【『装備』についての話】第四十三話 マリー・エドワーズは身支度を整える



マリーは目を開けた。見慣れた部屋の天井が視界に入りほっとする。

部屋にはマリーだけしかいない。少し開いた窓の隙間から入る風でカーテンが優しく揺れている。窓の外には青空が広がっていた。

圭が計算を間違えて、夜や真夜中の時間帯だったらどうしようと少し不安だったのだが、明るい時間帯にログインできたようだ。

父親にベッドに横たえられた時は木靴を脱いだだけで寝巻ではなかったはずだが、今のマリーは寝巻を着ていた。

マリーは着替えるためにベッドから下りた。

いつ、圭……ではなくウェインが迎えに来てくれてもいいように着替えて一階で待っていたい。

洋服ダンスを開けると、洋服が綺麗に並べられていた。

母親か祖母が持ち出した服を片づけてくれたのだろう。

祖母と薬師ギルドに出かける時に着た、お気に入りのワンピースもあった。嬉しい。

今日はこのワンピースを着よう。

マリーは寝巻を脱いでワンピースに着替えた。

リアルでも着替えて、ゲームでも着替えて。

……なんだか不思議だ。

ワンピースを着たマリーは部屋を見回し、マリーの机の上に採取袋が置かれているのを見つけた。

マリーは机に歩み寄り、採取袋を手に取る。採取袋の中に採取ナイフが入っているのを確認してから、腰に巻いた。


「あ。そうだ。バッジをつけよう」


マリーはステータス画面を表示させて、ワールドクエストポイントで交換した『勇気のバッジ』をアイテムボックスから取り出す。


「このバッジをつけたらLUC値が10上がるんだよね」


カタログのグラフィックを見た時も可愛いと思ったけれど、実物を手にするとさらに良い感じでマリーは嬉しくなる。

ワンピースと採取袋のどちらにバッジをつけようか悩んだがワンピースにつけることにした。


「『勇気のバッジ』の説明文に『バッジを外せば穴がふさがるので高価な服やお気に入りの帽子につけても大丈夫!!』って書いてあったから、ワンピースにつけても大丈夫なはず」


……でも、ゲームのバグとかで、ワンピースに穴が開いてしまったら嫌だな。

マリーは少し考えて、ワンピースの内側の袖に、試しにバッジの針を刺してみることにした。


「……」


マリーはワンピースの内側の袖におそるおそる針を刺して引き抜く。


「穴、ちゃんと塞がっていく。よかった」


マリーは針を抜いた直後に穴が塞がっていく様子を見て、笑みをこぼした。

穴が開いたままだったら、サポートAIを通して運営にバグ報告をしなければいけないところだった。

ゲームにバグは付き物だと言っても、説明文を信じて裏切られるのは悲しい。

お気に入りのワンピースに穴が開かないことを確認したマリーは安心して右胸に勇気のバッジをつけた。


「ステータス。……あ。本当にLUC値が10上がってる。嬉しい」


マリーはステータス画面を消して、手櫛で髪を整える。

寝起きのマリーの髪はふわふわで手触りが良く、毛先までするりと指が通った。

ブラシで梳かさなくてもこの手触り。さすがゲーム。

さすが美少女。プレイヤーキャラは排せつしないというのも清潔感を高める効果があると悠里は思う。

部屋に鏡がないから、身支度の確認ができないのが残念だけれどとりあえず、これでいいだろう。

顔を洗っていないけれど、リアルとは違って目ヤニがついているわけでもなく、毛穴や肌が汚れているわけでもない。問題ない。

部屋を出ようとしたマリーは、寝巻を脱ぎすててそのままにしていたことに気づいた。

寝巻を畳んでベッドの上に置く。そういえば、アイテムボックスにも脱いだ寝巻を入れっぱなしにしていた。


「ステータス」


マリーはステータス画面のアイテムボックスから寝巻を取り出した。

不滅の腕輪の側に現れた寝巻は綺麗に畳まれていたが、しわが残っている。マリーが乱雑に脱ぎすてて放り投げた時の状態がそのまま維持されていたようだ。設定が細かい。

マリーはアイテムボックスから取り出した寝巻をさっき畳んだ寝巻の上に重ねた。そしてステータス画面を消す。

部屋を見回し、マリーは小さく肯く。やり残したことはないはずだ。

マリーは一階へと向かった。


段差の大きい階段を下り、一階にたどり着く。

カウンターには母がいた。泥棒に入られる前に置かれていた花が活けられていた花瓶はなく、入り口に掛かっていた小さな絵もない。


「おはよう。マリー。よく眠っていたわね」


「おはよう。お母さん。泥棒は捕まった?」


「まだ捕まったという報告はないわ。うち以外にも、たくさん被害に遭っていたようだから、兵士さんが頑張って捕まえてくれると思う」


プレイヤーが犯人だった場合は捕まえても死に戻りで脱獄してしまうだろうし、死罪になっても教会に死に戻るだけで、罰にはならない。悔しい。

でも『アルカディアオンライン』はプレイヤーの悪役ロールを認める方針だから、悔しくても我慢するしかない。

すべてのプレイヤーが主役でチートな世界観なのだと思う。

誰か一人だけの、すごく運が良いプレイヤーだけがチートというより、プレイヤー全員がチートの方が悠里は嬉しい。

自分もチートで、皆もチート。

そういう風に感じられるのは、プレイヤーがNPCよりも圧倒的に恵まれた能力値やスキルを得られるからだ。


「ずっと寝ていたから、お腹が空いたでしょう? ご飯を食べて」


ご飯……。硬くてパサついている黒パンと素朴すぎる塩味のスープをまた出されるのだろうか。

リアルで、生きるために食べる物に対して味がどうのこうのいうのはすごくわがままで贅沢なことだと思うけれど、これはゲームだ。

おいしくないパンを食べても悠里の身体に栄養素が行き渡るということはない。……食べたくない。

でも、微笑みを浮かべて肉を挟んだ黒パンを乗せた木皿をカウンターに置く母親に「食べたくない」とは言えず、マリーは渋々とカウンターに置かれた椅子に座った。


「今、ミルクを持ってくるわね」


母親がカウンターの奥に姿を消す。マリーは少し迷った末に木皿にある肉を挟んだ黒パンを腕輪に触れさせてアイテムボックスにしまった。

ミルクを入れた木のコップを持って戻って来た母親が、空になった木皿を見て目を丸くする。


「マリー。もう食べ終わったの?」


「うん。すごくお腹が空いていたから食べちゃった」


マリーは笑顔で嘘を吐いた。心の中で母親に謝罪する。


「そうなの。……あら。可愛いバッジをつけているのね。お祖父ちゃんかお祖母ちゃんに買ってもらったの?」


「えっと、起きたら部屋にあったの。きっと、私がいろいろ頑張ったから神様がくれたんだと思う」


マリーは視線を彷徨わせながら、適当な言いわけを口にした。


「……泥棒が落としたのかしら」


母親の小さな呟きを拾って、マリーは心の中でまた詫びた。

嘘ばかり吐いてごめんなさい。このバッジはワールドクエストの報酬です。

マリーは気まずい気持ちをごまかすために、母親が持ってきてくれたミルク入りのコップを口にする。

北海道のしぼりたての牛乳的なおいしさを期待したけれど、特においしさを感じないぬるい牛乳だった。

『銀のうさぎ亭』のメシマズ事情をなんとか改善しなければという決意を新たに、マリーはコップをカウンターに置いた。

母親には申し訳ないけれど、これ以上ミルクを飲もうと思えない。


「すみません」


宿屋の扉が開いたことに気づいて、マリーは椅子から立ち上がる。


「マリー?」


マリーと視線を合わせた黒髪、黒目の少年を見て悠里は息を呑んだ。

彼の切れ長の目と端正な顔立ちが、吹奏楽部の二年生、藤ヶ谷要に似ている。


「マリーだよな?」


「あ、うん。そうだよ。ウェインだよね?」


「うん。約束通り、迎えに来たよ」


ウェインが微笑んで、言う。

彼と話していると、要と話しているような気がして悠里はときめいた。

吹奏楽部の部活紹介で、銀色のアルトサックスを吹く要に憧れて悠里は吹奏楽部に入部したのだ。


「マリー。お友達?」


カウンターの中にいる母親に問い掛けられて、マリーは肯く。


「はじめまして。ウェインです。10歳だけど『狩人ギルド』のランクCギルド員です」


ウェインはそう言って、鞄からギルドカードを取り出した。

そしてマリーの母親に見えるようにカウンターに置く。


「まあ。本当に? うちのお祖父ちゃんと同じ。小さいのにすごく強いのねえ」


「はい。だから、マリーのことはちゃんと守ります。一緒に出かけてもいいですか?」


「いい子にするから、ウェインと一緒に出かけてもいいよね?」


母親は少し考えて、肯いた。そしてカウンターに置かれた狩人ギルドのギルドカードをウェインに返す。


「ウェインくん。マリーをよろしくお願いします。マリー。ウェインくんに迷惑をかけないようにね」


「はあい!!」


マリーは元気よく返事をする。ウェインは狩人ギルドのギルドカードを受け取り、鞄にしまった。


「マリー。行こうか」


「うん!!」


ウェインは少し迷った素振りを見せた後、マリーに手を差し伸べた。5歳の幼女とは手をつないだ方が安心だと思ったのかもしれない。

マリーは素直にウェインの手を握った。

悠里はまるで要と手を繋いでいるみたいだと思った。


***


『アルカディアオンライン』の装備品や装飾品はゲーム制作スタッフが想定した『装備』をした場合に効力を発揮する。

アイテムボックスに収納している状態では装備品や装飾品の効果はない。

「直接身につける」「身につけた帽子や鞄につける」「指輪を鎖に通して首に掛ける」「指輪を指に重ねづけする」ということは有効とされている。


Sランクの装備品・装飾品は所持したプレイヤーの体格等に合わせて変化するがAランク以下の装備品・装飾品は基本的には作られた時のまま変化しない。

指が太ければ指輪は入らず、指が細ければ指輪が抜け落ちて紛失することがある。

そのため、自分の体格にあった装備品や装飾品に作り直す必要があり、鍛冶師や細工師等の需要がある。



若葉月4日 朝(2時25分)=5月4日 4:25

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