第六話 高橋悠里は『転送の間』に降り立つ

気がつくと、悠里は床の上に横たわっていた。


「ここ、どこ……?」


起き上がり、あたりを見回す。

広々とした白い部屋に、大きな姿見の鏡だけが置いてある。

悠里の他に、人影は無いようだ。


「……」


悠里は立ち上がり、姿見の鏡に近づいた。

鏡には、悠里の姿が映っている。

毛玉だらけのトレーナに、小学生の頃から履いているジャージ姿で、靴下はよれよれだ。

ゲームを始める時の、悠里の姿がそのまま鏡に映っている。


「ひどい恰好……」


寝っ転がってゲームで遊ぶのだし、自室にこもって人に会わないのだからと寝起きのままだった。


髪をブラシで梳かさなかったのでボサボサだ。


「まさか、この恰好でゲームが始まるの? ダメ!! 無理!!」


ちゃんと髪を梳かせばよかった!!

もっと可愛い洋服を着ればよかった!!

そう。たとえば、小学校の卒業式の時に着た、クリーム色のワンピースとか……。

強くそう思った瞬間、姿見の鏡の中の悠里は、クリーム色のワンピースを着ていた。

ポニーテールに結い上げた髪には、白いリボンが揺れている。


「私、着替えたの……?」


鏡ではなく自分の姿を眺めながら、呆然と悠里が呟いた直後。


「プレイヤーの意識の定着を確認しました。『アルカディアオンライン』転送の間へようこそ。プレイヤーNO178549。高橋悠里様」


「誰……?」


ボーカロイドのような声だけが部屋に響く。

不安になって、周囲を見回しながら悠里は問いかけた。


「ワタシは『アルカディアオンライン』のプレイヤーをサポートするために作られたサポートAIです。姿はありません。どうぞよろしくお願いします」


「あ……。こちらこそ、よろしくお願いします……」


混乱しながらも、悠里は挨拶を返した。

挨拶は人間関係の基本、と祖母に教えられている。


「ご丁寧にありがとうございます。アナタはワタシに挨拶を返してくれた178人目のプレイヤーです」


「プレイヤー総数って、何人なんですか?」


「さきほどまでは178549名でした。現在は189512名です。時間が経過するごとに、さらに増えると思われます」


「十万人以上いて、サポートAIさんに挨拶したのって178人だけなの!?」


「左様です。多くのプレイヤーは『さっさとゲームを始めさせろ』と言って主人公の選択に入りました」


「お疲れさまです……」


「恐れ入ります」


「あの、このゲームのことをいろいろ教えてもらえますか? 私、グラフィックと基本無料っていうことだけしか確認していなくて……」


「かしこまりました。では『アルカディアオンライン』の特徴を申し上げます」


「お願いします」


「『アルカディアオンライン』には『プレイヤーレベル』と二種類の『善行値』が存在します」


「『プレイヤーレベル』というのは、主人公のレベルっていうことですか?」


「いいえ。プレイヤーである高橋悠里様のレベルです」


「私のレベル……?」


「一般的なVRMMOは、プレイヤーが自分の分身となるキャラクターを創作します。たとえば種族を選び、性別を選び、グラフィックを選ぶ……という形であることが多いようです。ここまでは宜しいですか?」


「はい」


「一方、本作品は、多数存在するNPCの中から『プレイヤーキャラ』となる人物を選んで『主人公』にします。高橋悠里様は、プレイヤーとして主人公に『憑依』するという形になります」


「たとえばお姫様のキャラを選んだら、元から設定されている名前と容姿のキャラとしてゲーム内でプレイを始めるっていうこと?」


「その通りです。ゲーム開始時、高橋悠里様はご自身の記憶と、憑依前のNPCの記憶の両方をもつことになります」


「うーん。よくわからないです……」


「ゲームをプレイしていただければ理解していただけると思います。

説明を続けますね」


「お願いします」


「本作品は、特定の条件を満たすと『転生』することができます。最初に選んだキャラクターとは別のキャラクターを選べるのです」


「ゲームの途中で主人公キャラを変えられるの?」


「左様です。転生すると、転生前の主人公のレベルは転生後の主人公のレベルに移行しますが、プレイヤーである高橋悠里様のレベルはそのまま引き継がれます。これが『プレイヤーレベル』です。ご理解いただけましたか?」


「なんとなく……」


「それでは先に進みましょう。次に二種類の『善行値』についてご説明します」


「ぜんこうち……」


「『善行値』の『善行』というのは、ゲーム制作スタッフが設定した『善い行い』に相当する行為のことです。一般的な善行とは意味が異なることをご理解ください」


「よくわかりません……」


「たとえば、高橋悠里様が他のプレイヤーに挨拶をすると、高橋悠里様の『プレイヤーに対する善行値』が上昇します」


「挨拶するのは善いことだからですね」


それなら、悠里にもわかる。


「挨拶をされたプレイヤーが高橋悠里様に挨拶を返さなかった場合、挨拶を返さなかったプレイヤーの『善行値』の変動はありません」


「挨拶をされたのに、挨拶を返さないのは相手に失礼ですよね。それは悪いことで『善行値』が下がる行為じゃないんですか?」


「そこが『アルカディアオンライン』における『善行』と一般的な『善行』の違いです」


「なんで、そんなことをしたんですか?」


「それは『アルカディアオンライン』の制作スタッフが『自由と善性の両立』を目指したからです」


「じゆうとぜんせいのりょうりつ」


呟いてみたけれど、全然わからない。

悠里は途方に暮れた。

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