第22話 再び猫大陸へ

 猫達とすっかり仲直りした留美は、次の冒険を考えていた。家や近所で遊ぶのもいいが、やはり遠くへ出かけるのは楽しい。違った風土、違った人々、違った自然に出会うのは、旅のロマンだ。

「そうねえ、もう一度、猫大陸に行ってみたいな。前回は余りゆっくりできずに帰ってきちゃったから。でも、今でもあそこは猫大陸なのかしら。だって、飛行機で行ったらアメリカでしょ。シアトルがあって、サンフランシスコがあって」

 確かに前回は、そこに何があるかも分からないまま大海原へ乗り出し、時空を越えて猫大陸に辿り着いた。しかし、現在はそこにアメリカ大陸があると分かっている。そこには猫大陸はなく、何億人もの人が住んでいる。

「うーん。飛行機に乗っても、そうだよね、西海岸の空港に着くだけだよね」

 まだ見知らぬ世界が沢山あった、そんな時代をちょっと羨ましく思った。今は地球上はどこも開発し尽くされてしまって、未知の世界なんかほとんど無い。これでは冒険行も大変だ。エベレストの未踏ルートや、深海くらいしか、もう未知の世界は残っていない。そうでなければ宇宙に行くかだ。それに、自分が行かないにしても、ネットがこれだけ発達していると、地球の隅々まで、居ながらにして指先一つで訪ねる事ができる。海外旅行のワクワク感も昔ほどではないだろう。

「そうだ、やっぱり船で行こう。そうすれば何か違うかもしれない」

 もちろん船で行っても、やはりアメリカはアメリカだから違いは無い。時間がかかるだけだ。でも何か期待する所があった。一旦決意すると、留美は行動が早い。逡巡していると、結局何もしなかった、なんていう風になりそうからだ。


 どこから手に入れたのか、一人と三匹は大型のクルーザーに乗っていた。今回も船長はミケだ。ブチが航海士、トラは機関士、そして留美はやはり雑用係だった。役目や肩書きなどどうでも良かった。重要なのは、こうして今、波を切り分けて船が進んでいるという事実だ。猫達も、もう一度、猫大陸へ上陸してみたかった。もう一度、あの猫達に会ってみたい。という訳で、今回も誘いに乗ってきた。

 大型クルーザーの快適さは帆船の比ではなかった。船内設備は充実し、必要なものは何でもあった。前回の生きるか死ぬかの航海を経験している一行には快適過ぎるくらいだった。

「快適ねー。でもやっぱり冒険は冒険よ。こうして潮風に当たって船に揺られていると、冒険心が湧き起こってくるわ。よし、いざ猫大陸へ!」

 航行システムも最先端で、GPSによるナビゲーションや嵐の警戒システムも備わっていた。嵐を回避する最適なコースを示し、それに伴なう燃料増加なども瞬時に計算して示してくれた。猫達は甲板に寝そべってのんびりしている。ブチはバイオリンを奏で始めた。前回とは違い、今回はジョンレノンのイマジンを演奏している。最新システムのお陰で、余りやる事はなさそうだ。


 航海は順調かに見えた。しかし、道程の半分を過ぎたあたりで異変が起きた。

 ――ピーピーピー

 ナビゲーションシステムで警報が鳴っている。見れば、GPS信号の入感が落ちている。画面で自船の位置を示していたマークが点滅を始めた。そして赤くなった。赤はGPSで位置が特定できていないという意味だ。つまり、赤いマークは、正しい位置の最後の記録という訳だ。

「えー、どうして? 故障かしら?」

 持っていたスマホを確認してみる。もちろん、陸地から遠く離れた海上ではスマホのネットワーク機能は使えない。しかし、GPS機能は使えるはずだ。

「おかしいなあ、スマホのGPSも駄目だ」

 警報音に気づいた猫達が操縦室にやってきて、心配そうに留美を見ている。何か按配の悪い事態だというのは分かるようだ。

「そうだ、もしもの為に持ってきた衛星通信端末を使ってみよう」

 衛星経由で電話やインターネット接続ができる優れものだ。通信機材置き場から端末を引っ張り出すと、電源を入れた。出航時に一度動作確認はしているので大丈夫なはずだ。

 電源を入れて、しばらく待つ。しかし、いつまでたっても通信衛星を捕捉しない。いったい何が起きているのだろう。衛星がいっぺんに消えてしまったのだろうか。これでは帆船時代に逆戻りだ。一時的な障害かもしれないと思い、明日もう一度試してみることにした。太平洋の真ん中では、一日くらいなら適当に進んでも大丈夫だ。しばらく嵐は来ない事も分かっている。

 翌日も通信は途絶えたままだった。気のせいか、他に船を全く見かけない。こんな陸地から離れたところでも、たまに他の船を見るものだが、全然いない。飛行機も見ない。ふと、まるで地球上には自分達しかいないのではないかという孤立感を感じた。しかし、それを振り切るように言った。

「よし、ナビゲーションシステムに頼るのはめよう。大航海時代の始まりだ。また、前回のように星空を見て進路を決めていくよ。頼んだよ、ブチ!」

 航海士のブチは、急に自分に振られて驚いたが、俄然がぜんやる気を見せ、

「ミミミー!」

 と頼もしい返事を返した。考えてみれば前回は一人と三匹が一致協力し、帆船でこの荒海を乗り切った。今回もできないはずはない。機器の故障は皆を奮起させることはあっても、落胆させるような事にはならなかった。


 こうして航海が続いた。ブリッジに上がっていたミケが叫んだ。

「ニャオー!」

 皆は一斉に船首へ走った。陸地が見えたようだ。

 それは朝もやの中からゆっくりと現れ、次第にはっきりとしてきた。

「見えたわ! 確かに陸地よ。さて、ここは現代のアメリカの西海岸かしら。ゴールデンゲートブリッジがあったりして。それとも猫大陸かしら」

 もしここがアメリカなら、沿岸に近づくにつれ、多くの船舶の航行と合流してもおかしくない。しかし、一隻も目にしていない。それに相変わらず、何の通信もできない。クルーザーはゆっくりと海岸線に近づいていった。今の所、人口建造物らしきものは無い。

「あっ、猫!」

 留美が叫んだ。見れば、水際に猫が一列になって並んでいる。真ん中にいる猫は、頭に立派な飾り羽を付けていた。

「前回と同じだ。ここは猫大陸だ!」

 一人と三匹は喜び合った。無事、猫大陸に帰って来たのだ。並んだ猫達も手を振って歓迎の意を表している。今回はもちろん、最初から武力を使おうなんて気は毛頭無い。

 それにしても、現代の日本を出発したのに何故、現代のアメリカには到達せずに、猫大陸に辿り着いたのだろう。もちろん、それを望んでいたのだが実際にこうして体験すると、やはり不思議だ。航海の途中から通信が途絶えたが、あのあたりから大航海時代の世界に入り込んでしまったのだろうか。それとも、この猫大陸は現代アメリカ大陸と並存するパラレルワールドで、そっちへ迷い込んでしまったのだろうか。考えても答えの出るはずもなかった。

 やがてクルーザーは岸の少し手前で停泊した。そこからは水辺に飛び降りて、猫達の方に向かった。留美の腰くらいの水深だったが、ミケ達はしばらく泳がなければならない。慣れない泳ぎに猫達は大騒ぎだった。やっと岸に辿り着いた。

 ミケが、体に付いた海水をブルブルと払った後、飾り羽を付けた猫と挨拶をした。

「ニャウン!」

「ニャオオン!」

 どうやら猫語は世界共通らしい。留美も明るく挨拶する。

「またお目にかかれて光栄です。しばらくお世話になります。いえいえ、もうなんて持ってきていません」

 これを聞いて猫達は笑っていた。人の言葉も分かるようだ。

 飾り羽の猫は自分の事を「ジェロニモ」と称した。なんだか猫らしくない名前だ。元々名前など無いが、留美たちの文化に合わせて名前を用意したというのだ。猫は群れを作らないから、ましてや親分でもない。ただ、年長者なので、ちょっと指導的な立場らしい。他の猫達にも名前を付けたという。聞いてみると、

「ミケ1」「ミケ2」「ミケ3」・・・・・・

「ブチ1」「ブチ2」「ブチ3」・・・・・・

 と、数字を付けているだけだ。確かに名前だが、これでは誰が誰だか良く分からない。しかし、名前など猫大陸では重要ではなかった。


 一行は再び歓待を受けた。その席で、ジェロニモが留美に聞いた。

「ニャニャンニー?」

「ここに再びやってきた理由ですか? もちろん、あなた達にもう一度会いたかったからです。こうして会えて嬉しいです。あと、この猫大陸の大自然をゆっくり満喫しに来ました」

 ジェロニモは、猫大陸の歴史や風土についていろいろと教えてくれた。ちょっと驚いたのは、この猫大陸には人も住んでいるという事だった。もう少し内陸に行くといるという。数が少ないので滅多に見かけないが、小さな作って暮らしているという。

 それに猫以外の動物もいる。中には狼など、猫を捕食するものもいるので気をつけるように、との事だった。

「へえー、猫だけじゃなかったんだ。いろいろ住んでいるんだったら、日本や他の大陸と同じだね。ただ、人が開発をしていないから、自然がそのままだ。大陸全体が国立公園みたい」

 この広大な自然に比べたら、日本の国立公園など、猫達にはちょっと失礼な表現だが、のようなものだ。


 翌日から、ジェロニモの案内で、一行は色々な所へ連れて行ってもらった。どこに行っても大自然が広がっている。針葉樹の森は濃い緑の広がりを見せていた。背後には大きな山が見える。いただきは雪をいだいているようだ。森に沿って流れる川はどこまでも青く、時折、動物達が見え隠れする。鹿や熊のようだ。留美は熊を見てぞっとしたが、ジェロニモによると、よほどの事が無い限り、熊は他の動物を襲うことは無いらしい。

「あー、この景色、洋子にも見せてあげたいなー。すっごいもん。端から端まで自然! 電柱一本だって、コンクリートの一かけらだってないんだよ」

 それにしても、広大な平原が自然のままというのは珍しく、奇異にさえ見えた。日本でも北海道なら、いくらか目にするが、大抵の自然公園は山岳地帯や沿岸にある。逆に言えば、人が住める場所や開墾できる土地は自然公園にはなっていない。だから、完全に自然な、平らな土地というのは実は多くの人にとって見慣れない光景だ。自分でもうまく説明できないが、大平原を目の当たりにして、不思議な感覚に浸っていた。

 また、留美にとって、というのは新鮮な経験だった。考えてみれば自然状態なのだから、道はあるはずも無い。しかし、普段はどっちを向いても道だらけの街で暮らしているため、それが当たり前になっている。ここでは道といえば獣道で、草原や森の中を何本も細々と続いている。動物たちの生活道路だ。以前、父親とハイキングに行ったとき、僅か30分程だが、道に迷った事がある。留美はもう、心臓がドキドキするほど焦った。このままここで夜を明かすのだろうかなど、不安でいっぱいだった。父親は慣れているのか、鈍いのか、それほど緊張した様子もなく、しばらくウロウロした後、登山道に戻ることができた。人は、道が無い状態を不安に思うものだ。


「ニャオーニャンニャン」

 小高い丘の上に来たときに、ジェロニモが教えてくれた。

「本当だ、煙が立ち昇っているのが見える。ふーん、あれが人の集落か」

 行ってみたい気もするが、やめておいた。人というのはある意味でどんな猛獣より怖い。下手に近づかないほうがいい。ただ、ジェロニモはそこに住む人々は凶暴ではなく、平穏に暮らしているという。でも、猫を狩って食べる事もあるので、用心はしているという。留美は、そんな説明に、妙に納得してしまった。

「そうね、『サバイバル世界』ね、ここも。食べるためだから他の動物を狩るのはしょうがないわよね。狩っているやつに『こらっ、動物虐待』って言ってやったらどんな顔するかしら」

 すっかりこちらの論理に馴染んでいる留美を見て、逆にミケの方が心配していた。このままでは彼女は文明社会に戻れなくなるのではないだろうか。

 そんなミケの心配をよそに、留美はジェロニモと大いに意気投合して大自然を満喫していた。

「冷房も暖房も車も無いのに、どうしてこんなに快適なんだろう。雨が降れば濡れて寒いけど、別に苦じゃない。いや、仮に苦だとしてもそれを問題とは思わない。もし、雨に弱い動物がいるとしたら、とっくに滅んでいるよね」

 久しぶりに進化論的な思いを巡らしていた。また、小雨くらいなら傘を差さない母親の気持ちが少し分かってきた。ただ、母親は野生動物がらみでそうしている訳では無い事も知っていた。


 ある時、人の文明についてジェロニモがどう考えているか聞いてみようと思った。目を輝かせて興味を示すかもしれない。

「ジェロニモ、車や道路って分かる? 私の世界では、車のお陰で文明が成り立っているの。快適な生活に必要なものよ」

 ジェロニモは何だか不思議な反応を見せた。理解しているようが、どうも何かに引掛かっているみたいだ。しっくりとした返事が返ってこない。

「ミー」

「あれっ、どうしたの? そう、車を知っているんだ。すごいね、ここには車なんか無いのにね」

「ニューニャオン?」

 今度は逆に、ジェロニモが質問した。

「車の良くない面? そうね、便利だけど交通事故なんかもあるね。この猫大陸が車社会になったら、たぶん毎年、車のせいで、何百匹かが重症を負って、何十匹かが死ぬね、きっと。でも、便利さとの引き換えなのよ」

 留美は淡々と話す。それを聞いてジェロニモ達は戦慄を覚えた。恐怖の色が浮かんでいる。他の動物に食われるなら分かるが、自分達の便利さのために、自分達の命を削るなんて想像できない。ジェロニモは別の指摘もした。

「ニャオオンミー?」

「ジェロニモは、よく知っているね。そうなの。空気も汚れる。騒音も出すから、直ぐ横をビュンビュン走られたらうるさくて会話もできないんだよ」

 猫達は顔を見合わせた。車をとんでも無く有害なものだと勘違いしているのかもしれない。慌てて、ミケに応援を求めた。

「ねえねえ、ミケ、ちょっとフォローしてよ。あなたは車社会に住んでいるから、そんなに危ないものじゃないって分かっているでしょ」

「ニャオニャオミュー!」

 すると聞いていたトラが、強い調子で鳴いた。

 しかし、これは留美をサポートするためではなく、その逆だった。

「そうなの、知らなかった、ごめんね」

 トラによると、友達の猫が車に引かれて死んだらしいのだ。これでは車を嫌っていてもおかしくない。

「あー、これじゃあ猫達に、人間社会がダメだって印象を与えちゃうよなー」

 そう言って、気が付いた。

「あれっ、この気持ちって、どこかで経験したような・・・・・・ どこだったかなあ。猫達に頭が上がらないような感覚・・・・・・」


 それでも、さらにいくつか人の社会についてジェロニモに紹介した。

「電気はどう? 大きな発電所を造って、あちこち電線を張り巡らさないといけないけど、とっても便利よ。電気って、魔法のように何でもできるの。明かりや冷暖房、お料理、テレビ視聴なんかもできて、まさに万能!」

 電力会社の回し者ではないかと思える程の調子で、便利さを主張した。しかし、やはりジェロニモは浮かぬ顔をしている。興味が無いように見えるが、電気の事は不思議と知っていたようだ。考えてみれば、そういう便利さ無しで毎日暮らしているんだから必要は感じないだろう。

 留美は、これは、というものを思いついた。

「じゃあ、医療は? お医者さんと病院と薬が必要ね。でも、医療があると、病気や怪我をしても直してくれるんだよ。だから、ちょっとした怪我や病気で死んじゃう事は無くなるんだ。いいでしょ。そうそう、私の街には獣医がいて、ペットの犬や猫を治療してくれるのよ」

 ここでも、ミケ達は味方にはなってくれなかった。

「ミャウウーニャウ」

「うん、確かにペットの病気は肥満なんかの生活習慣病が多いわね。ミケ達のような野良猫や、ジェロニモ達には関係なさそう。ミケ達はそもそもペットじゃないから獣医にてもらえないけどね」

 ジェロニモは黙っていた。乗り気ではないようだ。

「ここの猫さんたちは、今のような野生状態で辛くないのかなあ。せっかく便利で快適な日々にしてあげようと、文明の利器について教えてあげているのに」

 それにしても、ジェロニモがなぜ車や電気の事を知っていたか不思議だった。現代社会のテレビや通信を傍受していたのだろうか。を建造するくらいだから、そのくらいはできるのかもしれない。

 折角、色々と提案してくれる留美に、良い答えをしてあげられなくて、ジェロニモは申し訳ないと思っていた。そして、ある話しを始めた。

「ミャオーンミュウミュー・・・・・・」

 ジェロニモによると、は10年前にやってきたという。平和に暮らしていた猫達の真ん中にそれは突然現れた。柵でぐるりと囲われた中に、大小さまざまな建物があったという。猫達、人達、その他の動物達や鳥達が集まって来て、建物を一つ一つ見て回ったという。ジェロニモが一番印象に残っているのは赤く、燃えているような建物で、それはそれは恐怖の体験だったそうだ。その他にも目を覆いたくなるような建物がいくつもあったそうだ。ただ、犬や猫が人と楽しそうにしている建物もあったという。楽しそうにしている動物達を見て、心が和んだが、を付けられていたり、ずっと室内に閉じ込められているという事を知り、いたたまれなくなったという。猫大陸のような、どこまでも広がる自然の中を全力で駆け抜ける爽快さを教えてあげたいと思ったという。

 そこまで言うと、ジェロニモは一息付き、ちらっと留美を見上げた。怒っていないか心配したのだ。

「ジェロニモ、言いたい事、とっても良く分かるわ。車だのなんだの色々押し付けてごめんね」

 そう答えたが、ジェロニモの話しの中で、何かまだ引掛かかっているものがある。ミケ達も何か言いたげだ。しばらく腕を組んで考えていた留美は、やっとそれが何か気付いた。

「ジェロニモ! 分かったわ、それってもしかしてじゃない? ほら、入り口に衛兵みたいな人いなかった? それに、それに、かまくらのような小さな建物にお婆さんがいて」

 ジェロニモは思い出した。

「ニャー!」

 確かにジェロニモが10年前に入ったのは、だった。のお婆さんもいたようだ。

 ジェロニモは、逆に一行が人ランドを知っている事に驚いていた。なぜなら、人ランドは決して文明社会には現れないかららしい。

「ジェロニモ、私たちが人ランドを見たのはミケ島という、人の世界とは違うところなのよ。そうそう、人ランドは、またこの猫大陸に来るの? いつ頃?」

 ジェロニモの説明によると、10年に一回くらいやって来るのだそうだ。そうすれば人はもちろん、寿命の長い動物は一生に一回は見られる。次回は正確には分からないが、もう10年になるから、そろそろ来るかもしれないとの事だった。

 留美は一瞬、お婆さんに会う為にそれまで待とうとも思ったが、そんなに長くはいられない。


 留美は、見聞きした事を反芻していた。

「人ランドは10年前に猫大陸に現れて、最近はミケ島に現れて、文明社会には決して現れない。ここではジェロニモたちだけでなく、人も他の動物も人ランドを訪れていた、一生に一回は見る・・・・・・」

 そう、留美はしあわせ館のお婆さんの宿題を考えていたのだ。なぜ、人ランドがあるのか。そのヒントがこの猫大陸にあるような気がした。

 考え込んでいる留美に向かってミケが鳴いた。

「ニャオーン」

「あっ、ごめんごめん。ちょっと考え事していたもんだから。ジェロニモ、とっても勉強になったわ」

 もう少し猫大陸にいれば、宿題の回答が分かりそうな気がしてきた。でもそんな事をすれば、ここに住み着いてしまいそうだ。それくらい楽しくて快適だった。文明の利器が何も無いここでは、究極に不便な生活のはずなのに不思議だ。しかも、医療も社会保障も何もなく、裸同然に危険と隣り合わせというのにだ。

 ふと、以前お父さんに聞いた映画の話しを思い出した。自衛隊の一群が戦国時代にタイムスリップしてしまうSFだ。隊の指揮官は、弱肉強食で危険な時代で生活するうちにその自由闊達かったつさの魅力のとりこになり、その時代に残る決心をする、というような話しだ。今の留美はそんな気持ちになりかけているのかもしれない。慌てて自分に言い聞かせた。

「ダメダメ、ちゃんと帰らなくっちゃ。家や学校に心配かけちゃいけないし、生物学者を目指して勉強しなくちゃいけないし」


 そして、一行が帰る日がやってきた。一人と三匹にとって、とても貴重な体験となった。この旅は一生忘れないだろう。

「ジェロニモ、それから皆さん、お世話になりました」

 留美の目には涙が溢れた。見られないように留美は海の方を見据えた。

「さあ、ミケ、ブチ、トラ、行くよ! 途中まではナビゲーションシステムが使えないから慎重にね」

 クルーザーは碇を上げ、大勢の猫達に見送られながら出航した。しばらく行ってから涙を拭いて、留美も猫大陸の方へ振り返り、思いっきり手を振った。ミケ達も手、正確に言うと、前足を振っていた。

 何度目かの嵐を乗り切った後、ようやく通信が再開した。GPSは現在位置を示し、衛星通信端末も動作した。ナビゲーションシステムは完全に復活した。復活に伴ない、ミケ達は再び暇になり、甲板でゴロゴロしている。

 留美は、ラジオから流れる陽気なデキシージャズを聴いていた。ハワイあたりからの電波だろうか。

「あー、帰って来ちゃったなー」

 普通の人なら、太平洋の真ん中でこんな言葉は出てこないが、文明社会に帰ってきたという意味で、つい口を衝いて出てきたのかもしれない。或いは、本当に冒険行に慣れて、肝っ玉が据わって来たのだろうか。

「それにしても、しあわせ館のお婆さんの宿題、もう少しという感じがするんだけどなあ、うーん」

 クルーザーは順調に航行を続けた。二回目の猫大陸への冒険は、無事終わろうとしていた。








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