第五十三話 マリー・エドワーズは子犬に名前をつける
目を開けると暗かった。マリーはベッドに横たわっていて傍らには温かい子犬が寄り添っている。
部屋には父親のいびきが響いていた。……うるさい。
「くぅん」
「君も起きたの?」
悠里がマリーに憑依したことで子犬も目覚めたようだ。
「おはよう」
マリーは小声で言って、子犬の頭を撫でた。
「あのね。私、君の名前考えたんだよ」
「くぅん?」
「君の名前『真珠』はどうかな?」
マリーは少し緊張しながら子犬に問い掛けた。子犬はマリーの頬を舐める。
「真珠。気に入ってくれたの?」
「わんっ」
真珠の声は部屋に響き、驚いたマリーは自分と真珠に掛け布団をかぶせた。
「きゅうん……」
「お父さんとお母さんが寝ているみたいだから、静かにしようね」
「わん」
「……でも、ベッドで寝てばっかりだと暇だから起きようか」
「わぉん」
マリーは掛け布団を矧いで、足音を立てないように気をつけながらベッドを下りた。そして、子犬の真珠を抱き上げてそっと床に下ろす。そして静かに扉に向かった。
マリーは静かに扉を開けて真珠を外に出すと自分も部屋の外に出て扉をそっと閉めた。
「真珠。静かにできて偉かったね」
「きゅうん」
マリーは身をかがめて真珠の頭を撫でた。真珠は嬉しそうに鳴く。
「じゃあ、一階に行こうか」
「わん」
マリーは段差の大きい階段を慎重に下りた。真珠は軽やかにマリーの後に続く。
一階に到着した。カウンターには祖父がいた。
「マリー。起きたのか」
「うん。お祖父ちゃん、お仕事お疲れさま」
『銀のうさぎ亭』は家族経営で昼夜問わず、家族の誰かは働いている。食堂は朝と夜は宿泊客だけが利用して、昼は宿泊客だけでなく一般の客も受け入れている。
「真夜中なのに、マリーは眠くないのか?」
「友達と遊んだ後に真珠と一緒にいっぱい寝たから、眠くないよ」
マリーは足元にいる真珠を抱き上げて、祖父に見せた。
「それがマリーがテイムしたっていう子犬か。シンジュっていうのが名前か?」
「そうだよ。この子が綺麗な白い毛並みだから真珠ってつけたの」
マリーがそう言うと祖父は首を傾げた。
「シンジュってのは白い物なのか。俺は聞いたことねえな」
祖父の言葉を聞いて、マリーは瞬いた。
NPCは日本語を話し、日本式の文化をもっているけれど、リアル日本人や日本に住む人たちが持つ常識や知識をすべて備えているわけではないようだ。
「白くて丸くて綺麗な宝石なんだよ。二枚貝の中にあるんだって」
「そうなのか。マリーは物知りだな。お客さんから聞いたのか?」
「うん」
マリーは曖昧に笑って肯いた。プレイヤー特有の知識だとは言えない。
「わぅんっ」
真珠はマリーの腕の中から飛び出して、床に着地した。
「もう従魔登録は済ませたのか?」
「じゅうまとうろく?」
「そうだ。テイムモンスターは狩人ギルドで登録する決まりなんだ」
「そうなの? 知らなかった」
「マリーが眠くないなら、今から狩人ギルドに行くか」
「私、まだ寝巻だけど……」
「寝巻でも普段着でも子どもはそんなに変わんねえだろ」
今から着替えに行くと、寝ている両親を起こしてしまうかもしれない。
マリーは5歳だし、寝巻でも、見かけはものすごくシンプルなワンピースに見えなくもない。マリーは寝巻のまま出かけることに納得した。
「狩人ギルドって夜でもやってるの?」
「狩人ギルドは一日中開いているギルドだ。『銀のうさぎ亭』と一緒だな」
祖父は軽く笑って、カウンターの奥に声を掛けた。奥から祖母が姿を現す。
「あら。マリー。起きたのね。お腹は空いてない?」
「うん。大丈夫。私、これからお祖父ちゃんと真珠と狩人ギルドに行くの」
「そうなの。着替えずに行くの?」
「うん」
「今夜は寒くねえし、マリーは子どもだからこのままで大丈夫だろ」
祖父の大雑把な言葉に、祖母が苦笑する。
採取袋は部屋に置いたままだけれど、狩人ギルドのギルドカードはアイテムボックスにしまってある。祖父は無造作に財布をズボンの尻ポケットに突っ込み、カウンターを出た。
「マリー。行くぞ」
「うん」
マリーは祖父に肯き、真珠を抱き上げた。
「シンジュは俺が抱いていこうか?」
「大丈夫。真珠は私のテイムモンスターだから、私が抱っこするの」
「きゅうん」
真珠は青い目を細めて耳をぺたんとくっつけ、マリーの胸に顔をすり寄せる。
祖父はマリーと子犬の様子を見て微笑み、口を開いた。
「じゃあ、俺がマリーと真珠を抱いて行こう」
太く逞しい腕で真珠を抱いたマリーを抱き上げて、祖父は笑った。
そして、祖父はカウンターにいる祖母に視線を向ける。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってきます。お祖母ちゃん」
「わぉんっ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
祖母に見送られ、マリーと真珠を抱いた祖父は扉を開けて外に出た。
***
若葉月4日 真夜中(6時13分)=5月4日 8:13
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