第三十七話 マリー・エドワーズは巨大魔方陣を起動させたい



薬師ギルドを出て人波の中を黙々と歩き続けたマリーは、なんとか無事に高台の領主館前にたどり着いた。

母親と祖母も一緒だ。誰一人、はぐれなくてよかった。


「……」


マリーは人であふれる領主館前を見回す。

見回しても、小さなマリーの視界には大人の足しか見えない。

父親と祖父は、来ているだろうか。無事だろうか。


「静かに!! 話を聞いてくれ!!」


集まった人のざわめきを縫って、緊迫した声が聞こえた。


「魔力操作が使える者は、領主館の屋上へ!! 一人でも多くの協力が必要だ……!!」


やがて集まった人たちは左右に分かれ、中央に通り道ができた。


「魔力操作が使える者は、防御魔方陣の起動に力を貸してくれ!!」


男の声が必死に訴えている。マリーは祖母を見上げた。


「お母さん。お祖母ちゃん。私も魔力操作を使えるよ」


「そうなの? マリー。いつの間に……」


「それじゃ、一緒に行きましょう」


祖母は荷物を母親に預けて、マリーに手を差し伸べる。

マリーは祖母の手をぎゅっと握った。


「ハンナはここにいて。ジョンとマークスと合流できたら、私とマリーは無事だと伝えてちょうだい」


「わかったわ」


「お母さん。頑張ってくるね!!」


「行ってらっしゃい。マリー」


マリーと祖母は母親に見送られ、中央の道を進む。

領主館は四階建ての壮麗な館だった。

白地に赤いラインが入った制服を着た男に先導され、魔力操作が使える者たちは館の中に入っていく。


「すごい。絨毯がふかふか」


マリーは木靴が絨毯に埋まるような感触に驚きながら、歩いている。

テレビで見たレットカーペットはこんな歩き心地なのかもしれない。

繊細な彫刻がほどこされた手すりに触らないように気をつけながら、マリーは祖母に手を引かれて階段を上る。

エレベーターかエスカレーターが欲しい。

歩き続けた上に、階段を上り続けて疲れていた。

ステータス画面を見たら『状態:疲労』になっているのではないだろうか。


やっと屋上にたどりついたマリーは息を弾ませ、あたりを見回す。

そこは広大な空間で、巨大な魔方陣が描かれていた。

空が近く感じる。街や海が一望できた。

平時なら、歓声をあげていただろう。

隅の方には、魔術師らしきローブを着た者たちが、死屍累々と横たわっている。

……死んでいるわけじゃないよね?


「魔方陣に触れて、魔力操作を発動させて魔力を流し込んでほしい」


マリーたちを案内してきた男がそう言い、人々を魔方陣へと誘導する。


「くれぐれも、魔力枯渇には注意するように。魔力回復薬は限られた本数しか用意できていない」


男の言葉を聞いたマリーは、こっそりとステータス画面を呼び出してアイテムボックスからザルに入ったマナ草を取り出す。


「マリー。マナ草を持ってきていたの?」


「うん。私、神様にたくさん物をしまえる魔法を貰ったの。内緒ね」


マリーは祖母に小声で言って、ザルに入ったマナ草を半分渡した。

そして、魔方陣に触れて魔力操作を発動させた。

ステータス画面を見ながら、MPが0になるたびにマナ草を食べて回復する。

マナ草を15枚ほど食べたところで、マリーの分のマナ草は残り1枚になった。

現在の最大MP値は18になっていた。

念のため、1枚だけとっておこう。マリーはマナ草をアイテムボックスに収納した。


「ダメよ。とても足りない。間に合わないわ」


マリーと祖母の後方で作業をしていた女の言葉が、耳につく。


「諦めるな。まだ、時間はあるはずだ」


弱音を吐く女を、男が叱咤している。

マリーは話をしている彼らに、こっそり視線を向けた。

二人とも魔術師らしきローブを身に着けている。

双方、顔色が悪かった。


「本来、この巨大魔方陣は魔術師ギルドに所属する総員で起動させるものよ。

でも、卑怯者たちは街が襲われるかもしれないと知って、勝手に転移魔方陣を使って逃げてしまった」


転移魔方陣!!

ぼったくり聖職者が使ったと言っていた魔方陣だろうか。

勝手に使えるの!? もしかして無料で使えたりするの!?


「あの。すみません」


マリーと同様に話を聞いていたのか、祖母が魔術師らしき男女に声を掛けた。


「これ、乾燥したマナ草です。お疲れのようなので、どうぞ」


祖母が乾燥したマナ草が入った木のザルを二人に差し出す。

彼らは祖母の言葉を聞いて、一瞬、泣きそうな顔をした。


「ありがとうございます……」


「お気遣い、感謝します」


そっと手を伸ばし、二人はそれぞれに1枚だけマナ草を手に取る。


「1枚頂ければ、十分です。本当にありがとうございます」


「あとは、しまっておいてください。何があるかわからないから」


「それなら、どうぞ全部使ってください。あなたたちは魔術師さんでしょう? きっと、人助けの力になりますから……」


祖母がそう言うと、女の頬を涙が伝う。


「すみません。本当にごめんなさい。私たちがこの魔方陣を起動できたら、街を守ることが出来るのに。モンスターからも、大波からも……っ」


「泣くなよ。エイラ。今は泣く時じゃないだろう? 最後まで諦めるな」


「そうね。ビル。頑張らなくちゃ……っ」


エイラは涙を拭いて、乾燥したマナ草を口にした。

二人の話から考えると、今、この巨大な魔方陣を起動するには魔力が足りない。

魔力が足りないのなら、補えばいい。

プレイヤーなら、魔力操作が使える者が多くいるだろう。

魔力の回復手段がなく、魔力枯渇になってもプレイヤーなら教会に死に戻るだけだ。

プレイヤーに協力を頼もう……!!

マリーは名案を思いついたと思った直後、自分にはゲーム内にフレンドが一人もいない事実に気がついた。

誰も助けを呼べない。誰にも頼れない……!!

今まで、一人のプレイヤーともフレンドにならなかったことを強く後悔する。

周囲を見渡しても、腕輪をつけているのはマリーだけしかいないようだ。

せめて、幼なじみの圭とだけでもフレンドになっていれば……!!

そう思った時、リアルに戻れば、圭に連絡を取ることができると気がついた。


「お祖母ちゃん。私、疲れたからちょっと寝るね」


マリーはそう言って膝を抱えて蹲る。

そして小さな声で言った。


「ログアウト」


悠里は自室のベッドの上で目を開けた。

無事にログアウトできたようだ。


「急がなくちゃ……っ」


早くしないと、津波が来てしまうかもしれない。

悠里はヘッドギアをとってベッドから下り、スマホを手にする。

電話を掛ける相手は、圭の妹の晴菜だ。圭は今、ゲーム中かもしれないから。


「はるちゃん。お願い。電話に出て……っ」


コール音を聞きながら、祈るような思いでいると「悠里?」という晴菜の声がした。


「はるちゃん。圭くんいる!? 『アルカディアオンライン』のことで緊急の話があるの……!!」


「わかった。呼んでくるからちょっと待ってて」


晴菜がそう言って少しした後、スマホの向こうから圭の声が聞こえた。


「いやもう本当、今、レイドボス倒せそうなところだったんだぞ!!」


「お兄ちゃん。『アルカディアオンライン』のことで緊急だって。悠里から」


「マジか。悠里? どうした?」


「あのね。今、私の主人公が港町アヴィラの高台にある領主館にいるんだけど」


「マジか。悠里もワールドクエストに参加していたんだな」


「そうなの。それでね、今、領主館の屋上にある巨大な魔方陣を起動させようとしているんだけど、魔力が足りないの」


「マジか!! 重要イベントだな。そっちにプレイヤーいないのか?」


「うん。見た限り、NPCばっかり。だから、プレイヤーに来てほしくて。でも、私、フレンドが一人もいなくて……」


「マジか。今度ゲーム内で会って、俺とフレンド登録しようぜ」


「よろしくお願いします。本当、フレンドって必要なんだなあって今回、身に沁みたよ……」


「すぐにゲームに戻って、フレンドに一斉メッセ送信しておくから」


「ありがとう。頼りにしてる」


「任せとけ。悠里もゲーム頑張れよ。じゃあ、晴菜に代わる」


「話終わった?」


圭からスマホを受け取った晴菜が言う。


「うん。ありがとう。はるちゃん」


「じゃあ、切るね。ゲーム頑張って」


晴菜は電話を切った。悠里はスマホを机に置き、電源をつけっぱなしにしていたヘッドギアをつけてベッドに横たわった。目を閉じる。


「『アルカディアオンライン』を開始します」


サポートAIの声がした直後、悠里の意識は暗転した。


「プレイヤーの意識の定着を確認しました。『アルカディアオンライン』転送の間へようこそ。プレイヤーNO178549。高橋悠里様」


「こんにちは。サポートAIさん。私、急いでいるからもう行くね!!」


「行ってらっしゃい。高橋悠里様。素敵なゲームライフをお送りください」


サポートAIの声を聞きながら、悠里は鏡の中に入っていく。


***


魔方陣は『魔』『方陣』なので『魔法陣』の誤字ではないです。

どうぞよろしくお願いします。


若葉月2日 朝(2時40分)=5月3日 15:40

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