第三十二話 高橋悠里は強制ログアウトを体験する
悠里が目を開けると、祖父の顔が目の前にあった。
お祖父ちゃん? なんで?
悠里は状況が呑み込めなくて、混乱した。
「悠里、起きたか。カレーができたぞ」
「……え?」
カレー?
意味がつかめずに瞬く悠里に、祖父は呆れた顔をした。
「なんだ。まだ寝ぼけてるのか?」
「……もしかしてお祖父ちゃん、私の身体を揺すった?」
「揺すったぞ。呼んでも起きなかったからな」
悠里はさっき、サポートAIが『強制ログアウト』と言っていたことを思い出す。
祖父が悠里の身体を揺すったことが原因だろうか。
「カレーが冷めるから、早くダイニングに来いよ」
祖父はそう言って、悠里の部屋を出て行った。
「初強制ログアウト体験しちゃったよ……」
身体に痛みや異常は無さそうだ。
そういえば幼なじみで『アルカディアオンライン』の先輩プレイヤーである松本圭も、妹の晴菜に強制ログアウトされていた。
「強制ログアウトされた圭くん、すごく元気そうだったら大丈夫だよね」
悠里は横たわっていたベッドから起き上がり、ヘッドギアを外して電源を切る。
それからゲーム機の電源を切った。
ヘッドギアとゲームをつなぐコードはそのままにしておく。
「ちょっと身体が強張ってる気がする……」
ゲームの中でマリーは活動的に動いたけれど、リアルの悠里はベッドでずっと横になっていた。
身体が少し強張ってしまっても仕方が無いのかもしれない。
悠里は大きく伸びをして、屈伸を三回した後、カレーを食べるために自室を出た。
一階に向かうために階段を下りていると、カレーの香りが漂って来た。
悠里は階段の残り5段を小走りで駆け下り、ダイニングに向かう。
ダイニングには悠里以外の家族が、全員揃っていた。
両親と祖父母が、8人掛けの大きなテーブルの席にそれぞれ座っている。
ゴールデンウィークの最中なので、父親も仕事が休みだ。
家族はそれぞれに、カレーを食べ始めていた。
高橋家の家訓は『熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに』というもので、それぞれ、料理が出された順に食べ始めるのが習慣になっている。
悠里の席には空の平皿と小鉢に入ったサラダ、銀のスプーンと赤い箸が置かれている。
悠里は平皿を手に取り、ご飯をよそうために炊飯器に向かった。
「炊き立てごはんだから、たくさん食べなさい」
サラダの小鉢を手に取りながら、母親が声を掛けて来た。
炊飯器の蓋を開けると、白いご飯の甘い香りが悠里の鼻腔をくすぐる。
悠里は少し迷った末に、いつもより少し少ない量のご飯を平皿に盛る。
それから、カレーが入った大鍋の前に立ち、出来立ての熱が残っているカレーをたっぷりと白いご飯の上に盛った。
今日のカレーは、鶏肉のから揚げ用の肉を大量にごろごろ入れてニンジンと玉ねぎ、じゃがいも加えて市販のルーを入れたものだ。
高橋家にはカレーの辛さやルーの種類にこだわりはなく、スーパーで安く売られているものを適当に買っている。
悠里はどの辛さのカレーを食べても、どのカレーのルーで出来たカレーを食べても美味しいと思う。
平皿にご飯とカレーをよそい終えた悠里はダイニングに戻り、席に着いた。
カレーの皿をテーブルに置き、両手を合わせる。
「いただきます」
「召し上がれ」
「なんだ。悠里はそれしか食べないのか」
召し上がれ、と言った母親に続いて悠里のカレー皿を見た父親が言う。
「お昼ご飯を食べた後すぐにゲームで遊びたいから、腹八分目にするの」
「またゲームで遊ぶの? 午前中、ずっと遊んでいたんでしょう?」
悠里の言葉を聞いた祖母が、眉をひそめた。
祖母は休日でも、家から一歩も出なくても、きちんとメイクをしている。
「だって、友だちとは遊べないし、どこにも出かけられないし……」
悠里がしゅんとして俯くと、祖母はため息を吐いた。
「休憩しながら遊びなさいね」
祖母は、結局は悠里に甘い。
悠里は笑顔で肯いた。
それから、にんじんのドレッシングをサラダに掛けて、レタスを一口。
そして、カレーの中にあるごろっとした鶏肉をスプーンに乗せて
かぶりつく。
鶏肉はやわらかく、口の中でほろっとほどけた。
……辛い。
「お母さん、麦茶ある?」
「さっき作っておいたわよ。冷まして、冷蔵庫に入れてある」
母の言葉を聞いた悠里が席を立つと、父が口を開いた。
「悠里。お父さんにも麦茶」
「俺にも頼む」
「お母さんとお祖母ちゃんの分もお願いね」
結局、自分を含めた家族全員分の麦茶を用意することになった悠里は冷蔵庫に向かった。
5人分の麦茶が入ったグラスをトレイに乗せてテーブルに戻る。
「ありがとう」
悠里が家族それぞれに麦茶を配ると、口々に礼を言われた。
「どういたしまして」
悠里は自分の分の麦茶をテーブルに置くと、トレイを空いている椅子の上に置いた。
麦茶を飲みながらカレーを食べ、サラダで口直しをする。
父親が食べ終え、祖父が食べ終え、その後で祖母が食べ終えた。
それぞれに「ごちそうさま」の挨拶をして、自分が食べた食器を台所に運ぶ。
母親の皿には、まだ三分の一ほどカレーが残っている。
食べるのが遅いのだ。
後から食べ始めた悠里の方が、母親より早く食事を終えた。
「ごちそうさまでした。おいしかった。すごく」
悠里は手を合わせて挨拶をした後、真剣な表情で母親に言う。
「いつもと同じカレーでしょ? どうしたの。急に」
高橋家のカレーはいつも味が違うが、それも含めて『いつもの味』だ。
「お母さん。私、スパイスって偉大なんだなあって気づいたの」
『アルカディアオンライン』で食べた、ぱさついて硬い黒パンと塩味のスープの味を思い出しながらしみじみと悠里は言った。
「そうねえ。それにカレーって、何を入れてもおいしくなるわよね」
「そうそう」
「でもね。カレーが出来上がるまでには、材料を買ってきて野菜の皮を剥いて切るという面倒くさい行程が必要なのよ」
「面倒っていっても、うちのカレーは手抜きっぽくない? だって野菜を炒めるって工程をいつも省いているでしょ?」
「野菜を炒める工程を入れると、フライパンを洗わなくちゃいけなくなるの」
「手抜きカレーでもおいしいからいいけど」
「あーあ。食器洗い、面倒くさい。なんでご飯作ったのに洗い物までしなきゃいけないのかわからない」
「私が洗うよ。お母さんはゆっくりしてて」
「あらそう? ありがとう!! 持つべきものはお手伝いをしてくれる娘ね」
母親は上機嫌になり、再びカレーを食べ始める。
悠里は自分の分の食器を持って、キッチンの流し台へと向かった。
キッチンの流し台には二人分の汚れた食器が置いてある。
一人分の食器が洗って洗いかごにあった。たぶん、祖母だろう。
悠里は運んできた自分の分の食器から洗うことにした。
キッチンペーパーを手に取り、平皿に重ねたサラダの小鉢をひっくり返して底を拭き、そして小鉢を洗う。
小鉢を洗い終えると水を止め、洗いかごに小鉢を入れた。
母親は、食器洗いの時に水を出しっぱなしにするけれど、祖母は洗い終えるたびに水を止める。
悠里が食器を洗っていると、食事を終えた母親が食器をトレイに乗せてもってきた。
麦茶を運び、その後、椅子に置きっぱなしにしていたトレイだ。
「トレイで運ぶと食器を重ねずに済むから、洗う面積が少なくなっていいんだけどいちいちトレイを持ってくるのが面倒くさいのよね」
母親はそう言いながら、汚れた食器を悠里に渡す。
『楽をする』という道は険しい。
「晩ご飯は、残ったカレーでカレーうどんにするから。異論は認めません」
「了解です」
「じゃあ、食器洗いよろしくね」
トレイを片づけた母親は悠里の肩を軽く叩き、キッチンを出て行った。
「『アルカディアオンライン』って水道とかあるのかなあ」
一人になった悠里は食器を洗いながら、呟く。
早く洗い物を終わらせて、ゲームで遊ぼう。
洗い物を終えた悠里は歯磨きをしてトイレに行ってから、意気揚々と自室に向かう。
ゲームを始める前に軽くストレッチしようと思い立ち、屈伸を三回した後、悠里はヘッドギアとゲーム機の電源を入れた。
そしてヘッドギアをつけてベッドに横になり、目を閉じる。
「『アルカディアオンライン』を開始します」
サポートAIの声がした直後、悠里の意識は暗転した。
***
若葉月1日 真夜中(6時30分)=5月3日 13:30
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます