第18話 クリスマス

 祭壇には沢山の蝋燭ろうそくともされ、おごそかな雰囲気をかもし出していた。クリスマスツリーやキリストの誕生を模したジオラマもある。ジオラマは細かいところまで良くできていて、羊飼いや学者達の表情まで見て取れる。賛美歌が始まり、いよいよクリスマスミサという気運が高まってくる。

 留美がクリスマスミサに参列するのはこれが初めてだった。別にクリスチャンではない。でも、一度この教会に入ってみたかったというのもある。ここはモミの木公園の脇にある、モミの木教会だ。大きな教会ではないが、前から気になっていた。友達の洋子も一緒だ。同じ湘南なぎさ高校に通う同級生だ。彼女はお母さんに知り合いがいるらしく、この教会には何度か来ている。でもクリスマスミサはやはり初めてだという。

 賛美歌に導かれて司祭が入場してきた。司祭のお話しが始まった。聖書からの一節だという羊飼いの話しだ。最後に、身近な話しもしてくれた。この教会が支援している近くにある老人ホームの話しだ。介護が必要なため、家にはいられない人達だ。ここには身寄りも家も無いお年よりが少なくない。そんなお年よりを時折、教会の人達が訪問しているという。介護をする訳ではなく、ちょっと話しをしに来るだけだという。それでも、顔を合わせ、知った人がいるという事だけで、心は安らぐという。

 その後は、クリスマスミサらしく、キャンドルサービスや、クリスマスソングの斉唱もあった。参加者も一緒に歌った。


「ミサ、良かったね」

 洋子が言うと、留美は答えた。

「うん、神父さんの話しが良かったわ。地道に活動しているのね、教会って。自分達が救われるようにお祈りばかりしているかと思った。あれっ、神父さんじゃなくて、牧師さんだっけ」

「神父さんでいいのよ、あそこはカトリックだから。でも、ややこしいわね、同じキリスト教なのに分かれていて、呼び名が違ったりするなんて。クリスマスミサだって、プロテスタントではクリスマス礼拝っていうんだよ」

 宗教などと全く関わりの無かった留美は、聞く事全てが新鮮だった。ミサの飾り付けなど、見た目の華やかさも良いが、やはり神父さんの話しが心に残った。身寄りの無いお年よりは、もしかすると現代の羊飼いなのかもしれない。少しだけ、に触れたような気がした。

 留美の家は、たぶん無宗教だ。両親は、キリスト教にも仏教にも関心が無い。お盆なんかの年中行事もおざなりだ。だから、クリスマスのお祝いなんかしないし、プレゼントも無い。これにはちょっと不満だったが、クリスチャンでもないのに確かにクリスマスで大騒ぎをするのは何だか変にも思う。


 そうは言うものの、実は、今日は洋子の家でクリスマスパーティーなのだ。ミサは午前中に行われたので、洋子とは一旦別れて、午後に洋子の家に行くことになっていた。

 洋子と別れて、ミケの所に寄ってみることにした。この教会からは通学路を家の方に行けば、ミケのいる土手を通る。

 すっかり葉を落として、寒々となった木々の間の細い道を歩いて行く。歩き慣れた道だ。もう直ぐミケのいる土手がある。今日はいるだろうか。

「あっ、いた」

 散歩、なのか縄張りの巡回なのか良く分からないが、この時間は、出かけている事が多い。でも、今日はいつものように寝そべっている。

「ミケ、こんにちは。今日はね、クリスマスミサに行ってきたんだよ。とっても良かった。私も賛美歌を歌ったんだよ。良く知ったクリスマスソングだけどね」

 ミケは、面倒くさそうに顔を上げた。

「でも、神父さんの説教は良かった。だって、ああいう話って普段聞かないじゃない。思い切って行ってよかったよ」

 留美は話しを続けているが、ミケはふと顔を上げると、畑の方向に聞き耳を立てている。何かを見つけただろうか。どうやら、畑の向こうの草むらの方を見ているようだ。しばらく耳を小刻みに動かしていたが、すくっと立ち上がると、歩き出した。

「あれ、ミケどうしたの? お出掛け?」

 まだ話しているのに、その場を離れて歩いて行くミケを見て怪訝に思った。

「なんだろう。ネズミでも見つけたのかな」

 ミケはスタスタとまっすぐに草むらに向かって行く。そして草むらの中に入って行ってしまった。後を付いていった留美は草むらの手前でちょっと躊躇していたが、中に分け入ってみる事にした。普通は人が立ち入らない一角だ。何か面白いものがあるのかもしれない。ひょっとすると、ミケの秘密基地? 或いは隠れ家?

 肩位の高さの生い茂る枯れ草を掻き分けて行くと、ミケがいた。しかし、ミケのかたわらに横になったもう一匹の猫がいた。見た事の無い猫だ。一目で分かるが、かなり弱っているようで、ピクリとも動かない。所々毛も抜けていて痛々しい。病気か何かだろうか。

「ミー」

「ニー」

 ミケか鳴くと、その猫もか細く鳴いて応える。ミケは何もせず、見ているだけだ。何もできないのだろう。人間の自分が入ってはいけない世界に踏み込んだような気がして、ミケの所までは行かずに、その場にしゃがんで、枯れ草の隙間からその様子を見ていた。

 ミケは、横たわった猫を時折、舐めていたが、最後に少し長く鳴くと、その場を引き上げた。元の土手の方に向かって行った。

 ミケがいなくなったのを見計らって、横になっている猫に近づいてみた。猫は留美に気付いたが、特に逃げようともしない。猫の歳は見ても良く分からないが、かなり高齢かもしれない。或いは病気なのかもしれない。いずれにしても動けないくらい弱っている事は確かだ。一瞬、獣医に見せることも考えたが、自然なままにしておいた方が良いと思えた。これは動物の世界の事だ。人が人のやりかたで対処してはいけない。何故かそんな風に思えた。

 明日にも死んでしまうかもしれない。風雨に打たれ、もっと弱れば虫にたかられ、肉食獣や猛禽類の餌になるだろう。ミケが言っていた、まさに、死ぬのではなく、が間もなく始まろうとしている。

 留美は悲しくなった。一つの命が消えようとしている。でもこうして見届けるしかない。例え治療しても何年か延命するだけだろう。でも、こんな思いもあった。ここに寄って来る虫達や獣達もやはり一匹一匹が命だ。この猫を喰らった者達も、やがては喰らわれる。そして神の元に返っていく。

 午前中にミサに参加したためか、妙に生死に対して宗教的な、或いは形而上学的な思いが心をよぎる。

「そうか、ミケは心を寄せたんだ。もしかすると、これが神父さんが言っていたなのかもしれない」

 キリスト教はもちろん人間のための宗教だけれども、ミケの心には何か通じるものを感じた。

 ミケは、横たわった猫を後にして、その場をそっと離れた。その後、草むらから、ひっつきむしだらけで出てきた留美の姿を見て、通りががりの人が驚いていた。


 家に帰ってからも考えていた。ミケは野良猫だ。人間のように社会的なしがらみは無い。ただ単に、たまたま見かけた死に行く仲間を見取っているのかもしれない。その猫にお世話になったとか、立場上、世話をしないといけないとか、金銭がらみとか、そんなものは一切無いはずだ。淡々と、一つの終わりつつある命を一つの現役の命が、見届ける、ただそれだけだ。

 この猫が死んで行くにしても、ただ一つの命が消えるという事だ。だったから、大勢の人が葬儀に押しかけるとかテレビで報道されるなんて事は無い。この地球上で、毎日消えている何億、何十億のいろいろな命の一つだ。

 やがて、ミケも同じようにどこかに寝そべって、動けなくなって、命を終えるだろう。それは、そんなに先の事ではないのかもしれない。


「あっ、そろそろ行かなくっちゃ。お母さん、出かけるね。夕方くらいには帰るから」

 家にいた留美は、まだ日の高い冬空の中を、洋子の家に向かって自転車を漕ぐ。行きは緩い下り坂だ。洋子の家は、この坂を下りきった先にある。行きは楽チンだが、帰りはずっと登りになるので大変だ。


「こんにちは、留美です、お邪魔しまーす!」

 玄関には洋子の弟の健太が出てきた。

「あっ、健太君、こんにちは」

 靴をきちっと揃えて、玄関に上がると、洋子の母親が顔を覗かせた。

「あら、留美さん、ようこそ。洋子は居間にいるから、こっちから行ってね」

 行けば、洋子はクリスマスツリーを飾っている所だった。

「あっ、留美、早かったね。今、クリスマスツリーのイルミネーションを付けた所なの。スイッチを入れるよ」

 色とりどりのLEDが明滅する。

「やったあ、これで準備完了!」

 洋子は楽しそうだ。これを見て、留美は自分の母親の話しを思い出した。ヨーロッパでは、クリスマスツリーの電飾は点滅しないのだそうだ。ただ、ポッと点灯しているだけ。それにそんなにカラフルではない。随分地味なクリスマスツリーだ。日本では電球は点滅するよ、と言ったら現地の人は驚いていたそうだ。

 洋子は早くパーティを始めたくてうずうずしているようだ。

「よーし、じゃあ、パーティーを始めるよ。お父さんは後で合流するから」


 パーン! パーン!

 クラッカーの音が、思ったより大きく響き渡り、自分でも鳴らしていた留美は、円錐形のからを持ったまま、ちょっとたじろいだ。

「わっ、意外と大きな音するのね」

 室内だから、余計に音が大きい。小さな色とりどりの紙テープが飛び散り、お互いの頭に絡みついている。

 クリスマスパーティの始まりだ。夜遅くこんな音を出したら近所迷惑かもしれないが、まだ明るい時間だからいいだろう。健太はクラッカーだけで既に満面の笑みを浮かべてはしゃいでいる。

 留美は何度かこの家に遊びに来たことがあるが、パーティで長居するのは初めてだ。

 母親が料理を運んできて、ちょっと早い晩餐ばんさんが始まる。帰りが遅くならないように、早めに始めて早めに終ることにしたのだ。料理はクリスマスらしく、フライドチキンやサンドイッチと、ローストビーフなんかの肉料理、それにシュトーレンもある。

 そうしているうちに、父親が帰ってきた。留美への挨拶もそこそこに、健太と奥に引っ込んだ。

「ねえ洋子、奥で何しているのかしら。こっちに来てお料理食べたらいいのに。男同士の何か特別な事かしら」

 しばらくすると、父親と健太が出てきた。洋子と母親が拍手する。留美も、その姿を見てやっと事情が分かり、拍手した。健太がサンタクロースの格好をしているのだ。ただ、衣装が大人用なので、中学生の健太にはブカブカだ。

 健太は面白くない表情をしていた。それもそのはずで、聞けば、父親と健太でじゃんけんをして、負けたほうがサンタクロースの格好をする事になっていたそうだ。つまり、健太がじゃんけんで負けた事になる。健太はちゃんと付け髭もしていた。洋子はしばらく大笑いしていた。


 それからは、料理を食べながらの歓談が続いた。午前中に行ったクリスマスミサの話しなんかもした。父親はシャンパンを開けて飲んでいた。母親は洋子と健太にクリスマスプレゼントを渡していた。家では貰えない留美はちょっと羨ましく思っていた。そんな時、母親が言った。

「はい、これは留美さんへのプレゼント」

「えっ、私もいただけるんですか?」

 予想外の贈り物に大喜びだった。早速開けてみると、それは暖かそうな毛糸のマフラーだった。


 料理を一頻ひとしきり食べ終わった頃、洋子が口を開いた。

「皆さん、宴もたけなわですが、ここで待望のトランプ大会を始めます! ラミーをやります。参加者はお母さん以外の四人です」

 ラミーは、セブンブリッジの変形版のようなゲームだ。早くカードを揃えて、あがった者が勝ちになる。

「始める前に、本日の罰ゲームを発表します! 一番負けた人は、ケーキを手を使わずに食べる事!」

 父親は笑っていた。留美は自分が手を後ろに回して、ケーキにかぶり付く様子を想像してしまった。クリスマスケーキは大きなテーブルの真ん中に鎮座しており、これを切り分ける。

 留美は妙に真剣にトランプをやっていた。やはり罰ゲームは避けたい。

 一時間を過ぎる頃、勝敗は概ね決していた。洋子の父親が一番負けていた。もう諦め顔で、罰ゲームをやる気になっているようだった。

「はい、これでおしまい。それでは結果を発表します。一番負けたのはお父さんです! では、罰ゲームお願いします!」

 留美も洋子も健太も揃って手拍子を叩いている。特に健太はサンタクロースのじゃんけんで負けた分の仕返しも込めているのだろう。母親は笑いながら、ケーキを切り分けていた。父親は、覚悟を決めているようで、目の前に差し出された自分の分のケーキに躊躇ためらうことなく顔を突っ込んだ。

「わーっ」

「やだー」

 歓声が上がる中、父親はムシャムシャとケーキを食べた。顔中、生クリームで真っ白だ。

 食べ終わり、顔を洗ってきた父親を、洋子がねぎらった。

「お父さん、ご苦労様。豪快な食べっぷりでした」


 外は、まだそんなに遅くない時間なのに、すっかり暗くなっていた。一年で一番日が短い季節だ。父親が話し始めた。

「えーっ、それでは家族を代表して、お開きの前に一つお願いがあります。私はクリスチャンではありませんが、欧米ではクリスマスは日本のお正月の様に、家族が集まる場であると同時にを確かめる機会でもあると聞きます。それで、何もできないのですが、一分間だけ、恵まれない人達の為に、お祈りの時間を設けたいと思います」

 留美は、これも自分の母親の話しを思い出した。ヨーロッパでもクリスマスは楽しいイベントだが、貧しい人や困難な状況にある人々に心を寄せる時でもあるという。クリスマスの季節には、それを思い起こさせる番組や演劇が催されるとの事だった。父親は続けた。

 「祈り方は自由です。よろしいでしょうか。それでは始めます」

 五人は、目をつむり、銘々に自己流でお祈りを始めた。

 留美の心には、クリスマスミサで聞いた身寄りの無いお年寄りの話しや、ミケが草むらで見つめていた、弱った猫の光景などが去来した。恵まれない人達にだけでなく、自然の摂理として弱って行くもの、死んでいくもの全てに祈りたい気持ちになった。

 一分間の祈りタイムが過ぎていった。

「はい、ありがとうございました」

 留美は、思わず洋子の父親に言った。

「こちらこそ、ありがとうございました。今日は、これまでで最高のクリスマスになりました」

 母親は、留美が言いたい事を察したのか、少しニコッと微笑を浮かべた。

「それじゃあ、気をつけて帰ってね」

 見送られて、すっかり暗くなった夜道に自転車を漕ぎ出した。日中風が強かったせいか、珍しく星空が綺麗だった。









 

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