Verus? Ⅰ

 ブラン城周辺も夕方を迎えると、帰路に着く客が多くなってきた。しかしそれとは真逆に、今から城に泊まる人もいるらしい。

「人数制限があるんだけどね、お城の中で眠ることができるんだよ! もしかしたら、本物の吸血鬼に会って、血とか吸われちゃうかも……」

「吸血鬼? はははっ、むしろ、会えたらラッキーだろ」

 俺が適当に返事をすると、やつは途端に怪しい笑みを浮かべた。最後のKürtőskalácsを焼きながら、不穏な言葉を羅列させる。

「お兄さんは、吸血鬼に会えたらラッキーって思うんだね。そっかぁ、良かったぁ……」

「はぁ? おまえ、何言ってんだよ」

「ううん、別に!」

 こいつ……、怪しいことを言って、俺を怖がらせようとしてるのか? 残念だが、俺はその手には乗らねぇよ……。

「すいませーん、ちょっといいですかー?」

「あっ、はいはい」

 ――そのとき、レジの方に顔を向けると、青年客が手を上げて俺を呼んでいた。真っ黒なフードを頭からすっぽりと被り、その影から赤い目を光らせている。

「へぇ……。今年の客も、随分と端整だな。やはりそういう趣味かね、やつは」

「は、はぁ?」

 そいつは俺の顔を見るや、よく分からないことを言い始めた。注文をするでもなく、俺のことをじっと見つめている。

「あっ、久しぶり! 元気にしてた?」

「まぁ、元気にやってるよ。食料の確保には、少々手間取るがな」

 俺が対応に困っていると、Kürtőskalácsを焼いていたやつが、奥からひょっこりと顔を出した。話を聞く感じ、昔からの知り合いらしい。

「君が来たってことは、もうそろそろ時間かな?」

「ああ、そうさ。早く仕事を切り上げな」

 青年はそれだけ言い残すと、ブラン城の方向へと去っていった。ひょっとして、あいつも城の宿泊客なのか?

「お兄さん、本当にありがとう! 今日の仕事は、これでおしまい!」

「まぁ、俺に感謝しろよ。んじゃ、給料貰って帰るとするか」

 俺がそう言って右手を出すと、やつはニコニコ顔で左手をのせてきた。……いや、俺が欲しいのは金なんだが。

「おい――」

「お兄さん、『タダ働きだったら許さねぇ』って言ってたでしょ? だからさ、今日一日手伝ってくれたお礼に、今からすてきな場所に案内してあげる!」

 やつはすっと視線を上げ、木々の間から覗く赤い屋根を見た。一番星が輝く、薄暗い空の下。そこには観光地としても有名な、美しいブラン城があった。

「僕の仲間も、お兄さんが来るのを待ってるんだ。だから……、ね?」

 やつの燃えるような瞳が、城の屋根から俺へと移る。……その瞬間、俺は無意識の内に、やつの手を握り返していた。

「ふふふ……。おいで、お兄さん……」

 Kürtőskalácsの甘い香りも、近くで擦れる木々の葉の音も、何もかもが遠のいていく。俺はただ、やつの瞳だけを見つめていた。

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