゲームデータなんだから綺麗とか汚いとかないって。衛生管理とかしなくても平気だよ。井戸から水を汲むの面倒くさいし」
「いいのかな。ゲームだからいいのかなあ……」
「くぅん……」
マリーと真珠はウェインの『ゲームデータなんだから綺麗とか汚いとかないって』理論に押されてヒール草を洗わずに使うことに同意した。
清潔にするためには水が必要で、水汲みはウェインしかできず、ウェインが水を汲むのが面倒くさいというのだからマリーと真珠はウェインに従うしかない。
「とりあえず肉を出して、切り分けるよ」
ウェインはそう言ってアイテムボックスからシルバーフォレストウルフの肉を取り出す。
「きゅうん。くぅん。きゅうん……っ」
「真珠? どうしたの?」
おとなしくしていた真珠が悲しげな泣き声をあげたことに気づいたマリーは丸椅子から飛び下りた。
「わうー。きゅうん。くぅん……っ」
真珠は後ろ足の間に尻尾を挟み、身体を丸めて震えている。
「真珠。具合が悪いの? どこか痛いの?」
マリーは真珠に駆け寄り、床に座り込んで尋ねる。
「真珠。どうかしたのか?」
ウェインは肉を片手に持ち、真珠に歩み寄ろうとした。
「きゅうん!! わうう!! わおーんっ!!」
真珠は怯えた様子で鳴き続け、震えている。
マリーは真珠の背中を撫でながら、口を開いた。
「真珠。ウェインは怖くないよ。友達だよ」
「あー。もしかして、これが原因かも」
ウェインは手に持っていたシルバーフォレストウルフの肉をアイテムボックスに収納する。
真珠は少し落ち着いたようだ。
「真珠はお肉を見て震えちゃったの?」
「わぅん。くぅん……」
「テイムモンスターの真珠にモンスター肉を見せたのは無神経だったかもしれない。料理は俺がやるから、マリーは真珠を連れて作業室を出た方がいい」
「わかった。真珠。作業室を出ようね」
「きゅうん……」
マリーは真珠を抱っこして扉に向かう。
扉の前で真珠を床に下ろしてから扉を開けて、背中で開けた扉を押さえながら、真珠を抱っこする。
そしてマリーは真珠を抱いて、ヤナがいるカウンター前に戻った。
「あら。マリーちゃん。作業は終わったの? お肉は美味しく焼けた?」
カウンターにいたヤナが、真珠を抱っこしたマリーに気づいて声を掛ける。
「真珠がモンスターのお肉を見たら怖くなって混乱しちゃったみたいで……」
「きゅうん……」
真珠は耳をぺたりと頭にくっつけて項垂れる。
「真珠はまだ子犬ですものね。そういうこともあるのかもしれないわね」
ヤナはカウンターを出てマリーと真珠に歩み寄る。
そしてマリーの腕に抱かれた真珠の頭を優しく撫でた。
「真珠は状態異常『恐怖』にかかっているのかもしれないわ。万能薬があれば良かったんだけれど、この前の戦いで全部使い切ってしまったのよ」
「そうなんですか……」
マリーは自分が状態異常『恐怖』にかかった時のことを思い出す。
心が恐怖で塗りつぶされて震えたことを。すごく、すごく怖かった。
「真珠……」
マリーは腕の中の真珠に頬ずりをした。今、真珠はすごく怖い思いをしている。
でも、マリーは真珠を抱きしめることしかできない……。
時間が経てば状態異常『恐怖』が消えることは身をもって知っているけれど、今すぐに真珠を正常な状態にしてあげたい。
そうだ。リープかログアウトをすれば真珠の状態を正常に戻せる。
マリーが、ヤナが目の前にいることも忘れて自分の思いつきを実行しようとしたその時、薬師ギルドの扉が開いた。
「まあ。レーン卿。いらっしゃいませ」
ヤナの高く澄んだソプラノの美声を聞いたマリーは、今、自分と真珠の目の前にヤナがいることに思い至った。
ここでリープやログアウトをするのはまずい。
扉から入って来たのは緋色のローブを着た青年だった。
美しい顔立ちで、特にエメラルドを思わせる緑色の目が印象的だ。
「こんにちは。ヤナさん。約束の時間に遅れていなければよいのですが」
「時間ぴったりですよ。レーン卿。約束は3時ですもの」
「あの、ヤナさん。お客さんが来たみたいだから、私と真珠は」
家に帰ります、と言おうとしたマリーの言葉をヤナが遮る。
「そうだわ。マリーちゃん。真珠のことをレーン卿に見ていただきましょう。そうよ。それがいいわ」
「いえ、そんな、迷惑を掛けるわけには……」
「子どもが遠慮しなくていいのよ。子犬も遠慮をしてはダメ。さあ。皆で応接室に行きましょう」
ヤナにぐいぐい背中を押されて、真珠を抱いたマリーはなし崩しに歩き出す。
助けを求めるように緋色のローブを着た青年を見つめたが、彼は麗しい微笑をたたえて肩を竦めた。
***
若葉月5日 昼(3時00分)=5月4日 11:00
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