第25話 電車にて

「ミケ、電車に乗ってみない? 電車が走って行くのは見たことあるよね。おっきな長細い箱みたいなやつ」

「ミー」

「あら、余り乗り気じゃなさそうね。でも、乗ってみたら楽しいかも」

 留美は、ミケがどんな反応を示すか興味津々しんしんだった。窓の外を流れ去る景色にびっくりするかもしれない。新幹線ならもっとすごいけどお金が掛かるから、とりあえず近所の私鉄に乗っけてみようと考えていた。なかば強引に、

「じゃあ、今度来た時に、ね」

 そう言い残して家に帰ってしまった。というのは、猫を電車に乗せる為には、ペット用の籠が必要だ。これを入手してから出直そうと思ったのだ。

 家で相談したところ、父親が早速リサイクルショップで買ってきた。五百円だったそうだ。見た感じ、ミケにはちょうど良さそうなサイズだった。入り口の扉には鍵が取り付けられるようになっていたが、もちろんそんなものは使わない。鍵なんか付けたら牢獄みたいだ。それに、ミケは籠から飛び出したりはしないだろう。たぶん・・・・・・


「ミケ、さあ、これに入って」

 促すが、ミケはなかなか籠に入ろうとしない。

「もう、湯船に放り込んだり、ジェットコースターに乗せたり、化け猫に会わせたりしないから、ね」

 考えてみれば、ずいぶんと酷いことをしてきた訳だが、それを平然と並べ立てている留美もちょっと考えものだ。

「さっ、さっ、いい景色が見られるんだよ」

 ミケはやっと籠の中に収まった。留美は籠を提げると、駅に向かって歩き出した。ゆらゆらと揺れる籠の中で、ミケは目をくるくるさせていた。

「ここがホーム。電車が来るまでちょっと待ってね」

 ほどなく電車が轟音を上げて入線してきた。ミケはその音と風圧に驚いて騒ぎ始めた。

「フギャー!」

 周囲の乗客がこちらを見ている。慌ててミケに言った。

「シィー! ここは公共の場だから静かにしてね」

「ミュー」

「分かったけど、『公共の場』じゃない所って、どこかって?」

 ミケは留美の揚げ足を取るつもりはなかったが、つい疑問に思ってしまったのだろう。

「変な質問ね。うん、猫はどこでも『公共の場』だよね。だって、家の中や、車の中なんてないもんね。そっか、公共の場とプライベートな場の使い分けなんかないんだよね。これはこれは失礼しました! でも、それって楽チンねえ。だって人って、場面や周囲の人の目で振る舞いを変えるんだよ。面倒だよね、いちいち。あー、早く乗らなくっちゃ、ドア閉まっちゃうよ」

 慌てて電車に乗り込むと、直ぐにドアは閉まり、電車は動き始めた。


 車内はさほど混んでいなかった。長椅子の座席はパラパラと空いていた。適当な所に座ると、ミケの籠を膝の上に載せた。網棚では落ちそうで心配だったし、ミケに窓の外の景色を見てもらうのには膝の上の方がいい。

 電車は徐々に速度を上げていった。ゆっくり流れていた景色はどんどん速くなり、飛ぶように後ろへ過ぎ去っていく。それを睨むように目で追っていたミケは頭を盛んに左右に振り始めた。

「ミケ、近くの物を追いかけていると電車に酔っちゃうよ。遠くの方をぼんやり見ていればいいのよ」

 留美は自分が小さい頃の事を思い出していた。家に車が無かったので、車に乗り慣れていなかった。それなので、遠足に行く度にバスに酔っていたのだ。今は大丈夫だが、あの頃はそれが嫌で嫌でたまらなかった。どうしてウチには車が無いんだろうと、いつも思っていた。父親に聞いても、必要ないからとかなんとか言ってうまくかわされていた。しかし、高校生になってやっと、どうしてウチに車が無いか、少しずつ分かってきた気がした。必要かどうかだけの問題じゃ無さそうだ。いつか父親に聞いてみよう。

 ミケは目を見開いて遠く流れる景色を見ていた。驚いているのかどうかは良く分からないが、新たな体験をしている事だけは確かだ。

「ミケが走るよりずっと速く走っているんだよ。でも、私達はこうして座っているだけ。電車ってすごいでしょ」

「ニャンニャー?」

「ん、どうしてそんなに速い必要があるかだって? だって時間の節約になるでしょ。歩いたら何時間も掛かっちゃうわよ」

「ニューニー?」

「どうして時間を節約するっかって? わー、やめやめ。ミケと話していると訳が分かんなくなっちゃう。猫には分からないけど、人の世界ではこういうのは当たり前なんだよ。誰も疑問に思ったりしないから。速い方がいいし、時間は節約できた方がいいに決まってるでしょ」

 留美は他の高校生と比べると、相当に変わっている所があるが、ミケと話していると、やはり付いていけない事がある。でも、友達同士で、なんでも以心伝心のように通じ合うというのも、つまらなく思っていて、そんな時にミケと話すと目が覚める思いがする事がある。これまでも、学校や親が教えてくれない何かをミケはいくつも教えてくれた。

「ほら、鉄橋よ。川の上を渡って行くよ」

 ミケがよく見えるように、席を立ってドアのガラス窓の所にやってきた。タカタンタカタンと、鉄橋を渡る音が響き、電車はまるで宙に浮いて走っているようだ。ミケは首を伸ばして川面を眺めている。川辺にはサギやカモが沢山いた。

「面白いでしょ。飛んでいるみたいね」


 座席に戻って、ミケの籠を膝の上に載せた時だった。目の前に女性が立っているのに気が付いた。他に席はいくつか空いていたが、その女性は立ったままだ。よく見ると高齢の女性だ。優先席でも無いので、特に気にもせずにいた。すると、その女性が口を開いた。

「はい、これどうぞ。チョコレートよ」

 釣鐘型をした、手で握れるくらいの小さなもので、綺麗な銀紙で包まれていた。てっぺんに小さなリボンがついている。女性はそれをちょこっと摘んで、留美の前に差し出した。

「えっ?」

 突然の事に驚いた。電車の中で他の乗客からチョコレートを貰うなんてなかなか無い。

「あっ、いえ結構です」

 思わず断ってしまったが、お婆さんはニコニコして留美の方を見ているばかりだ。悪い人では無さそうだ。無下に断るのもなんだか気が引けてきた。

「あのー、それ、いただきます。ありがとうございます」

 お婆さんの表情はパッと明るくなった。

 でも、なぜチョコレートなんかくれるのかさっぱり分からなかった。バレンタインでは変だし。

「すみません、何故、私にくれるんですか? 他の人では無く」

 お婆さんは少し腰を屈めて留美に顔を近づけて言った。

「その籠をちゃんと膝の上に載せているでしょ。隣の席に置いていないからよ」

「えっ、それだけですか。だって、そんなの別にすごい事でもなんでもないでしょ」

 ついつい友達言葉のような口調になってしまった。

「はい、そう、特別ではないですよ。でもね、ちょっとした思いやりがあるのは大切よ。人の社会はそんな心で保たれているの。だから、御褒美にチョコレート」

「それなら、他の人にもチョコあげているんですか。荷物を隣に置いていない人なんて、いくらでもいますよね」

「みんなにあげている訳じゃないですよ。時々こうして電車に乗って、たまたま見かけた人にあげているの。うん、不公平かもね」

 気がつくと、周りの人が皆、留美の方を見ている。

「ニャン!」

 そんな時、ミケが鳴いた。

「何、ミケ? えっ、そうなの? 他の人にはこのお婆さんが見えていないの? 私とミケだけに見えてる?」

 急にばつが悪くなって、慌てて鞄をまさぐって、スマホを取り出し、耳に当てた。電話で話しをしている振りをしようとしたのだ。

 しかし、再び前を見ると、お婆さんはいなくなっていた。消えていたと言った方がいいかもしれない。

「あれっ、どこ行ったんだろう」

「ニューミー」

「ミケはあのお婆さん知っているの? うーん、実は私もどこかで見たような気がして。どこだったかなあ」


 貰ったチョコレートをミケと分けて食べようと、銀紙を剝いた。中からは、白い釣鐘型のチョコレートが現れた。ホワイトチョコレートだ。

「あれっ、何か書いてある」

 よく見ると、小さな字でこう書いてあった。

「しあわせ館」

 留美はすぐには思い出せなかったが、頭をぐるりと一周回して、やっと気付いた。

「あー、あー、これって、人ランドの! ミケ、分かってたの? あの人がしあわせ館のお婆さんだったって」

 文字の下には、小さくアーチ型に線が入っていた。入り口だ。感心している脇で、ミケはじっとその様子を見ていた。

「ミケ、チョコ欲しいの? じゃあ、少しだけね。野良猫は人の餌を貰っちゃ駄目なんだけど、今日は特別ね。しあわせ館のお婆さんに会えたし。でも、もうちょっと話ししたかったなあ」

 そうは言ったものの、お婆さんとの宿題を思い出していた。

 ――なぜ、人ランドは現れるのか・・・・・・

「お婆さんとゆっくり話すのは、その答えを見つけてからにしよう。うん、そうしよう。それにしても、難しい宿題だなあ。全然分かんないや」


 留美はミケの籠を提げて電車から降り、駅から出たところでミケを出してやった。ミケは勢い良く飛び出して駆けて行った。

「あら、元気ねえ。籠はさすがに狭かったかしら」

 いつもの土手までミケを送って行く事にした。

「でも、お婆さんいい事言ってたよね。思いやりが社会を支えている、か。私なんか学校や部活でバタバタしているから、例えば、災害ボランティアに参加した事も無いし、お金が無いから、慈善団体に寄付なんかもした事ないけど、隣の席に荷物を置かないだけでも、ちゃんと社会に貢献しているんだね。ちょっと自分に都合よく解釈しちゃったけど。どう思う、ミケ?」

「ニャウーン」

「そう、これでいいのね。なんだか肩の荷が降りた感じがする。だって、テレビ見ていると、若い人たちが社会貢献で色々な活動しているって報道があるけど、私、何にもしていないもん。でも、身近なちょっとした事でいいのね。それなら私でもできるわ」

 留美は、なんだか自分が、皆が必死に競争しイライラしながら醜い心を剥き出しにして、互いに蹴散らしあっている世界から離れ、その外に立っているのを感じた。

「こうして、外から見ていると凄いね。中にいると良く分かんないけど。眺めていると、嫌になっちゃう。もし、心優しい、思いやりのある世界があったとして、そこの人たちがこれを見たら、こうなっちゃいけないって、自戒の念を込めて思うだろうなあ。ん? あれっ?」

 何かに気付いたようだった。そして、無性に、またしあわせ館のお婆さんに会いたくなった。

「ミー」

 考え事ばかりしている留美にかまってもらえず、ミケはちょっと不満そうだった。いつもの土手は、もう、すぐそこだった。

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