第20話 ネット

「やったあ!」

 留美は新しいノートパソコンを手に大喜びだ。母親が買ってくれた。

「留美は、スマホもちゃんと節度ある使い方をしているから、パソコンを渡しても大丈夫だね。スマホに四六時中噛り付いているような人にパソコン渡したら、すぐにパソコン漬けになっちゃうけど」

「お母さん、ありがとう。私はYouTuberになってビューを稼ごうなんて事しないから大丈夫よ」

「そのノートパソコンはやや小型だけど、キーボードはちゃんとフルサイズよ。タッチタイピングにはその方がいいからね」

 ちょうど、パソコンが手に入ったらタッチタイピングを練習しようと思っていたのだ。学校の古いWindowsパソコンでも時々練習していたので、もうだいぶできるようになっている。だからフルサイズのキーボードはありがたい。母親には何も言っていなかったが、そんな事をちゃんと分かってくれていたようだ。

 これで、スマホの小さな画面から解放される。パソコンの画面は大きいから便利だ。写真も文章も大写しで見られる。だからと言って、動画を見続けるなんてことはないだろう。ちゃんと自制している。この画面はタッチパネルにもなっているので、タッチもキーボードも両方使える。

「それと、オペレーティングシステムは結局アンドロイドにしたんだけど、良かった? スマホがアンドロイドだから、同じ方がいいよね。今時はWindowsパソコンも減っていると思うし。お父さんはエンジニアだから、Linuxがいいって言っていたわ。サーバを構築するなら絶対にLinuxだって。でも、留美はメールサーバやファイルサーバを立てたりしないでしょ」

 Linuxだのサーバだのという話しは良く分からなかった。エンドユーザとして普通に使えればいい。ただ、アンドロイド尽くしはに支配されるようでなんだか嫌だった。また、電子メールやWebのようにオープンな規格は気にしていなかったが、SNSの様に特定の業者が提供するものは余り好きではなかった。掌の上で踊らされているように感じるからだ。ネットに詳しくは無いが、本能的に危険性を察知しているのかもしれない。これは、よく報道される「個人情報の流出」というなものではなく、米国で問題が表面化した事で分かるように、もっともっと根深いものだ。留美の警戒心は、一応合格ラインと言えるだろう。これを知っているから、母親は安心してスマホやパソコンを使わせている。

「うん、アンドロイドでいいよ。サーバなんかやらないから。でも、学校の授業の関連で、アプリのプログラミングはちょっとやるかも」

 コンピュータ自体には余り興味が無かった。しかし将来、希望通り生物学を専門とするようになったら、コンピュータに無縁ではいられないし、システムレベルの事は分からなくても、アプリのプログラミングくらいはできないといけないと感じていた。


 留美は友達や学校との連絡用にSNSに入っていたが、必要な時以外は余り使っていなかった。ブログにも何の情報もアップしていない。フリマにも関心は無かったが、不要なものを廃棄せずに済むという利点は評価していた。いつかお世話になるかもしれない。

 YouTuberやVTuberになろうとも思わないし、ましてやビューを稼ぐなんてしない。そういう事で毎日何時間もスマホをいじっている友達なんかもいて、余り感心しなかった。そんな事始めたら部活もおろそかになるし、第一、ミケに会う時間も減ってしまう。だから外を歩いている時はもちろん、電車に乗っている時でも、極力スマホを使わないようにしていた。本を読んでいたり、単にボーとしていればいい。ミケだってスマホ無しで毎日ちゃんと暮らしている。


 留美が今、関心を抱いているのは、海外からの情報だ。同じSNSやブログでも、海外からのものは面白い。英語の勉強を兼ねて一日一時間くらいは見ている。パソコンがあれば、これもやり易くなる。英語と言っても、英語圏だけではなく、今時は世界中の人々が英語で情報発信している。東南アジアからも、ロシアからも、ドイツからも。驚くのは、若い世代でも皆んな英語が堪能な事だ。普通に使いこなしている。彼らを見ていると、英語の授業や成績の為というより、単に英語が道具として必要だから使っているという印象を受ける。こんな連中とやりとりしていたら、自分がちょっと英会話ができますなんて、恥ずかしくてとても言えない。

 面白いのは、同じ話題に対して、国や地域によって見方が違うことだ。何もかもグローバル化し、ものの見方や価値観が世界で共通化してきていると思ったら大間違いで、まさに十人十色だ。例えば温暖化についても、いまだにCO2が原因ではないと言い張る者や、じきに寒冷化に転じるなどという者、排出権取引を批判する者など、様々だ。自然エネルギーについても、実際の有効消費量はずっと小さいとか、火力発電所の待機で発電効率を下げているなど、あまり日本では耳にしない意見が聞けて面白い。ただ、世界を跨いで意見交換する場では、ローカルな話題は通じない。近所のお店の話しや、日本の有名人の話しをしても相手は分からない。だから、自ずから共通の話題、つまり、環境問題や社会、宗教なんかの話題が多くなる。

 どの意見が正しいかは分からないが、いろいろなものの見方に接することができる。ただ、これは日本も同じだが、大量の稿や、個人攻撃をするような投稿にはうんざりする。一日五時間も六時間もスマホと睨めっこしていたら、知らないうちに人格が歪んで来るのかもしれない。自分も気をつけないといけない。


 海外の声をダイレクトに聞けるというのは、ネットの最大の恩恵だと思っている。以前なら、自分の足で世界を旅をするか、図書館に通うかでもしなければならなかった。

 「今はSNSでできるけど、昔の人達は世界中を旅して、色々な人に会って、色々な会話をしていたんだろうな」

 留美は、世界を放浪して来た人達が何故、社会問題に関心が高いのか分かるような気がした。また、そんな放浪をしてきた人、できる人を羨ましく思った。家族の中では、たぶん母親がそれに近い。ヨーロッパに留学していた時に、相当にヨーロッパ中を旅したらしい。その時に接した人々から得た知識、いやが今でも生きているのだろう。

 ただ、そのせいだと思うのだが、ちょっと変わっている。全然空気を読まないし、周りに合わせる事も全然しない。雨が降り出してもなかなか傘を差そうとしない。独善的なのではなくて、自分が思うように振舞っているだけらしい。時に眉をしかめられる事もあるが、本人は一向に気にしていない。


「よし、パソコンをミケに見せびらかしに行こう」

 ミケに見せても無意味なのは分かっているが、たぶんミケに会いに行く口実なのだろう。年の瀬も押し迫った小春日和の昼下がり、真新しいパソコンを小脇に抱えてミケを訪ねた。

「あれ、ブチとトラ、来てたの?」

 珍しく、三匹が揃っていた。お互いに舐めあって毛繕いしたり、仲がいい。三匹には、スポーツ大会で迷惑を掛けたが、への冒険以来、昵懇じっこんの仲だ。

「皆んな、これ見て! おニューのノートパソコンよ、私の」

 三匹は顔を上げてパソコンを見たが、直ぐに毛繕いに戻ってしまった。

「もう。しかたないか、猫はパソコン使えないもんね。でもね、これがあると、ずっと遠くの人とお互いの顔を見ながら話しができるんだよ。地球の裏側だって大丈夫、すごいでしょ」

 今度は三匹は、顔も上げなかった。それでも、猫達を無視して熱心にパソコンについて語り始めた。いつになく熱が入っている。ミケは、留美の様子がいつもとちょっと違うのに気がついて顔を上げた。

「ミャウー?」

 留美の目がどこかで見たようにギラギラとしている。獲物を狙っているような目だ。ミケは、何か嫌な予感がした。何かが起きそうだ。


「よし、いい事を考えたわ。実際にやってみない? 遠隔地と通信するの。そうねえ、ミケはここにいたままで、ブチとトラはどこか遠くへ行ってもらおうかしら。そして三匹でビデオ会議するの。分かる?」

 三匹は自分の名前が聞こえたので、嫌々ながら顔を上げた。留美は、ブチとトラの顔をじっと見て大きな声で言った。

「さあ、それじゃあ、どっか遠くへ!」

その声にミケは、思い出した。そうだ、ミケの前足を掴み、銭湯の湯船に無理やり投げ込んだ時の留美の目だ。これはまずい。


 ミケは、目の前の画面を見ていた。パソコンの画面だ。何も映っていない。すぐ脇には留美が一緒に画面を覗き込んでいた。でも、ブチとトラがいない。さっきまで一緒にいたのに、留美の一声で本当にどこかへ行ってしまったのだろうか。

「さあ、ミケ、もう少し待ってね。ブチとトラが参加してくると思うの。どこから入ってくるか分からないけど、世界中どこでもネットで繋がっているから心配しないでね」

 ミケは、心配するというより、何が起きているのかさっぱり分からなかった。ただ、待てと言われているので、相変わらず何も映っていない画面を前に座っていた。

 その時、画面から、

「ニャオーン」

 という声が聞こえてきた。ブチの声だ。直ぐに、トラの声も聞こえた。

「ミャオーン」

ミケはとっさに、どこにいるのか聞いた。

「ミャウン?」

「ミャミャミャー!」

「ニャウー!」

 それぞれに返ってくる返事を聞いて留美は感心した様子だった。

「あら、そんな遠くに行っちゃったの? ブチは東南アジアのM国で、トラは中東のS国ね。二匹とも、ご苦労様!」

 留美は国を跨いだビデオ会議に慣れているのか、さほど驚いた様子は無い。しかし、猫達にとっては始めての経験だ。

 やがて、画像も届き始めた。ブチとトラが映っている。ブチはキョロキョロ辺りを見回している。周囲で何か起きているのだろうか。背後には多くの人が映っている。その時、

 ――パーン、パーン

 という何かが弾けるような音がした。驚いたブチが大きな鳴き声を上げた。

「フンギー、ニャオー!」

 音と同時に、ブチの後ろに映っていた群衆はいっせいに画面の左方向に向けて走り出した。口々に何かを叫んでいる。転ぶ者もいる。混乱しているようだ。群衆の波が途切れると、今度は、

 ――ゴゴゴゴ・・・・・・・

 という地響きのような音が聞こえてきた。すると、画面の右側から何かが現れた。砲身とキャタピラが見えてきた。戦車だ! そして戦車の後について、迷彩服に身を包み、武装した軍隊の一団が付いて行く。

「あら、迫力あるわねー。これがネットの威力ね。遠くの出来事をリアルタイムで伝えてくる。ブチは元気そうで何よりだわ。ね、ミケ、楽しいでしょ」

 ミケはブチが心配で、眼を見開いて画面を凝視している。すると、今度はトラの鳴き声がした。

「ニャウーン!」

 こちらも何か切迫した様子だ。パソコンからは、

 ――グォーン

 という大きな音が流れてきた。段々近づいてくる。トラが上空にカメラを向けると、ゆっくりと降下してくる戦闘機が見えた。やがて戦闘機はずんぐりした物体を放った。それは滑るように向かって来る。そして着弾した。

 ――ドドーン

 画面が激しく揺れた。かなり近くに落ちたようだ。後ろに映っている民家が崩れていくのが見える。続いて、土煙で画面が真っ白になった。トラは怯えながらも鳴き続けていた。

「ニャオー、ニャオー、ニャオー!」

「トラも元気そうで良かった。こっちもすごい光景ね。やっぱりネットって楽しいわ」


 二匹がビデオ会議に参加してきたのを確認すると、姿勢を正して言った。

「さて皆さん。落ち着いたところで、そろそろビデオ会議を始めましょう。お互いの近況を紹介しましょうね。世界を股にかけてこんな事ができるなんて、ネットってすごいでしょ。はい、それでは、まず、ここ湘南からです。それでは、最近の流行ベストスリーです!」

 楽しそうだ。ネットで近況を実況するのは面白い。特に今回は、海外の視聴者がいるので、やる気満々だ。まるでミリオンYouTuberにでもなったような調子で話している。

「第3位はバナナ枕でーす。これで皆さん、安眠しましょう。第2位は白熊さんのペンケースでーす。かわいいでしょ。これで勉強しましょうね」

 留美はそれぞれの写真を表示して、楽しそうに解説している。

「さて、いよいよ第1位です。それは白餡しろあんたい焼きでーす! 今、湘南で爆発的に流行っています。駅前のお店では、白餡たい焼きを買おうと行列ができています! 視聴者のみなさん、驚かないでくださいね。なんと、ここに実物があります、それでは食べて見ましょう」

 手に持った白餡たい焼きをカメラの前に差し出し、それをゆっくりと口に入れた。

「うーん、おいしい。この程良い甘さがなんとも言えませんね。あなたもいかがですか。では、これで日本からの話題を終ります。さ、それでは次はブチとトラ、お願いしますね。そちらでは、何かおいしいものが流行っていますか。かわいいグッズがあれば紹介して下さい」

 ブチは兵士に銃口を突きつけられ、何やら問いただされているようだ。パソコンに向かう余裕などは無い。兵士は、パソコンを指差して何やら怒鳴りつけている。トラは土煙にむせていて、こちらも話しをするどころではなかった。後ろには救急車がけたたましくサイレンを鳴らしてやってきたのが見える。近所の人が集まってきて、瓦礫をどけて、埋まった人がいないか捜索している。

「あれ、皆さん、どうしました? 楽しい現地レポートをお願いしまーす!」

 その時、ブチの映像がふいに消え、音声も途絶えた。続いてトラも画面から消えた。再び何も映らなくなった画面を、ミケはじっと見つめていた。

「しょうがないわねえ。おいしい話題もかわいいグッズも無いなんて、なんであんな国へ行ったのかしらね。ネットで話題になる事なんてありっこないのにね。いいわ、じゃあ戻って来てもらいましょうか」

 留美は、自分が二匹を飛ばした事など忘れているようだった。留美は再び大きな声を上げた。

「さあ、戻ってらっしゃい!」


 ブチとトラはミケの前に横たわっていた。二匹とも疲弊している。トラは土埃で真っ白なままだ。

 「ミュー」

 ミケは心配して横たわったままの二匹を見ていた。留美は相変わらずの調子だ。眼はギラギラしている。

「はい、お帰り。それにしても、あんな国に行ったってビューを稼げないよ。何故だか分かる? テレビや新聞と違って、ネットでは視聴者が見るものを選ぶの。だから面白くなさそうなものは最初から目に入らないのよ。M国やS国についてもっと知りたいなんていう人いると思う? いるわけないでしょ」

 ぐったりとしている二匹に滔々とうとうと説教を垂れた。

「じゃあ、今日はこれでおしまいね。私は帰って、コンテンツを作るんだ。さあ、パーッとバズッて一躍有名人よ! ヒヒヒ」

 さっさとパソコンを折りたたむと、再び小脇に抱えて、家に向かって歩き出した。

 ミケは留美が去ったことでほっとした。ネットの怖さを改めて思っていた。ただ、銭湯の時もそうだが、翌日になればネットから解放されて、ケロッと元に戻っているだろう。いつもそうだ。

 ブチとトラがやっと弱々しく鳴き声を上げた。

「ミー」

「ニー」

 ミケは少し安心して、遠く、小さくなっていく留美を見ていた。














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